1/4 World Trends マクロ経済分析レポート 「徳俵」に足が掛かりつつあるブラジル経済 ~金融市場の懸念要因はすべてブラジル経済にもマイナス要因に~ 発表日:2016年1月21日(木) 第一生命経済研究所 経済調査部 担当 主席エコノミスト 西濵 徹(03-5221-4522) (要旨) 足下の国際金融市場では、世界的な原油需給の緩みを理由に原油安が一段と進んでいる。世界的な原油供 給がなかなか抑えられない一方、中国をはじめとする新興国の景気減速は需要鈍化を招いている。原油安 の長期化はいわゆる「オイルマネー」の逆流を警戒する動きに繋がり、年明け以降の金融市場の混乱を増 幅されている。ただし、こうした展開が早期に収束する可能性については依然不透明な状況にある。 資源国であるブラジルにとり、原油をはじめとする国際商品市況の低迷は景気の重石になっている。中国 の景気減速は量、価格の両面で輸出の足を引っ張り、米国による金融政策の正常化に伴う世界的なマネー の変化は信用収縮を通じて内需の足かせとなる。景気低迷で財政が悪化するなか、経常赤字も圧縮出来ず ファンダメンタルズは悪化し、金融市場の状況に脆弱な構造を有することもマイナス要因となっている。 こうしたなか、ブラジル中銀は事前予想に反して政策金利を据え置き、景気を重視する姿勢をみせた。た だ、インフレが高止まりする中でのこの対応は同行に「外圧に屈した」との評価を招きかねない。同国発 のソブリン危機に陥るリスクは低いが、民間債務の行方は金融市場の動揺に繋がるリスクが懸念される。 レアル相場についても原油安などを理由に一段と下押し圧力が強まる可能性には注意が必要である。 《原油安、中国の景気減速、米利上げのすべてが経済の重石となり、ブラジルを取り巻く環境は一段と難儀なものに》 足下の国際金融市場では、先行きにおける世界的な需給の緩みを警戒する動きを反映して原油をはじめとする 国際商品市況の調整が進んでいる。年明け直後にサウジアラビアがイランに対して国交断絶を宣言し、GCC (湾岸協力理事会)諸国はサウジに同調する動きをみせるなど、中東情勢を巡っては混迷の度合いが高まって いる。その一方で、サウジとイランが事を構える可能性は依然として低いために、対立をきっかけに原油供給 が急激に抑えられる可能性は低いとみられる。さらに、来月にもイランが国際市場に原油を輸出する機運が高 まるなか、サウジは対抗措置として原油輸出を維持する姿 図 1 国際原油市況(WTI)の推移 勢をみせるなど、当面中東産原油の供給圧力は高まる環境 にある。また、先月行われたOPEC(原油輸出国機構) 総会ではその機能不全があらためて確認されており、足下 では緊急会合の開催を要請する動きもみられるが、そのな かで共同歩調を採ることが出来るかは不透明である。翻っ て非OPEC諸国をみると、米国では足下の原油相場の水 準ではシェールオイルの採掘が難しくなっているほか、カ ナダでもサンドオイルの採算ラインを大きく下回るなど供 (出所)Thomson Reuters より第一生命経済研究所作成 給に支障が出るとの見方がある一方、ロシアでは依然供給を拡大させる動きが続いている。ロシアは昨年から 通貨ルーブルを変動相場制に移行させており、足下では原油安に歩調を併せる形でルーブル安が進んだため、 通貨を米ドルとペッグ(固定)させている中東産油国に比べて容易に輸出振興を図ることが可能になっている。 多くの産油国では財政収入の太宗を原油・天然ガス収入に依存するなか、一昨年後半以降の原油相場の調整を 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 2/4 理由に歳入に下押し圧力が掛かったことで財政状況は急速に悪化しており、歳入確保の観点から原油輸出を維 持する必要に迫られている可能性もある。こうしたことも、原油相場が大きく低下しているにも拘らず世界的 な原油供給に調整圧力が掛かりにくい一因になっていると考えられる。他方、需要面では中国経済が以前のよ うな勢いを欠く展開となるなか、中国の景気減速自体が新興国や資源国の足を引っ張る形で世界経済全体の重 石となるなど、需要が盛り上がりにくい状況が続いている。結果、先行きにおいては原油の需給が緩みやすい との観測に繋がり、金融市場においては原油相場の上値の重い展開が続くとの見方が強まっている。原油安は 直接的には輸入国を中心に経済にとってプラスになる一方、近年は産油国を中心に原油収入を原資とするソブ リン・ウェルス・ファンド(SWF)を設立する動きが広がるなか、国際金融市場ではSWFの資金が勢いを 図 2 SWF 全体の資産規模の推移 増してきた。研究機関によると、昨年末時点におけるSW Fの資産規模は 7.2 兆ドルに達するが、その規模は昨年初 めをピークに減少基調を強めており、特に原油及び天然ガ ス収入を原資とするSWFを中心に資産規模を縮小させる 動きが出ている。