勢力抽象の勞銀論

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勢力抽象の勞銀論
高田, 保馬
經濟論叢 (1939), 49(5): 665-681
1939-11-01
http://hdl.handle.net/2433/131320
Right
Type
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Departmental Bulletin Paper
publisher
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第四十九巻
の費合性、 いはピ其筋道を貫き通すことを無意識のうちに揚棄してゐる。
勢力抽象の捗録論
六六五
第五貌
立が出来ぬわけではないが、それではどうしても現寅の事賓の説明をつけることが出来ね。その結果、理論白鑓
たる経済理論を以てしでは、別に漣ベたるが如︿、生産財師団格の説明に於て忌初から困難に陥る。その理論の樹
て消費財債格の説明にあるが、他方に於ては生産財債格の説明にある。ととろで今までの勢力の作用をねきにし
明するととを得させる黙である。けれどもそれ上りも重要たるは、次の献に存する。債格理論の中心は一方に於
と見ることが、現在の経済に於て愈と共重要を加へつ Lある統制経済の事責をも同一の原理によって包括的に説
組済理論の中に勢力の作用をとり入るべしといふ政由の一は、債格を財の交換に闘して成立してゐる勢力関係
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勢力抽象の捗銀論
第四十九巻
ハ六六
第五銃
今日の経済現論によれば、消費財債格はすべて殻用の関係によって定まること L左ってゐる。また生産財債格
は生産力を中心として定まること Lたってゐる。生産財債格を決定するもの、 又はその落ちつく所は限界生産力
にあり、といふ結論が勿論静態に闘しでは論説せられてゐるが、それが直に動態にもるではまると考へられてゐ
る。とれは限界生産力説を過境的に、ぞれの論説せられてゐ友い範聞にまでも、趨肘する所以である。その上、
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生産財の供給者はあくまで放同の打算によって動き、従って飽まで受身の態・反をとるものと見られてゐる。私の
は生産財供給自健(例へば傍働) に件ふ苦痛乃至不款問によって見定められてゐる。とにかく何れにせよ、此揚合
従って供給債格を定める。但しとの放用は糾共生産財によって別に生産し得たであらう財の喪失によって、川又
如何たる憤絡に於てでも之を一貫り設さうとするのである。
ω 此供給者は生産財の供給の売めに裳る放周の損失に
給函教は仰によって定まるか。普通の立相明からはこれに次の答の何れかが輿へられてゐる。間生産財の供給者は
物債格を反映するものと考へられてゐる。ととろで生産財の供給債格は何によって定まるか、換言すればその仇
題である。生産財債格は如何にして定まるか。その需要は一般に生産力によって定まるもの、従ってそれは生廃
生産財の供給函教が消費財のそれぞれの数量、債絡を支配することいふまでも友いが、 それは今の揚合、別の問
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限界生産力によっτは説明しがたい親賓の事賓があるのに‘ とれに眼寺つぶるととによ勺て、之を梓定的たる島
記であると児上うとずみ。
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私の立揚はもとより消費財償格が殻用の闘係によって定まるととを否定せね。勿論立入っていへば、後にいふ
見をとるかの迎由を明にしたい。
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立場はこれを否定すると、生濯財供給者が放引を考慮の中にとり入れはするが、別に根本の態度がるり、此態度
がか Lる考慮の資料に基いて生産財伐給債格を定むるとする。此態度の楳祇には勢力闘係がある。 とれを供給両
教の表現に卸していへばかうなる。生産財供給闘数の形を勢力闘係団関が決定する。此表現は更に勢力闘係官鱒
が数量的規定を許ナとすれば、勢力がパラメエグアとして此供給函教の中に入りとむといふ表現に改められ得る
?あらう。何れにせよ、 かう見られたる場合の生木町財供給債格はその提供に件ふ祇抗であり、勢力闘係の財の交
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uもめに外たらね c 生丙財消費者を一抗して考ふるに、消費財のもつ放問と生泣財のもつ祇抗と、此二
換といふチャンネルを泊しての表現である。か 当
