ら ど うで すか 。 ○乗 松 最 後 に付 言 す れ ば 、 この調 査 で そ うで した が 、 そ れ もそ うだ け ど 、最 近 日曜 日が ば か に 農 業 に 対す る熱 意 が薄 くな った のか 、諸 種 の会 議 利 用 され る よ うな の で 、 ゆ っ く り休 め な い 様 な気 の 開 催 中 、雑 談 が少 々あ る よ うに見 受 け られ る 。 が す る。 ○乗松 で も 、毎 月 定 例 で 予定 を す れ ば 、計 画 も 立 つ しみん な と顔 合 わ せ も 出来 るの で よ い こ とだ と思 う。 ○ 区長 そ れ で は 日頃 の仕 事 を忘 れ て 、みん なで 隔 月 で もよ い か ら集 ま る 日を 作 り ます か 。 ○全員 賛成 。 ○ 区長 い つ 、何 をや る事 に し ます か? O西 田 隔 月 の 第3日 曜 日に ソ フ トボ ー ル大 会 は ど うだ ろ うか 。 1.町 の概 況 本 町 は 、 北津 軽 郡 の 北 部 に位 し、東 は津 軽 半島 O全 員 賛成 。 の 脊 梁 中 山 山 脈 を も って東 津 軽 郡 蓬 田村 ・蟹 田 町 ○区長 遊 ぷ こと も 出来 ま した が 、今 まで の 会 議 と境 を 接 し、 西は 津軽 平 野 を貫 流す る岩 木川 を隔 の 結論 を 申 し上 げ ます と、農 業 を 営 む 人 は 村 の 振 て て 西津 軽 郡稲 垣 村 ・車 力村 と 相対 してい る。 南 興 会 へ加 入 し 、活 発 な る活 動 を され たい 。又 、そ は 大 沢 内溜 池を 含む 広 漠 た る 山 村 原野 及 び水 田 ・ の 他 の勤 め の方 々は隔 月 の 全 員 会 議 等 で 機 会 の あ 畑 を も って 金木 町 に 連 な り北 は 十 三湖 の水界 と品 る毎 に話 合 い を して い た だ き たい と思 い ます 。 ど 岳 の 支 峰 を 下走 して 市浦 村 に接 してい る。 うか 明 るい楽 しい部 落 造 りに皆 さん協 力 して下 さい。 4調 東 部地 区 は う っ そ うた る 山 村地 帯 を 形 成 し、'森 林 資 源 に恵 まれ 、 西 部 地 区 は 一 望平 たん に して腐 査 に対 す る意 見 植 土 に富 む水 田地 帯 と 国営 干拓 工 事 に よ り造 成 さ 最近 の 農 業 の方 向 は 、生 産 資 材 の 高 騰 に もか か れ た耕 地 で あ って 、基 幹 道 路 ・用排 水路 工 事 の完 わ らず生 産 物 の売 り値 は依 然 と して 大 きな 変 化 が 成 に よ り、 開 田 面積 が 増加 し、 生 産技 術 の進 歩 に な く、 これ で は農 業生 産 力 は 減少 す る一方 である。 よ り当 地方 の穀 倉 地 帯 とな ってい る。 本 村 と して は 、 昭和46年 に農 業を 生 活 の 基盤 と 2.調 す る者 は 、 村 の 自立 経 営 農 業振 興 会 へ 加 入 し、 部 門 別 活動 を 通 して 同志 的活 動 の 高揚 を計 る方 針 で {1)集 査 担 当者 落 農 業振 興 対 策 調 査 協 議 会 指 導 して お り、農 地 の 利用 につ いて も 、農 地 管 理 野 上 勝義 ・農委会 長 野 村藤 男 ・同局長 セ ンターが 随 時斡 旋 を 行 う こと と して い る 。 工 藤 政 吉 ・同次 長 古 川鐵 範 ・同農地係長 この よ う に この集 落調 査 の 主 旨を す でに 村 の方 針 と して 実行 して い る ので 、 あ え て 部 落単 位 の方 竹 内 京 一 ・同農政係長 木 村 勝 四郎 ・産 業 課 長 金 木 農 業 改良 普 及 所 向 づ けを 決 定 す る必 要 に迫 られ て い な い 。しか し、 (福浦 部 落) この調 査 で 二 部落 の住 民 の状 態 と意 向 が把 握 され 米塚駄 部 落 民 もそ の 部 落 の進 む方 向 に つ い て 真剣 に考 え 塚 本 佐 次 ・農業委員 た よ うで あ った 。 