メス蚊もつかまえられず

メス蚊もつかまえられず
プ~ン。
ゾクゾクゾクッ。
嶋谷 伸一郎
蚊の羽音が耳元ですると、私は首をちぢめるほど不快
になる。
このドラキュラをコンパクトにしたやつに、何度嫌な
思いをさせられたことか。知らない間に二、三匹にたか
「
」
られて、体中に 任務完了 の赤い印をつけられたり、た
った一匹のために一日の中で一番幸福な時間である睡眠
を妨げられたりもした。
蚊は、夏の盛りのときはセンサーがよく働くようで、
憎たらしいほどすばしっこい。けれども、切ない吐息の
ような秋の肌寒さが流れてくると、彼女らのセンサーは
感度が落ちてくる。
彼女ら――
任務遂行のために飛来する蚊は、ほとんどメスだと言
われている。
彼女たちは産卵のために、
「コンパクト・ドラキュラ」
になる。一回に吸える血液は自分の体重と同じ量で、満
足した量を吸うと体が重くなり、動きが鈍くなる。秋口
ならば、さらにグータラに飛ぶようになる。
私はそんなグータラな彼女たちさえも、つかまえるこ
とができないのである。
生まれてこのかた、体に「障がい者」という着ぐるみ
を着ているので、両手が素早く動かせられない。彼女た
ちに耳元で「プ~ン」とやられたときは、
「あなたに私はつかまえられないでしょ」
バカにされているような、
もてあそばれているような、
男として情けなくなったりもする。
「メスの蚊もつかまえられないんだから、人間の女の子
にも逃げられるのよ」
羽音でそんなことをささやかれているような気がして
くる。
人間の女の子の場合は、着ぐるみのせいにすることは
できない。表現の良し悪しはべつとして「手が早い」と
いう言葉もあるが、この場合メス蚊をつかまえるのとは
わけがちがう。もしメス蚊をつかまえるように簡単に―
―と言ってしまうと不謹慎になるだろうが――人間の女
の子とお近づきになれれば、こんな妄想じみた思いに悩
まされないだろうに。
メス蚊は吸った私の血で、一度に三〇〇個の卵を出産
する。私の血で育ち、生まれた彼らは、私の血を受け継
いだ蚊ということになるのだろうか。
2
なんともバカバカしい発想だ。
しかし、メス蚊たちが私の血を吸って子をつくると思
うと、
「吸血」という行為になまめかしさを感じてならな
い。
けれども、私は彼女らが嫌いである。増えてほしいと
も思わない。生物学上では地球から蚊がいなくなったら
バランスの一つがおかしくなるのだろうが、私個人とし
ては自分の血で蚊を増やすのは御免である。
彼女たちに卵をつくらせないためには、着ぐるみの上
にもう一つ何かをかぶせればいいかもしれない。ゴム製
のやつがいいだろう。それも、かぶっているか、かぶっ
ていないかわからないタイプがいい。
……何を考えているのやら、自分は。
そんなことよりも、つかまえる方法を考えるべきだろ
う。
いつものように虫除けのベープをつけて追い払うだけ
でなく、動きの遅い両手でもつかまえられる方法を考え
る。考えていくうちに、人間の女の子をゲットする妙案
も思いつくかもしれない。
(了)
3