t る意味からいふと、生産財偵格の落ちつくところは此勢力の限
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給が澗自の決定事情をもっ以上、改めらるべきでああり、而してむじろ勢力関係に上って定まると表現すぺきで
あらう。
此結についてなほ、原本生産財中の労働と地別との封玄について考へるととにする。労働の供給函数が勢力闘
係の表現であることは展と之を遁ぺて来た。而しで地川といへども、今の立場からいふとき、それの供給恨絡が
やはり勢か胸係の一友現たる性質をもつことに、縫りはたいと忠ふ。たピ勢力闘係による決定の仕方が資本主義
3
か Lる事情から私は、生産財供給が根本に於て勢力闘係によって
経品川の純粋である限り、放出の打算によって動く場合と同一の形をとる。経済がそれから若干とても離れてゐる
限り、勢力の干渉作刑が明にあらはれて来る
第四十九巻
六六七
第五競
定まるといふことを認むるもの L、 それを特に労働供給についてのみ重腕しようとするのでるる。
勢力抽象の勢銀論
勢力抽象の努銀論
第四十九巻
六六八
第五披
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ことを要する。 とれは持銀を限界生産力までに推し下げる
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乙とを前提として居り、券働の限界生産力が雇傭せられてゐる勢働の限界生産力と同一のものとせられてゐる。
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mり。仰すべての弊働が就業し得ることを裂する。生産力設は労働の意志と能力とをもつものが皆就業して居る
得たい狩働者は解雇せらる Lであらう。持銀は低下する。間資本は自由に移動し得るととを要する。間曲目働も亦
するであらう。岩し結合によって、此限界生産力以上の界銀を要求するとすれば、界銀以下の生産物しか生産し
動力である。若しあるものがこれ以上の持銀を受取るとすれば他のものはそれよりも低き債格に於て拙労働を提供
働者の仕事を求むる競争が自由にまた完全に行はる
働購入の完全なる競争がある。川明暗貯働者もその限界生産力を知る。尤もこのことは必やしも必要ではない o 同務
後、次の如き陰伏的の前提がのべられてゐる。
ω傭主は持働の限界生産力を測定しうる。防傭主聞に於ける持
びその他の樫者によってあげられたる明示的前提については、それらを必要とするととの友い黙を明にしたる
Zキスプリシリト
所設の大裂は次の如きものである。限界生産力設が十分に受賞するが局には種々友る前提を要する。クラアク及
中、現貨の嶋一制収
ダグラスは限界生底力設め前提を油べ、 此前提のみたされざる硯貨の恥況を明Kし・ 弐紅さろである K拘はら
き二三の例をとり出して、私のとる所の立揚を明にしよう。
の墜設が如何たる黙に於て打ち克ち難き困難に出合ふかを明にしようと思ふ。私は多くの準設の中から注目すべ
とれから、生産物と生産財との債格をそれぞれ、限界款問と限界生産力とによって説明しようとする従来通用
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共生産力が零でるるところの雇傭圏外の持働といふものはない。仰すべての資本が利用せられてゐる。従って限
界 生 産 力 説 の 主 流 に と っ て は 、 資 本 の 限 界 生 産 力 は 利 問 せ ら る L資本の限界生産力と同義である。川間持働の交渉
カは資本の所有者のそれと相等しい。 これは前述の諸前提がみたさる Lと共に。生計資金の助から葬働者も相手
と針等の僚件に於で交渉し得ることを意味する。川崎町働市場に於て干渉のたいとと、 いはピ放任せられてゐると
とを前提とする。
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これに到するダグラスの恥合併の円ち
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十ゆ叫に拘はら
最も布一安たる意義を布すると思はる
さて限界生産力淀の受営しうるための前提印ち﹃競争の完全性﹄、﹃摩擦の紋如﹄といふ前提が現貨に於てどれだ
け有立してゐるかピ次の問題となる
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十、事貨には不断たる失業の存在がるる。例へば一八九七年から-九二六年までのコ一十年間に亙る北米軍要産堺市
(製泣工業、連総業‘鏑業、建築業)の失業持識は一 0 ・五%である c}九一一九年夏世界恐慌の前に於ける失業指数とても、
英闘に於て七・九、湖逸に於て八・六墳地利九二二%を算する。戦後の不況に於ける伸文部品が批界を通じて一二O%に