原油安が今後も長期化する事態となれば、 産油国においては財政欠陥を補てんする観点からSWFの 資産規模を縮小させる動きが一段と強まるとの見方が出て おり、それが現実化した場合はいわゆる「オイルマネー」 が国際金融市場から退出することで、様々な資産市場に悪 (出所)Sovereign Wealth Fund Institute (SWFI)より作成 影響が出ることが懸念されている。こうした状況に加え、昨年末以降の米国による金融政策の正常化に向けた 取り組みを背景に、世界的なマネーの動きが大きく変化するとの見方が出ていることも重なり、年明け以降の 国際金融市場における動揺が一段と増幅された可能性が考えられる。 こうした原油をはじめとする国際商品市況の下落は、世界有数の資源輸出国であるブラジル経済にとっては交 易条件の悪化を通じて景気の足かせとなる状況が続いている。さらに、ここ数年は米国による金融政策の正常 化プロセスが意識されるなか、それまで高い収益を求める形で流入が続いてきた海外資金が流出に転じており、 慢性的な経常赤字を抱えるなど経済活動に必要な資金を国内で賄うことが出来ない同国経済にとっては重石と なる展開が続いてきた。2000 年代を通じて新興国の雄である「BRICs」の一角に数えられるなど世界経 済での存在感を高めてきたブラジルは、その背景として2億人を上回る人口規模とその消費意欲の高さを背景 にした旺盛な内需が経済成長をけん引することが特徴になってきた。ブラジルでは 1980 年代や 90 年代に発生 した経済危機を契機にハイパーインフレに陥り、その後も慢性的なインフレが国内経済のボトルネックとなる 展開が続いてきたが、2000 年代半ば以降はインフレが以前に比べて沈静化するなど大きく環境が変化してき た。事実、インフレ抑制に伴い金利水準が低下した結果、家計部門などは借入を通じた消費活動を活発化させ たほか、海外資金の流入による国内金融市場の信用拡大はこうした動きを後押ししたことで旺盛な内需に繋が ったと考えられる。いわゆる「リーマン・ショック」を契機にした世界金融危機を経て一旦はこうした動きは 後退したものの、中国による大規模景気対策を追い風に新興国、特に資源国景気が勢いを取り戻し、ブラジル 経済もその恩恵を受けたことは海外資金の流入を一段と加速させた。しかしながら、ここ数年は中国が中長期 的な持続可能な安定成長を目指す「新常態」入りを図る経済政策の方針転換を機に、新興国及び資源国経済に 下押し圧力が掛かるなか、ブラジル経済にとっては輸出に価格、数量の両面から重石となり、それに伴う景気 減速を理由に海外資金が流出に転じたことで国内金融市場では信用収縮圧力が強まる事態となる。結果、金融 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 3/4 図 3 経常収支・プライマリー収支/GDP 比の推移 市場における信用収縮圧力は、2000 年代を通じて経済成長 をけん引してきた内需を下押しすることでブラジル経済の 重石となっており、足下では景気後退局面が深刻化する展 開に至っている。さらに、1994 年のレアルプラン後はプラ イマリー収支の黒字化を財政目標に掲げるなど同国政府は 財政健全化に向けた努力を継続してきたが、このところの 景気後退による財政状況の急激な悪化を受けて一昨年はプ ライマリー収支が赤字に転じ、昨年も2年連続で赤字とな (出所)CEIC より第一生命経済研究所作成 る上にGDP比の赤字幅は拡大する見通しが強まっている。 よって、財政健全化への取り組みが不可避になっているが、これまで増税や補助金削減に伴う公共料金引き上 げなどは物価上昇を招いているほか、景気下支えや今年開催される五輪・パラリンピックに向けた公共支出の 増大は財政に対する負荷を招くなど有効策を打ち出すことが出来ていない。ルセフ大統領についても大統領及 び与党周辺で国営石油公社(ペトロブラス)に関連する汚職問題が取り沙汰されるなかで指導力が損なわれる 展開が続いており、先月には財政政策を巡り大統領と対立してきたレビ前財務相を更迭、バルボサ前企画・予 算管理相を新財務相とする人事交代に踏み切っている。バルボサ新財務相はレビ前財務相が進めた緊縮財政策 に強硬に反対する姿勢を示してきたが、就任会見に際しては財政健全姿勢を維持する考えをみせるなど金融市 場への配慮を滲ませるも不透明感がくすぶっていることは否めない。さらに、原油をはじめとする国際商品市 況の調整が重石となる形で経常赤字の圧縮もなかなか進まないなど、マクロ経済のファンダメンタルズ(基礎 的条件)の改善は進んでおらず、世界的なマネーの動揺に対して構造的に脆弱であることもブラジル経済にと ってはマイナス要因になっている。 こうしたなか、ブラジル中銀は 19~20 日の日程で定例の金融政策委員会を開催し、政策金利であるSeli cを4回連続で 14.25%に据え置く決定を行った。