≪9 月 9 日祈祷会から≫ イザヤ書 57 章 14~21 節 ※( )の数字は節を示す 「盛り上げよ、土を盛り上げて道を備えよ」(14)。それは、捕囚の中にありましたイスラエルに向 けて語られた主の言葉を思い起こさせます(40:3)。イスラエルの民は、その罪と背きのゆえに異教 の地バビロンに囚われます。しかし、主なる神は彼らが捕囚の民であり続けることを許さず、彼ら を故郷エルサレムへと連れ帰ろうとされます。主は民の罪を赦し、捕囚の苦しみに喘いでいた彼 らに再び神の民として生きる道を備えられたのです。 神の真実を告げるこの知らせが、ここで再び語られ聞かれることになります。 そこには以前とは異なる状況が広がっていました。その状況とは、故郷へと戻り、破壊された都や 神殿の再建に取り組む人々の間に深刻な分裂が起きていたというものでした。かつて語られた知 らせが、なぜ今ここで再び聞かれるのか。 それは、以前語られた言葉を受け取り直し、その言葉を通して今ここに向けて語りかけておられる 主なる神に聞こうとしたからにほかなりませんでした。 思うように再建が進まない中、帰還した当初の熱意が共同体の内で冷め始めていたのかもし れません。打ち捨てられ荒廃したままの土地を目前にして、それまで抱いていた回復の希望は 人々の中で萎えつつあったのかもしれません。 神は罪に固執する御自身の民を裁かれます。けれども、たとえひとときお怒りになっても、彼ら が弱り果ててしまうことに神は耐えられない方です(16)。それゆえに神は彼らをいやし、休ませ、 慰めをもって回復されるのです(18)。 もしそうであるなら、共同体の分裂という今ここにある厳しい状況の中にも神は臨在しておられ るのです。その神こそがイスラエルの回復(再建)に熱意を持ち続けておられ、人々にとっての確 かな希望になってくださっているのです。 大切なのは、そのような神の語りかけを信頼のうちに受け取ることです。そして、そのような人のこ とを、神は「打ち砕かれて、へりくだる霊の人」(15)と呼んでくださっています。 神はへりくだる霊の人、打ち砕かれた心の人を顧みられます。「民のうちの嘆く人々のために、 わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも」(18,19)。そ こに依然として御自身に逆らう人間の現実があることを、神はご存じです(20)。けれども、神はそ の真実のゆえに悔い改めと謙遜に生きる人に平和を回復してくださるのです。 毎日のように新しさを競う言葉が溢れるこの世の中で、教会が古くて遠い聖書の言葉に聞くの は、その言葉を通して語りかける神に信頼しているからです。「神は今ここでワタシに向けて語っ ておられる」。まさにそのところで、神はご自身の恵みで私たちを覆っていてくださるのです。 (藤井和弘)
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