及ぺることは記憶に新なるところである。従来の生産力説支持者によって駿硯乃至宥過せられたる此欠来、の事責
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は生産力説の安蛍性に針して如何なる影響を奥ふるか。まづ第一に注意すべきととは、失業持働者の経済的生産
力は零であるといふことである。一杭合的見地よりいへば彼等が限界弊働者でるる。何人も彼等の一人と・なるこ
を欲したい、何となれば彼等は枚入左くして而も生計の支出は之を逝くるととを得ない。各持働者は普通に要求
第四十九巻
六六九
第五競
するであらう、界銀より安くても働かうとするであらう、 そ れ だ け を 得 よ う と 同 執 す る な ら ば 、 吏 に 低 き 勢 銀 に
勢力抽象の努銀論
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勢カ抽象の捗銀論
第四十九巻
六七O
第五揖
於 て 働 か う と す る 他 の 持 働 者 が 選 ば る る で あ ら う 乙 と を 恐 れ る 。 失 業 す れ ば 何 物 も 得 ら れ な い 。 か Lる事情に陥
ら ぬ た め に は 、 彼 等 は は じ め 併 銀 を 引 下 げ た も の 以 上 に 之 を 引 下 げ る と と に な ら う 。 而 し で か Lる傾向は更に越
むであらう。 とのととの少くも不熟練品労働者に於ける結果は従来数多の餓道、数多の産業に行はれたる﹁脱皮に
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は仕事を得ようとして得てゐ左いものの限界生産物に可鑓費川即ち仕事に就くととによって増加する生計の費用
一たび弊銀を切り下げると景気が恢復してもそれが標準
(例へば仕事するから帯加したる食物の費用目如き)を加へたる高さに法し得る。ところが事貨に於て持銀がさまでに低
くならぬといふのは、申引の事情による。
労働者は失業のある揚合にも次の如︿に考へてゐる。
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とたることを恐れる。それ放に彼等は持銀率を低下せしめることをさける、若し闇結して組合 工
ば、此低下を捌く拒否し、むしろ貯蓄をへらして衣食することを選ぶであらう。 点しくとれと矧似の方針が不況
の揚合、北米銅銭組合の如き注業的結合によって採用せられてゐる。偵絡を下げるよりも工場を閉鎖して供給を
減 少 し 、 株 主 に は 積 立 の ↓ 郊 を 配 営 し た 。 勿 諭 か Lる こ と は 供 給 を 統 制 し 得 ざ る 組 合 の た し う る と 乙 ろ で は な
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ぃ。だから準備としての貯蓄をもた十、また組合にも、馬せぬ非熟練持働者は他の集閣の弊働荷よりも弊銀を切
り下げるであらう。不況のときに樹皮にまでの競争は彼等の聞に強い
そとで、葬働者間の競争が完全であると云ふ似しの前提について考ふる必要がある。此黙についてダグラスは弊
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働組合の作川を注意してゐる。
一九一一一年に於て北米合衆園の工業労働者の約一二%が組合に属してゐたが、英
凶猪逸に於てはそれがそれぞれ四O%、五OVNであった。此数字は共後著しく低下して、北米合衆闘に於ては僅
に一六%が組合所属である。蘇聯に於ては此割合が最高に達して居り、九二劣以上に及ぶ。僻労働組合によって持
働者聞の競争は著し︿制限せられた。組合の定めたる労銀卒以下の努銀に於て働︿といふととは、成員の限から
見て最大の罪悪である。此組合の成員に劃しては此率以下に傭はれぬゃう強き枇品目的感力が加へられてゐる o か
︿て労働者は個々に競?に入るのでは友い、生産力識の前提は此黙に於てみたされてゐたい。けれども乙のこと
が生産力況の先同四の結論を苦しく後化ずるであらうか。 これについてダグ一アえは突の如︿に待へる。
今弁働組合の側に於て向き弊銀亭一要求するとせよ引 企業の側に去っては限界生産力が此邦銀に等しくなるまゼ
3
此傾向がどこまで作附するかは種
hなる事情
解雇するでるらう。 さ う す る と 失 業 し た る 持 働 宥 は 更 に 低 き 持 銀 に 於 て 就 業 を 中 出 で る で あ ら う 。 共 結 果 弊 銀 は
とれらの人々をも加へたる限界生注力のととろにもどるであらう
にか 1る。たとへば組合がどれだけの資金を有するかといふとともモの一である。重要-なることは其持働の生庵
物に射する需要の弾力性である。若し、此弾力性が極めて小である友らば、労相蹴の引とによって止へ業ずるものは