事前の市場予想においては、12 月のインフレ率が前年同月 比+10.67%、コアインフレ率も同+8.86%に一段と加速し、ともに同行の定めるインフレ目標(4.5±2%) の範囲を大きく上回る水準にあるために利上げを予想する 図 4 インフレ率の推移 声が強かったものの、予想に反する形で景気が優先される 格好となった。なお、会合に先立つ形で 19 日に同行のト ンビーニ総裁は異例の声明を発表しており、同声明ではI MF(国際通貨基金)が同日に発表した『世界経済見通し (改訂版)』において 2016 年及び 2017 年の同国の経済見 通しが▲3.5%(改定前は▲2.5%)、+0.0%(改定前は +1.6%)とともに大幅に下方修正したことを受け、「こ の事実は「重大」であり政策判断に考慮する」との考えを (出所)CEIC より第一生命経済研究所作成 示していた。事実、今回の会合では前回に引き続き、8人の政策委員のうち6人が金利据え置きを主張する一 方、2人(マルケス理事(金融システム担当)及びボルポン理事(国際情勢担当))が 50bp の利上げを主張 するなど評決が割れており、中銀内においても意見対立があることが明らかになっている。今回の金利据え置 きの理由について、会合後に発表された声明文では「国内外における不透明感の高まりを考慮した」との考え を示しており、上述に示した年明け以降における国際金融市場の動揺が少なからず影響した可能性は考えられ 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 4/4 る。他方、中銀の金融政策を巡っては、これまで中銀はインフレ抑制を最重要課題に据えることで引き締め姿 勢を堅持して金融市場からの信認を引き留める役割を示してきたが、今回の決定については大統領を中心とす る政府や与党の政治家などをはじめ、経済界や労働組合などからも圧力が強まったなかで「外圧に屈した」と の評価を招くリスクがある。先行きのインフレ率を巡っては、昨年1月に公共料金の大幅引き上げが行われた 反動が出ることで徐々に低下するとの見方がある一方、通貨レアル安に伴う輸入物価の上昇に加え、天候不順 による食料品価格の上昇などの影響が懸念されており、市場においてはインフレ予想が徐々に切り上がる展開 が続いている。同国の外貨準備高は昨年末時点で 3500 億ドル以上有する一方、対外債務に占める短期債務残 高は昨年9月末時点でも 584 億ドルに留まっており、対外債務の太宗を中長期債務や外資系企業などによる親 子間借入が占めていることを勘案すれば、ソブリン債務をきっかけに通貨危機などが発生するリスクは極めて 低い。しかし、国営石油公社については原油安の長期化により業績に下押し圧力が掛かる懸念があるほか、上 述のように政治疑獄の真っ只中にあるなど市場からの信認も低下するなか、昨年末には主要格付機関3社のう ち2社が同国のソブリン格付(外貨建長期信用格付)を「投資不適格」にしており、ソブリンシーリングの考 えに基づけばすべての格付機関が同社を「投資不適格」としていることとなる。同社は株式市場のみならず社 債市場において極めて高い存在感を有していることを勘案すれば、同社の資金繰りを巡る動向はブラジル金融 市場の生殺与奪を完全に握っていると考えられる。その意味において、足下の原油安の長期化も問題ではある が、それ以上にブラジル独自の問題としてルセフ政権の 図 5 レアル相場(対ドル、円)の推移 政治的リーダーシップの欠如とそれに伴う経済政策(財 政、金融政策)の不透明感は、引き続きブラジル経済の 重石となると見込まれる。通常、五輪やパラリンピック といった世界的イベントの開催に際しては、その直前に 景気のピークを迎えることが少なくないとされるなか、 ブラジルはすでに景気低迷状態に陥ったなかで当該イベ ントを実施することになるため、当研究所も今年のブラ ジルの経済成長率は▲3.5%と昨年(同▲3.7%)に続い (出所)CEIC より第一生命経済研究所作成 て2年連続でマイナス成長となることは避けられないと予想する。また、足下の通貨レアルの対ドル為替レー トは昨年9月末に記録した過去最安値を再びうかがう展開をみせているが、上述のように政治及び経済を巡る 不透明感を脱するきっかけを見出しにくい状況にあることを勘案すれば、先行きについても原油相場の動向に 左右されつつ、さらなる下値を探る動きも予想される。今年初めに米調査会社が発表した『世界の 10 大リス ク』では、ブラジルが第8位に挙げられるなど同国に対しては厳しい目が向けられているが、その中でも指摘 されているように今年のブラジルは政治的な混乱が経済を左右する展開が続くと考えられよう。 以 上 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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