A―3 万葉集の起源 飛鳥が万葉集の発祥の地であることご存知ですか? *万葉集は何時できたの? 雄略天皇(5C後半)の歌・巻1-1で始まり大伴家持の最終歌(759 年)巻・20-4516 で終わっていることから 8 世紀後半に 20 巻に編集されたとしていますがその後も改訂さ れているようです。万葉集には「古今集」にあるような序文が無いため制作経緯が不明です。 万葉集 20 巻は一度に編纂されたわけではなく、飛鳥時代から順次に編集されたとする のが通説となっています。 その理由は巻1,2が他巻と異なり主として古事記・日本書紀の如く編年体(へんねん たい)で編集され、歴史書としても貴重で例えば日本書紀には登場しない柿本人麻呂の人 物像が読み取れ、更に巻 17 以後は大伴家持の私的歌日記として編集されていることです。 万葉集に収められている歌は舒明(じょめい)天皇 (629 年)以前の歌は伝承歌であり、 万葉歌とされるのは舒明から最終歌までの約 130 年間のもので、舒明から始めた理由は古 事記が推古(推古)天皇で終わっていることから 8 世紀初めの認識では推古以前は古代、 舒明以降が近代と考えた。 巻1は持統万葉(じとうまんよう)、巻2は元明万葉(げんめいまんよう)と呼ばれて いることからも飛鳥の万葉が核となり順次増補されたと考えられ、核となる巻1、2は 8 世紀初めに飛鳥の地で誕生したのでしょう。 *万葉集は誰がつくったの? 編集時期からも諸説あるが持統天皇の意向で巻1の原型が出来、元明朝に巻1,2が増 補されたとする説が有力です。 その理由は大宝(たいほう)の遣唐使(701 年)粟田眞人(あわたのまひと)が大宝律令 (たいほうりつりょう)を持参して中国・唐から国家として国号「日本」の認知を受けたこ とから、帰国後日本独自の文化を持つ必要性で漢詩に対抗できる和歌集を、同行した山上 憶良(やまのうえのおくら)と共に編集したのでは?との説があります。 この説は引続き日本国の正史としての「記・紀」を完成させると共に律令国家体制を整 備している史実からも説得力があります。 この巻1,2を核として元正(げんしょう)上皇の意向で大伴家持が越中守赴任前の天 平 17 年頃(745 年)に巻3~巻16を増補しました。 その後家持は私的歌日記歌謡群である巻17~20を付け加え全 20 巻本「万葉集」を 延暦年間(785 年)に形成したと考えられますが、大伴一族が起こしたとされる藤原種継(ふ -6- じはらたねつぐ)暗殺事件 (785 年)に家持も没後にかかわらず連座したとして官位を剥奪 され、万葉集 20 巻も朝廷に没収され陽の目を見なかったとされている。 平城(へいじょう)天皇の特赦(806 年)で公にされたこの万葉集が家持作成の原本と考 えられるが既に消失して無いために家持が編集したそのままか、その後手が加えられたか は不明です。 *現在の万葉集は原本とちがうの? 我々が現在読んでいる万葉集は鎌倉時代の学僧・仙覺(せんかく)の校正によるもので 「西本願寺本」と呼ばれる写本を底本(ていほん)としており、原本とは差異があります。 その根拠は醍醐(だいご)天皇の勅命で作成された「古今集」(905 年)はその序文に「万葉集 に入っていない古歌を収めた」と記されているにもかかわらず現在の万葉歌が 15 首も入っ ていることで、鎌倉時代の写本は原本に改訂を加えられていたか転写の過程で写し間違え たとも考えられています。 最近「広瀬本(ひろせほん)」と呼ばれ「定家本(ていかほん)」の写本とされる非仙覺本 (ひせんかくほん)が発見され原本の解明が進められていますが、更に冷泉家文庫(れい ぜいけぶんこ)が公開されつつあり「定家本」 (自筆)そのものが発見される可能性も期待 され原本に近い姿が再現されるかもしれません。 万葉集の詳細は後編 E 飛鳥の万葉シリーズ 参照下さい。 <註> 底本:編集にあたり基本とする本で原本なきため写本を使用 広瀬本:非仙覚本で藤原定家が源実朝に贈った万葉集の写本を江戸期(1780)国学者萩原 元克が書写したとされる本で 20 巻揃っているのが貴重 冷泉家文庫:藤原一門の冷泉家に伝わる平安期の文書で「定家本」の存在が期待される 藤原種継暗殺事件:桓武天皇の寵臣で長岡京建設中に暗殺され大伴一族が処罰された 雄略天皇:21代天皇で倭王・武に擬せられているが不詳 大伴家持:古代大豪族大伴氏の盛衰を飾る最後の万葉歌人、父は大伴旅人 「古今集」:905 年に編纂された醍醐天皇による最初の勅撰和歌集 編年体:和歌が読まれた年代順に編集されており、歴史書にもなり得る 柿本人麻呂:万葉第一期を代表する歌人で最初の宮廷歌人とされている、生歿不詳 舒明天皇:34代天皇で山背大兄皇子と皇位を争った、皇后が皇極・斉明天皇 粟田真人:約 30 年間空白後再開した遣唐使、春日氏一族で同族に小野妹子、人麻呂等 大宝律令:我国最初の律(刑法)と令(法律)を完備したもので律令国家完成の目玉となっ た 山上憶良:渡来人説がある万葉歌人、大伴旅人と筑紫歌壇を飾った 「記・紀」 :我国最古の歴史書「古事記・日本書紀」を略して示す 元正上皇:元明の娘で聖武の叔母にあたる中継ぎの女帝 -7-
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