比較的に少い。而して就業者の持銀線額の増加は失業による努銀総額の減少を補って飴りがあるであらう。組合
kも 持 銀 は 高 位 に 止 ま り 得 る で あ ら う 。 け れ
会緯としては此失業者を支ふるもなほ利盆を得ることと友る。生産物の需要が比校的に弾力的である揚合とて
も、若し組合に封ずる忠誠が十分である友らば若干の犠牲を忍びつ
第四十九巻
六
第五貌
七
H も一般的にいへは、
かうでるる。仮に生産物需要の弾力性大であり、従ってそれを生産する持働生産力の弾力
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勢力抽象の努銀諭
七
勢力抽象の労銀論
第四十九巻
第五競
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限界生産力説の支持者はかろいふ論誠にもとづいて、弊働組
合の勢力があるに拘はちゃ.弊銀は結局強働の限界生康力に於て定まるととを認めようとずる凶
たる。結局、持銀が冗の高さにもどる傾向をもっ
働者を就業持働者の界銀によって衣食せしむるととが相営の不利径を伴ム。失業者は勢銀の低下伊一曲目でや寸︿
丈糾はは一よりも活に大であると思はれる (8又4はといふが蕗︿)。 さ弓すると、持銀引上によって解鹿せらるる持
持働の持銀を引き上げ得るか如何といふ之とが一居盲点要たる問題である。 ところが持仰すべての生産力曲線の関
せざるを得ざる傾向があらう。別して、組合が特定の一産業に於ける界銀を引上げうるかといふととよりも、会
も高いといふ現象を生中る。 その結山試算働移動の傾向が強︿生じ、共感力によって引き上げられたる労銀も低下
とれらの生産に従事する勢働の生産力を減ゃるから、問題とする部門に於て持働生産力が他の部門に於けるより
性が大である揚合に於て、前漣の如く葬銀引上の目的を達し得たにしても、 それでは他の生産物の債値を低め、
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件については云はやとしても、少くも一方、努働(及びその他の生産財i た γこれらについては蕊に述べ巴がすべて雇
傭せられてゐるとと、他方持働供給が可分でるり、従って園結してゐ左いことの二の僚件を必要'とする。ただ現
貧民於てはあまたの失業があり、また持働組合ありて弊働の供給を統制する。然るに拘はらや、限界生産カ設は
共安営性を全く失ふのではたい。 これらの事情があっても、券銀は大隈限界生産力に於て定まると見るべきであ
る。此の如くに見られてゐる。第一。帥労働組合が第銀を限界生産力以上に釣上げようとしても、そとに失業者を生
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t pp. 7S-83.
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さて上に述べたるダグラスの見解は結局に於て何を意味するか。限界生産力設が安営するためには、他の諸僚
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共結果、弁銀は切下げられそこで限界生産力と一致するでるらう。 さて、ググ 7
やるでるらうし、 これらの失業者は持働を安く供給せざるを得左いであらう。別して持働の需要の弾力性の犬な
るととはか Lる傾向を強める
スのか Lる主張からは持銀が努働組合の力によっても雇傭せられたる持働の限界生産力以上に上り得、下、寧ろ持
M に於ける無力が結論せられてゐる。けれE も
銀の低下が必然に生やるといふととだけが、卸ち組合の作用の究 慨
界銀が雇傭せられてゐる限りの限界生涼力以下に下らねといふととは別に論説せられてゐるめけでは泣い。
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ダグラヌは一広此理路を認
一旦持銀役下げるとそれが来るべき
要するに、組合の作用はそれが十分に強力左らや、事責に於て努働の供給が個別的のものでるる事貨を認むる
められる。どこかでくび止められると、その高さと限界生産力が等しくたるまで持働の需要が繍張せられる。
景気の恢復期に於てもこれが襟準となる恐れあるが放に、崎労働者が競a
q的に拙抑制政を引下ぐるといふ傾向がくひと
めてゐるけれどもそれについて攻の如くにいふ包現賓に於てはさうでない。
仰の供給倒偽低下とけふ駅直があり・ 鴻一銀は除限なく低すしようとするはやである
の雇傭せられてゐる場合に隈るはやである。失業が不断の事賀でるる限り、失業者の側からの第一銀切下、即ち抽出
が貫駈を置かうとするのは夫業の存在そのことでるる。限界生産力説の受賞するのは、前週の如くすぺての葬働
