小野 雅章 - 日本大学文理学部

平成26年度 日本大学文理学部個人研究費 研究実績報告書
学科・資格 教育学科・教授
申請者氏名 小野 雅章 ㊞
研 究 課 題
研究目的
お よ び
報
研究概要
告
研 究
の
の
概
結 果
要
研
究
の
考 察
・
反 省
教育と国家儀礼との関係に関する史的研究
本研究の目的は、教育と国家儀礼との関係を、主として学校儀式・学校行事の側面から実証的に考察
することにある。権力側が、学校を単位とした動員や儀礼が国民統合・統治の有効な手段として意識し始
めるのは、日露戦争後の地方改良運動以降のことであったが、学校を単位とする神社への集団参拝等、
教育と国家神道や天皇制と直結する儀礼が頻繁に行われるようになったのは、1923 年 11 月の「国民精
神作興ニ関スル詔書」の趣旨徹底策以降のことであった。その後、1937 年の日中戦争泥沼化に対応した
国民精神総動員により、学校における国家儀礼は、量的に拡大して日々の知的活動を制限するに至っ
た。本研究は、上述の経緯を、主として公文書資料の発掘と収集を中心にしながら、上述の目的は達成
しようとするものである。
今回は、国家儀礼における重要な「モノ」として、国旗に注目した。国家儀礼の時に国家、あるいは国家
元首である天皇を表象する国旗が、学校儀礼でどのように認識され、それが使われていたのかを、実証
レベルで明らかにした。すなわち、学校儀式や行事において「日の丸」がどのようなもとして認識され、そ
れが学校儀礼により、どう扱われたのかを、公文書資料、帝国議会議事録や新聞・雑誌の記事、さらに
は、国定教科書の記述をもとに実証的に考察した。
その結果、1930 年代に至っても、国旗の制式が定まらず、多様な主張がなされていたこと、さらに、政府
のレベルでも、現行の国旗の制式が一定していない状況を帝国議会の場で表明するなど、「国旗」制式
を巡り、少なくとも、1940 年までは混乱を来していたことが明らかになった。遅れて近代化を進めた日本の
ナショナルアイデンティティ形成過程の矛盾の一部が明らかにできたと思っている。
本研究により、教育における国家儀礼の果たした役割の一部は明らかにできた。一方で残された課題も
ある。以下、残された課題二点について述べたい。
第一は、国歌の問題である。先行研究でも明らかなように、現行の国家である「君が代」は、天皇参加で
あることは間違いないが、国歌になることを想定された歌曲ではない。学校儀式における「君が代」の変遷
を明らかにすることにより、国歌の成立についても、明らかにしたい。第二は、国民学校令下における学
校儀式と教育との関係である。国民学校令施行規則は、「儀式、学校行事等ヲ重ンジ之ヲ教科ト併セ一
体トシテ教育ノ実ヲ挙グルニ力ムベシ」と述べ、儀式・儀礼の教育的意味を重視している。その具体像を
明らかにすることにより、国民教化と学校儀礼との関係を明らかにしたい。
以上、二点が残された課題である。
※この欄は,本報告書提出時点で判明している事項について御記入ください。
研究発表
学会名
発表テーマ
年月日/場所
研究成果物
テーマ
誌 名
巻・号
発行年月日
発行所・者
【研究発表】
「戦前日本における『国旗』制式統一過程と国定教科書――文部省による制式決定(1940 年)迄の経緯」
(教育史学会第 58 回大会、2014 年 10 月 4 日、於日本大学文理学部)。
「佐藤秀夫の史料研究と研究スタイル」(シンポジウム「佐藤秀夫の教育史研究の回顧」)、教育と歴史研
究会、2015 年 3 月 14 日於武蔵野美術大学新宿サテライト)
【研究成果物】
『学校と御真影――「奉護」の変容』(東京大学出版会、2014 年 12 月)
「御真影『奉護』と天皇観の変容過程『UP』508 号(2015 年 2 月)、東京大学出版会。
「昭和天皇即位の『御大典』と『国旗』の制式」『研究紀要』(日本大学文理学部人文科学研究所)第 89
号、2015 年 2 月。