Economic Indicators 定例経済指標レポート

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Asia Trends
マクロ経済分析レポート
トルコの孤立を深めかねない「大統領制」
~金融市場はトルコに「狙い」を定める様相へ~
発表日:2016年12月14日(水)
第一生命経済研究所 経済調査部
担当 主席エコノミスト 西濵
徹(03-5221-4522)
(要旨)
 先月来の国際金融市場では米大統領選を経て新興国からの資金流出が強まり、治安面などで不安を抱える
トルコでは通貨リラ相場が最安値を更新、通貨防衛に向けた利上げに追い込まれた。さらに、クーデター
未遂後に政府が強権姿勢を強めたことは経済の下押し圧力となるなか、7-9月期の成長率は7年ぶりの
マイナス成長に転じた。幅広い分野で経済が大きく低迷するなか、政府の政策予見性も大きく後退する事
態が続いており、リラ相場は引き続き下値を探りやすい展開が続く可能性が高いと予想される。
 こうしたなか、与党AKPは議会に対して大統領権限の大幅拡大を盛り込む憲法改正案を上程した。極右
政党であるMHPの協力もあり、改憲可否を巡る国民投票を実施することが可能になる見通しだ。改憲案
ではすでに実質的な大統領制の状態にあるエルドアン政権が法律的に認められる上、権能も大幅に拡大す
る。EUとの関係悪化も懸念されるなか、先行きは財政や対外収支が再び悪化する可能性もある。改憲は
トルコ国民に認められた権利ではあるが、外部環境を見据えた冷静な判断が求められることになろう。
 先月来、国際金融市場においては米大統領選でのトランプ候補の勝利に伴い、次期政権下での大規模減税やイ
ンフラ投資などの実施が景気を押し上げるとの期待を反映して米国への資金回帰の動きが活発化するなか、多
くの新興国では一転して資金流出に見舞われる事態となった。特に、慢性的な経常赤字を抱えるなど対外収支
が脆弱な上、インフレ率も依然高水準で推移するなど経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)が脆弱なトル
コでは、隣国シリアにおけるIS(通称「イスラム国」)を巡る混乱やそれに伴う治安への懸念も相俟って資
金流出圧力が強まった。先月末には通貨リラの対ドル為替レートが最安値を更新するなどリラ安に伴う輸入イ
ンフレ圧力が懸念される事態となったことから、中銀は利上げを実施することでリラ安圧力の沈静化を目指す
状況に追い込まれた(詳細は 11 月 25 日付レポート「トルコ中銀、大統領の意向に反し利上げ断行」をご参照
下さい)。その後は米ドル高圧力が一進一退の動きをみせていることでリラ安圧力にも一服感が窺える状況が
みられるものの、依然としてリラ相場は最安値圏での推移が続くなど厳しい環境に直面していることには変わ
りがない。このようにトルコを取り巻く環境が厳しさを増している背景には、昨年末以降のロシアとの関係悪
化とその後の経済制裁に伴い外需が鈍化したことなどで企業の投資意欲が後退するとともに、雇用環境の悪化
が経済成長のけん引役である個人消費の重石となり、
図 1 実質 GDP 成長率の推移
景気に下押し圧力が掛かっていることも大きく影響し
ている。さらに、今年7月に発生したクーデター未遂
事件は早期に事態収拾が図られたものの、その後は大
統領を中心にクーデター関係者の粛清に動いているほ
か、この期に乗じてクルド系住民の拘束を進めるなど
強権的な弾圧を進めており、欧米諸国との関係が一段
と悪化する事態を招いている。このところのトルコ経
済はじわじわと悪化基調が強まる展開が続いてきたな
(出所)CEIC より第一生命経済研究所作成, 季調値は当社試算
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判
断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一
生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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か、国内外においては足下の状況は一段と悪化しているとの見方が強まっていた。こうしたなかで発表された
7-9月期の実質GDP成長率は前年同期比▲1.84%となり、いわゆる「リーマン・ショック」に始まる世界
金融危機の影響が残った 2009 年7-9月期以来7年ぶりのマイナス成長となるなど景気が急激に悪化している
様子が確認された。今回の統計発表に際しては統計の基準年度の変更に加えて算出方法を欧州基準に併せる調
整が行われたが、前の基準において発表されていた季節調整値の公表が見送られるなど、都合の良い数字のみ
を公表している疑念が残る。なお、当研究所が試算した季節調整値に基づく前期比年率ベースでも世界金融危
機直後以来となる大幅マイナス成長となっており、足下のトルコ経済が極めて厳しい状況にあると判断出来る。
クーデター未遂事件の発生とその後の当局による弾圧の動きを受けて家計部門のマインドが急速に悪化して個
人消費の重石となったほか、企業マインドの悪化は設備投資を下押ししたことに加え、周辺国との関係悪化は
輸出の大幅な下振れを招いている。政府は景気下支えに向けて公共投資の拡充などに取り組んでいるものの、
民間部門が家計及び企業ともに大きく疲弊している状況
図 2 リラ相場(対ドル、円)の推移
をカバーするには至らなかった。分野別でみても、製造
業や建設業のみならず、内需の低迷などを反映して幅広
くサービス産業でも下押し圧力が掛かるなど総じて調整
模様が広がっており、トルコ経済が急速に疲弊している
様子がうかがえる。足下ではクーデター未遂を経て急速
に悪化した企業マインドに底打ち感が出る動きがみられ
たものの依然回復感に乏しいなか、リラ安の進展が輸入
インフレ圧力を招くことも懸念される上、輸出の約半分