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ことによって、限界生産力説の受賞し得るととが主張せられ、また失業の在立を認めつつも、失業者の勢銀切下
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の要求が強く作用せざることを理由として、限界生産力説の安首を現貰についても認めようとする。けれE も
とれらの主張はどこまで成立しうるものであるが。まづ、失業の作用について考へょう。
第四十九巻
七
第五掛
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努銀が限界生産力に於て定まるといふことは、今日つねに雇傭せられてゐる弁働の限界生産力に於て定まると
勢力抽象の姫君銀論
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勢力抽象の捗銀論
第四十九巻
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第五銭
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示さうとした論機は成立しがたい。
一たぴ乙れを低下せしむるときには来るべき恢復期
下げる傾向のあるととを疋しくも認めたがら、現買に於ても友ほ限界生一尽力説の大槌に於て認められうることを
犠 牲 に す る と い ふ 危 険 を 冒 す こ と が あ り 得 る が 。 要 す る に 、 ダ ク ラ ス が 一 方 売 業 の 存 在 が 持 銀 をEとまでも切り
して、 と れ ほ ど の 不 合 測 は あ る ま い 。 勝 来 の 生 活 水 準 を 幾 分 か 高 く す る 銭 に 、 不 定 期 聞 に 亙 り 現 在 の 生 活 全 部 を
邸ち生活困難の苦痛とひきかへに、時附来の持銀の増額だけを得ょうとすることになる、穀用の打算に立つものと
何ゃうの揚合にあってもあてはまるものと考へられてゐる。 さうすると、 いつまでつピかも分らぬ失業の苦痛、
食に差支ふるととに友ってゐる。何と左れば問題としでゐる現象は失業手首や其他の枇曾政策的施設の程度が如
ると此説明そのものが自ら限界生産力訟を否定してゐることに注る。 そ れ ば か り で は 友 い 。 現 在 失 業 に よ っ て 衣
るといふのは、すでに過去の経験の中に各自の見通をしてさう忠はしめるものがあるといふことになる。 さうす
於てもそれ以下のものと放るはやもた︿、従って今の低持銀が標準と友るはやもない。然るにさういふ心配があ
r川定ずるも ο ?あ
る。 将棋が嶋旧作虫恒かに於℃定まもものならば、 恢復明に
亡、共山削減の・引に限界生活力沈没 品
にもそれが撚幣とた勺で低勢判献に判ぜねぽ友らむからであるとい λ。 けれども乙れは限界生+尽力訟を蹴認ゼむと
生産力に於て定まるととは出来やといふ結論を避くる穏に、
見る限り、 と れ は さ け が た き 結 論 で あ る 。 失 業 の 欣 態 に あ る も の の 少 数 に で も 存 花 す る 限 り 、 持 銀 は 持 働 の 限 界
業せるものは必やや更陀茨干とも低き界銀に於て共持働を提供するであらう、妓附を中心として行動するものと
いふ意味に於て解せられ叉主張せられてゐる。けれども、失業者の存ずる場合如何にしてさうであり得るか。失
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雇傭せられたる限りの弁働の限界生産力に於て労銀の決定せらるるといふ坦由はどこにも友いリ所謂枇舎的限
界生産力は零である。努働者の労働供給債格はむしろ競争の結果此零の方向にひきょせらるると見なければなら
ぬ。勿論すべての持働が雇傭せらるるならばそ、 の と き に 成 立 す る で あ ら う 可 能 的 友 る 限 界 生 産 力 が あ る 。 け れ
どもこれも今の短期的動態的問題としてはたピ次の如きものである外はない。現在の設備を奥へられたるものと
して、欠業弊働者を議︿就業せしめる、その揚合に於ける限界生産力が可能的限界生産力である。けれども、現
在 の 生 麿 設 備 が 一 定 の 人 数 を 必 婆 と す る や う に 出 来k ってゐる限り、それが倣めて小たるものであるととはいふ
までもたい。
帥労働組合の作則が興銀を限界生庄内一山上に引きあ伊得友いことについとは、 刊紙に品川巳ない。 たピ邦銀れ雁怖持
H れだけの力をもつものか。 こ れ も 車 に 内 論 的 の 巧 察 で あ る 。 持 働
働の畑山岡外生活力以下に低下せ古るやうにする ど
働は大抵組織せられてゐ友い。従って持銀が失業による切下げをくひとめる力はそこに友いはやである。
