チラシのご案内 - 奈良文化財研究所

平服宮町資料館平田 27年度重のミニ展示
すごろく工器がみつかった!
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平城京二条大路 SD5100出土
土師器杯 (
8世紀中頃)原寸大
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平城京二条大路の路面上に掘られた溝 (
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)から出土した、奈良時代中頃の土師器杯の内側に
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は、点が並んで刻まれています。これは、今も韓国で遊ばれている「ユンノリJという双六に似たゲーム
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で使われる盤面と共通する特徴があり、より古いタイプとみることができます。これまで 『
万葉集』の研究
ち,ぽ
により、奈良時代にもユンノりに似た「樗蒲J(和名では「かりうちJ
)という遊びがあると推定されてきましたが、
この土師器杯はその遊びの盤面として使われた可能性が考えられるのです。
今回、平城京二条大路S
05100出土の土師器杯と、同様の記号をもっ平城宮の穴 (
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)出土の
すえき
須恵器皿、平城宮東南隅出土の土師器皿を初公開します。この機会に、ぜひ古代の遊びゃ娯楽の世界
をのぞいてみてください。
ユンノリとはワ
ユンノりは、韓国では正月などにおこなわれ、伝統的な遊びとして
広く普及しています。 1対 1の2人、または2組に分かれ、 2種類の
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固ずつ持って対戦します。出発点から駒を進め、 4つの駒を
駒を4
先に 1周させた組が勝ち。サイコロと異なり、かまぼこ形の断面の4
本の棒(ユッ)を転がして、表・裏の5
種類の組み合わせに従って
駒を進めます。
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『万葉集』には、「晶木白Jや「一夜三 向」、「ぎ伏J向」など、
ユンノリの4本の俸とその組み合わせに関連する表記があることから、
奈良時代にもユンノリに似た遊びがあり、広まっていたと考えられて
きました。
現代のユンノリの遊具
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平城京SD5100出土の土師器杯と同様の記号は、平械宮 ・京や
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記号の類f~IJ とその意脈
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秋田城跡など全国で7
例確認できます。これらの記号には、円を6
分
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割するタイプと4分割するタイプがあります。 4分割タイプの岩手県柳
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之御所遺跡(1
2世紀)の例と現代のユンノリの盤面は全く同じ配列
であり、平城宮・京の6分割タイプはより古いものと考えられます。
6分割タイプの盤面を用いる遊びが、朝鮮半島では4分割タイプへと
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として遊ばれているものと思われます。
変化し、現代のユンノ 1
日本ではこの遊びが奈良時代に朝鮮半島から伝わり、一時期は
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普及していたものの、現代では遊ばれなくなりました。役所跡でみ
もしれません。
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来実測図は
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つかることが多いので、この遊びは役人を中心に普及していたのか
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平城宮東南隅出土 土師器皿
(
8世 紀 中 頃
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後半)
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秋田城跡政庁北東建物出土の碑
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(8世 紀 中 頃 )
秋国市教育委員会 秋田波跡調査事務所
2002r
秋田城跡 政庁跡 』より 転載
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岩手県柳之御所遺跡出土の折敷
(童器を 践せる誼)裏面(12世 紀 )
砦手県教育安員会 2
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柳之鋼所遺跡ー
第5
6次発掘溺賓概報』より 転載
開催期間
編集
平城宮 SK820出 土 須 恵 器 皿
(8世 紀 中 頃 )
発行
発行日
2015年 7月 1
1日(土 )-9月 23日(祝 ー水)
独立行政法人国立文化財 機 構 京 良 文化財研究所都城発掘調査部(平城地区)
企画調整部展示企画室
奈良文化財研究所都城発掘調査部(平城地区)
30-8577 奈良市佐紀町 2
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1日
2015年 7月 1