(出所)Thomson Reuters より第一生命経済研究所作成
を占める欧州との関係悪化も外需の足かせとなることが見込まれ、景気回復の道筋はみえにくい展開が予想さ
れる。政府は今月初め、リラ安の喰い止めに向けて財政支出を抑える一方で与信拡大を目指すべく、①経営状
態の悪化した企業向け融資拡充、②投資促進へのインセンティブ付与、③建設部門への税還付を柱とする対策
を実施する一方、政府系金融機関に対して外貨建て取引の縮小を促す姿勢を強調した。また、大統領は国民に
対して保有外貨を金ないしリラに交換するよう訴える動きをみせる一方、先月末に利上げを実施した中銀に対
して利下げを求める姿勢をみせており、中銀は引き続き厳しい政策対応を迫られることになる。こうしたちぐ
はぐな政策対応は金融市場からみれば政策の予見性低下を招くとともに、ファンダメンタルズの脆弱さは投機
家などに対して様々な「仕掛け」を行う隙を与えることに繋がり、当面のリラ相場を巡っては引き続き下値を
探りやすい展開が続くことが懸念されよう。
 こうしたなか、与党公正発展党(AKP)は今月 10 日に国会(大国民議会)に対し、現行憲法下において大
統領が国家元首として「儀礼的な存在」に過ぎない一方、議院内閣制の下で首相が政治的権能を掌握する形か
ら、大統領に行政権限を与えることにより米国やフランスなどと同様の「実権型大統領制」への移行を目指す
憲法改正案を提出した。現行憲法下では大統領は政治的な中立性が求められるとともに政党への所属も認めら
れておらず、AKP党首をユルドゥルム首相が務めるものの、実態としてはエルドアン大統領がAKP内で絶
大な影響力を保持している上に政権運営も担う状況となるなど、事実上の大統領制の様相を呈している。隣国
シリアを巡る情勢が混迷を増すなか、同国内でもクルド人による分離・独立運動なども激化するなど治安に対
する不透明感が高まっており、エルドアン大統領及びAKPは長年に亘って国家の安定を確保する観点から憲
法改正の実現を悲願としてきた。トルコの国会において憲法改正の発議には、①総議席数の3分の2(367 議
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判
断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一
生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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席)以上の賛成がある、ないし、②総議席数の5分の3(330 議席)
図 3 大国民議会の党派別議席数
以上の賛成で改正の可否を問う国民投票が可能となる、という要件
があり、与党AKP(317 議席)は単独でこれらの要件を満たすこ
とが出来ない状況にある。しかしながら、AKPは野党第3党で極
右政党である民族主義者行動党(MHP:40 議席)の強力を取り付
けたことで国民投票を行うことが可能になるとみられており、早け
れば来年春先にも国民投票が実施される見通しとなっている。なお、
憲法改正案では現行憲法下で政治的権能を有する首相職及び首相府
を廃止するとともに、大統領が副大統領や閣僚を指名することが可
能になる上、大統領自身が特定の政党に所属することも可能となる。
(出所)各種報道より作成, 12 月 14 日時点
また、同国では7月のクーデター未遂事件の後に現行憲法上ではユルドゥルム首相に権限がある非常事態宣言
をエルドアン大統領が宣言し、大統領が主催する形で開催される閣議が国会を経ずに国民の権利や自由を制限
することが可能になっているなか、改憲案では非常事態宣言の発出そのものも大統領が行うことになる。さら
に、クーデター未遂事件では軍内に依然としてエルドアン政権に対する反発がくすぶっていることが明らかに
なったが、改憲案では上級幹部以上について大統領が直接任命権を有する形となるなど、これまで以上に大統
領の権限が軍内に浸透することとなる。このように改憲案では大統領権限が絶大なものとなることが見込まれ
るなか、野党は現時点においても非常事態宣言の濫発などを通じて民主主義が形骸化しているなか、法律的に
独裁的な統治体制が認められることになるとして反発を強めている。直近の世論調査などによると、憲法改正
案に対する賛成及び反対票は拮抗しているなか、現時点においては 10%程度が態度を決めかねているとされ
ており、足下で急速に景気悪化が進むなかで今後は賛成票拡大に向けて財政出動による景気浮揚を図ることで
財政的な負担が拡大することが懸念される。また、一昨年末以降の原油安の長期化は経常赤字幅の縮小に繋が
ってきたものの、OPEC(石油輸出国機構)による減産合意に伴い今後は原油相場の底堅い展開も予想され
るなか、これに伴って経常赤字幅が再び拡大に転じることも考えられる。また、クーデター未遂事件の後のエ
ルドアン政権による大規模粛清やメディアに対する弾圧強化の動きを受けて、欧州議会はすでにトルコのEU
(欧州連盟)への加盟交渉を中断する決定を行っているが、一連の改憲に向けた動きを受けて交渉が一段と困
難になることも予想される。このように考えると、先行きにおけるトルコの経済及び外交を取り巻く環境は極
めて厳しいものになることは避けられず、このことは翻って実体経済に悪影響を与える事態も想定される。ト
ルコの国体のあり方をトルコ国民が決めること自体は他国からとやかく言われる筋合いのものではないが、外
部環境を見据えつつ冷静な判断を下すことが望まれる。
以
上
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判
断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一
生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。