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組合に組織せられてゐる持働者が総数の二分の一以下の場合に於でそれがどれほどの力をもち得るか。少︿も不
熟練
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る理論的危る結論を支持し左い。
加之、組織化せられたる部分とても、組織外持働の弊銀どこまでも低下する友らば、代刑の法則によって共持銀
低下は免れがたい栴命であると考へられよう。た官事責はか
勢力抽象の券銀論
第四十九巻
六七五
策五貌
づ取上げたいと忠ふ。 とれは現布の持銀に於て持働する意士山をもちながら、而も第働の機舎を輿へられざるとと
同一問題をまたケインズについて考へょう。 ケインズに於ける非有意的安、山菜、即ち己を得ざる失業の概念をま
回
勢力抽象白勢銀諭
第四十九巻
六七六
第五披
をさす。従って、持銀が賞質的に幾分か切下げられても友ほ仕事さへ輿へらるる-ならば、勢働し土うとするもの
のあることを意味する。 これがケインズの巳を得ざる失業を其言葉に必中しも従ふととた︿云ひ表はしたるもの
である。此見解によると、持働者は一方に於て労銀といふ所得の放用を見つもり、他方に於て持働の苦痛又は不
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仕事さへ輿へらるるたらぽ畑町働Lよろと思づてしかも持働し得ざる乙
数加をとってこれに比較し、一一者が相等しきと乙るまで務似を提供する。前者が後者に及ばざるために失業する
のは布意的犬山誌でるる。 さょっでたい刊朝合
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とど非ねな的なるたたといふ。 ι
刊ヰヨふ的止へ北は hへ花とい円ふ cL﹂中主倒的に川帥川仲寸る限旬、
でるらう。た Y失業に客観的たる鮮制作を興ふるときそれは失業と見られろぺきである。持働を責るに非ざれば、
その属してゐる階級としての生活様車を永績的に維持し得友いに拘はらや,、之主買るととを得ざる欣態をさす。
それゆゑに持働を寅らねばならぬ主櫨といふものは共設用見積乃至評債といふものとは別に、客観的に定まつτ
ゐるん﹂見る外はたい。 それらのうち、僚件が意にみたぬからといって失業してゐるものは、たるほど主観的には
失業者ではなからうが、客観的にみて、資らざるを得ざる帥労働を賓り得ざるものとして、過剰持働即ち失業の欣
態にありといふ。
さてケインズによるとき、非有意的失業は如何にして存立するか。持鋲の高きは雇傭せられてゐる限りの弊働
の限界生産力に於て定まる。然るに、曲目働の需要数量は消費と投資との限度によって定められる。各自は所得の
うちから一定数量を消費にむける、此割合は限界消費率これを定める。また銀行の定むるとこるの一利率によって
投資数量が定まる。此消費投資の閑数量に膝じて第働需要が定まることに友るが、批貯働供給は一般にこれに超過
する。 一定の弊銀に於て努働を供給しようとするものの教は努働需要を超過し従ってをとに持働を供給せむとす
るに拘はらや、創ち仕事をしようとするに拘はら宇仕事の友い人人、 いはピ非有意的失業を生やる。而も、
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勢力抽象の崎町銀論
物畑山総比百に件 λ賓質努銀の切下げ陀針してはそれ
第四十九巻
六七七
第五銭
れたるものは、しばら︿労働組合の補助国家の枇合政策的施設を離れていふ限り、別に衣食の道をもたざるもの
に認めねばならね。けれEも此場合、それが如何にして主張し得らる Lであらうか。非有意的失業の欣態に置か
のいづとに定まるかといふことについて、持働の限界生産力に於てといふ符解だけしか有してゐ友いととは十分
崎労働の限界生産力に於て定まるといふ主張とは如何にして雨立し得るであらうか。勿論今までの経済理論が界銀
然らぽ此非有意的失業の存在そのものは疑ひ得ざる事責である。 ところで、 との事責と界銀は居傭せられたる
らや'之を得なかったものである。
について考ふるに.持働の苦痛よりも勢銀の効用が大であり、従って徐剰を得る矯に持働の機舎を求めたに拘は
るが、此場合、費賀界銀の低下るるに拘はらや、持働の供給は増加するむ即ち新に雇傭の範聞に入りとむ持働者
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ほどの概抗を一万さ向。 従って令一洲一の低下に作ふ提資の岬州市慨に際しでは、 d
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はつねに貨幣持銀の切下げに剥しては抑制く反抗する付れいとも
相 均 等 す る と 考 へ ら れ て ゐ る 。 け れ ど も 現 賓 の 経 済 は 共 然 ら ざ る と と を 示 し て ゐ る 。 ケインズによれば、弊働者