綱 一71一 青森 県 農 業会 議 郎 ・豊語 新骸 徳 ・養豚組合長 米塚 均 ・就近相談員 千昭 ・曼業警 § 綱 京一 ・町議員 (派 立 部 落) 〔1)北海老部落 荒関 佐市 ・部落駐在員 松 坂 龍 彦 ・農 業専 業者 町 の東 部 、太 平 洋 に沿 っ た一 部 丘 陵 地 を 含 む平 荒 関 正男 ・農協職員 荒 関 一 治 ・農 業専 業者 坦 地 で海 抜5m前 荒 関 一雄 ・町職員 古 川 政 市 ・町議 員 は大 正8年 耕 地 整 理 が 実 施 され 、 概 ね1区 画10a、 (2)集 落 農 業振 興 対 策 調 査員 農 道 は2m巾 (福 浦 部 落) 程 度 で あ る 。 交通 は比 較 的便 利 で常 磐 線 、 国 道6号 線 か らは約4Km、 同部 落 協 議会 委 員 に同 じ。 町 中心 部 か らは 約4.5km。 県 道 鹿 島 一 礎 部 線 が 部 落 の南 部 を通 り、 (派 立 部 落) 同 後 の 水 稲 単 作 地 帯 で あ る。水 田 1日5往 上。 復 バ ス の便 が あ る。 丘 陵地 帯 は主 と して桑 園 で丘 陵地 の南 側 に農 家 集 落 が あ り、 そ の 両側 が 水 田地帯 で あ る。 昭 和49 年 度 に北 海 老 部 落を 含 めた 約1,200haの 地 域 に県 営 ほ場 整 備 事 業 が 着 工 され 、昭 和53年 度 完成 の予 定 で あ る。 昭 和46年 に企 業 が 進 出 し、農 家 の主 婦 等 の 通 勤 労 働者 で 兼 業化 が 進 ん だ が 、部 落全 体 と しては あ ら ゆ る面 で の ま と ま りが あ る。 1.沿 ② 革 と概 要 横手部落 町 の 中心 部 か ら北 西約2㎞ 鹿 島町 は相 馬 地 方 の ほぼ 中央 に位 置 し、総 面 積 107.79k㎡ 、 西方 は 阿武 隈 山系 の 海抜 最 高540m に あ り、 比 較 的 平 坦 地 で水 田 が多 い 。 東 に常 磐 線 、 国道6号 線 が 南 北 を走 り 、西 北 の 山 合 の 地域 に鹿 島 町 第1の 大 池 、 の高 地 帯 で 、 飯 館村 と接 し、 東 方 は次 第 に低 く、 唐 神 堤 が あ り 、鹿 島 、北 海 老 、南 海老 、 南 右 田 、 平 坦 地 帯 を形 成 し、 太 平 洋 に 接 す る。 南 北 は双 方 南屋 形 集 落 の 水 田 を か ん が い して い る。 と もに阿 武 隈 山脈 の支 脈 に よ って 北 は 相馬 市 、 南 は原 田市 と 区画 され て い る。 水 田が 多 く、一 部 山 沿 い に 果 樹 団地 が あ り、畑 は桑 園 が 多 く 、経営 は 水 稲+果 樹 、水 稲+養 蚕 が 本 町 の 人 口 は、 この15年 間 に4,223人 の減 少 を 見 たが 近 年 減 少 率 が鈍 化 す る傾 向 に あ る。 年 令 構 成 を見 る と14才 以 下 の 減少 と65才 以 上 の 増 加 が 目 主 とな って い る。 最 近 、 町 に企 業 が 進 出 した の で 主婦 連 の通 勤 労 働 が 多 く兼 業化 が進 ん で い る。 立 ち、 老 令化 の進 行 とこれ と相 対 的 に生 産年 令人 2調 口 の低 下 が注 目され る。 就 業人 口 の 動 向 は年 々1 次産 業 の比 重 が低 下 して2次 、3次 産業 の比 重 が 高 ま り、 就 業構 造 の高 次 化 が進 ん で い る。 調査 対 象 集 落 は、 兼 業 化傾 向 の 中で比 較 的農 家 査 担 当者 {1}集 落農 業 振 興 対 策 協議 会 田沢 己市 ・町長 加藤 義見 ・町 助 役 高橋 二 郎 ・農委 会 長 田 原 口 稔 ・農 協 組合 長 戸 数 、 経営 耕 地 面 積 、 経 営 形 態 が 類 似 して お り、 桑折 佐 藤 国 雄 ・普 及 所 長 最 近 集 団 的 生 産組 織 が 結成 され て 機械 化 一貫 作 業 西 畑 文 太 郎 ・土 地 改 良 区 理 事 長 によ る受 委 託 耕 作 に取 り組 ん で い る2部 落で ある。 西 遠藤 一72一 賢 ・農 協 役 員 一 信 ・後 継 者 連 絡 協 議 会 長 博 ・産 業 課 長 渡辺 哲 ・農 政 係 長
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