品川用の喪失が努銀によりて得らるる殺用の獲得と相等しきととろまで行はれ、限界持働者にあっては二の殻用が
インズの解剖押してゐるととるの古典準派の人人の見解とこと友る。 これらの人人は常に曲目働の供給はそれに件ふ
らの人人にとっては界銀によって貿ひ得る財の妓用は弁働供給陀伶ふ苦痛又は不殺用よりも大である。此期、
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勢力抽象の努銀論
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第四十九巻
六七八
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産力説を否定する外はない。
ば、非有意的弊働の存立を否定する外た︿、事貨に見て後者の存立を否定しがたしとするならば、勢銀の限界生
といふ主張が全く不合却と友る。来しあくまで界銀が努働の限界生産力に於て定まることを主張するとする左ら
低下の進行の必然性を認めたければ左ら十、また之を認むる以上は、勢銀が雇傭持働の限界生産力に於て定まる
非 有 意 的 失 業 の 存 庄 は 輿 へ ら れ た る 事 資 か ら 見 て 否 定 し が た き と こ ろ で あ る 。 ところで一たび之を認むると第銀
うる限りの、削ち存十位する限りの券働の限界生皆力に於てのみ努銀が定まりうる主見な付ればならね。要するに、
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付 JLコナ35Rov応
は、努銀が限界生産力に市川ちつくは
起らざるを得歩、 ととに其傾向は不熟練労働に於て強力のものであらうと考へられる。かういふ事情の下に於て
存立が殆E阜に名目に止まるととろも少からぬことを考ふると、それらの失業者の側から界銀の引下げの逗動が
うである以上、努働組合の統制が絶割的のものに非十、叉組合に属せざる勢働者が半数以上を占め、持働組合の
であり、 とれらの保件を'とり入れて考ふるにしても、更に低き労銀に於て勢働する意志を布するものである。
四
又はこれを引上ぐるときには、賓質批世銀を低下せしめでもそれほど強き抵抗に出合ふことは左い。 と れ ケ イ ン ズ
ズに従ふと、貨幣持銀を切下げようとすると曲目働者側からの強き抵抗に出品閏ふ。貨幣務銀をさへそのま Lにし、
更に進みて考へたいことは、貨幣界銀の高さが賃貸借貯銀とは離一札て一定の重要性を有することである。 ケイン
五
が金利の引下げによって投資を増加し失業を減少せしめようとする政策の二え在を一なす事責である。ケイ
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もの・ならば、費質拙同銀のみが問題と在るはやであるの忙、 それが主
此事責を認め且っこれを霊脱してゐる。而もこれに班諭的なる一政明を奥へてゐるか、決してさうではない。持働
の供給債格が翠に放用によって支配せらる
として貨幣持銀を中心として動︿といふことは、 そもそも何を意味するか@ とれについては種々左る事情も作用
してゐるであらう。勿論、物債はたえや縫動してゐるのに、持銀は一日一一定の貨幣額として定められたる以上、
貨幣的にもさう頻繁に務吏サられが渋いといふ組曲にはもιるにしても、 持働者の態度が裕別に
ある期間物使従って賓質持銀の描出動に膝じで改訂することは多くは不可能のととである。けれどもとのととは持
銀が賓質的にも
貨幣井銀の媛湖に対して敏感ぜあるととの淀明とはなり件改℃
而も此重要なる事責は叫双山経済を前提とする限り、スア占︿説明を興へらる L道がない。た刊誌かう考ふる外はたい
でるらう。弊働の債格乃至報酬は一方からいふと生活に必要友るそれぞれの物資のか︿か︿の内容として考へら
れもするが、他方からいふと其線計何十闘何ぽ闘として考へられる。而してそれだけが一括して共一定の弊働者
に劃する待遇として考へられる。 理論の上からは、又は客観的には、持銀をあくまで一の債格でるるとはいふも
の L、畑町働費貿の営事者自身にとっては共人に針して興へらる L待遇に外・ならぬ。労働の供給者は何回闘を自己
の地位に舷やる待過として獲得したるものと考へる。それは共勢力要求を満足せしむるといふ意義を布するもの
である。此何百閣といふ線討の勢力を要求をみたす黙に於行る意義はもとより、それを以て何財が左れだけづ L
第四十九巻
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第五披
町長ひ得らる Lかに装いでゐょう。けれども、それが一日一定められてからは、それ自開一一概の猫立性を布ナる。物
勢力抽象の勢銀論
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勢力抽象の券銀論
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六凡O
第五競
だから仮に物僚が一一割下落
幾百闘の待泌を符るもめ Eまるといふととが仁川らるミ揚 A口にその人の嶋一吻の要求が渦足せらけ山ゐ。
一定の祉舎的地位を占め勢力を有するときには
とれを利用し
食はぬに等しく不自然である。而して此方面に於ける力の欲望の浦足は何百闘の報酬をとり上げた、又は出させ
行使するととによって力の欲望をみたさうとする。勢力をもち友がら、之を行使せねといふととは食物をもって
はいつもそこから生る Lのである。此揚合にも、
しようとするばかりでたく、勢力そもつものはそれを利用しようとする。勢力の加速度的に増加するといふ現象
待過を受けるといふ事貨が自己の力の程度を誇示し得るととに反る。第二は勢力利則の要求である。勢力を獲得
知る人は少いにせよ、 いつも他人の知ることが抽出想せられ期待せられる。それをめあてにすると、此どれだけの
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これが如何なる意味に於て力の欲望と交沙をもつかについては、二のと止が考へられる。第一には誇一不の要求
ふ。それは幾百園といふ待遇そのものが低下せらる Lことを意味するからでるる。
し、従って貨幣界銀を一一割だけ引下げても寅質的に失はる L 所のないにせよ、 さ う す る こ 止 が 強 き 反 抗 に 出 合
の待遇といふととがものをいふ。 それが勢力要求印ち力の欲望の一の針象と友る。
債は例へば上昇し、買ひ得らる L商品の数量は減少するにしても、此濁立性そのものは存績する。而して何百園
占
o 勿 論 と れ だ け の 持 銀 を 以 て 買 入 る L財の放用とても、力の欲笠ム﹂交渉をもたねわけでは友い。それら
欲望の目標をなしてゐるし、 それの新左る所有そのことによって欲望が充足せられる。とのととは、財産何千高
は多︿は力の誇一不に役立つが潟に需要せられる。けれども、 それらを離れて、今や待逼何百固といふことが力の
をもたね
銀の線計によって得らる与ものであり、 これを分析して買ひ得らる Lもの﹄貸質的放肘とは必宇しも直接の交渉
たといふととろに感ぜられる。上にのぺたる勢力の誇示と行使との一一一聞に於ける満足乃至要求は何百圃といふ第
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圃 の 所 有 が そ れ を 以 て 何 を 買 び 貿 ふ も の を 如 何 な る 用 途 に 利 用 す る か と い ふ こ と Lはある程度まで濁立に、即ち
それを考の中に忠ひ浮ぶることなくしで、行はれてゐるのと趣を近くする。此場合の殻別は利用卸ち消費に於け
る 放 肘 で は な い 。 幾 百 圃 の 所 得 を 如 何 に 底 分 す る か と い ふ こ と Lは全くはたれて、それを所有すること獲得する
こと自鑓に伴ふ殻別である。
賓質持銀の低下に劃するよりも貨幣界銀の低下に針ずる抵抗がかへって強いととのあるといふ現象はたピかく
の如くにしてのみ瑚解し得らる Lであらう。貨幣努銀が躍に此貨幣を以て買ぴうるもの L殺 刑 の 線 計 を の み 意 味
T るものである友らば、貨幣労銀の切下げに針ずる挺抗が強力であるといふ事責は如何にして生じ得るか。それ
た己陶慣の騰相川十時一だしぐなみ忙皮♂
が前辿の如ノ¥ 賃貸邦銀に根ざし、 それにもとづいたものではあるが一定の凋立性をもうに及びて、 物慣が若干
とも騰落したところでそれとは必十しも結びつかねところの目憾となる。
て、寅賃労銀が吟味せられそれの改訂の要求が起る。寅質弁銀がある程度の安定性を有することは一の事貨でめ
る。けれども貨幣持銀もまた安定性を有することは他の事定でるる。貨幣労銀は景気竣動を泡じて狩銀が名目的
にさまで愛動せねといふ意味の安定性をもっ。その結果、景気の絶頂に於ては賞質崎町銀の減少、沈滞の底に於て
はそれの増加を伶ふのを一般とする。か︿て、短期をとって見るときには賓質持銀が不断の嬰動にさらされてゐ
る。けれ芝も、長期をとって見るときには、賃貸持銀が物債の著しき場一動にも拘はら宇、脈みとしで一定の生活
標準を維持しうるやう在高さに於て存績ずるのを見る。要するに、貨幣持銀が貧質曲目銀の安定性をは左れてそれ
自 慢 一 定 の 安 定 性 を も っ と い ふ こ と は 、 最 も 注 目 す べ き 事 賓 で る り 、 而 も そ れ は た Y勢力経済の前提をまちての
み説明せられうる。
第四十九巻
六八
第五披
(紙面の都合により末尾白一簡を省略する。この部分は機曾を得て護表したいつも習でめる。(昭和十四年十月五日)
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