朝の法話 第二十六回 一月二十二日 全校の皆さん 、おはようございます。 今朝も釈尊の伝記、入滅についてお話しします。釈尊は生まれ故郷 への旅の途中、自らのいのちの終わりが近いことを知りました。そし て、クシナガラという地に着いたとき、弟子の阿難に向かって、「私は もう疲れ果てた。ここで横になりたい。」と言いました。そして、沙羅 の樹の間に床を用意させ、頭を北に、右脇を下にして右足の上に左足 を重ね、顔を西に向けて静かに横たわりました。 釈尊は、いのちが終わるときを間近に迎えながらも、問い訪ねる人 たちにむかって教えを説き続けました。そして夜中になり、釈尊はま わりの弟子たちを集めて静かに語りました。 「ともに歩んだ弟子達よ、あなた方に告げよう。すべてのものは移ろ いゆくものです。怠ることなく歩みなさい。」この言葉を最後に釈尊は 息を引き取りました。 釈尊はその生涯を通して、私たちに何を呼びかけているのでしょう か。これまでにもお話ししましたが、釈尊は苦悩を見つめ、苦悩を超 える道を明らかにしました。 私たちは物事が思うようにいかないときに悩んだり、苦しんだりし ます。さらに、その原因を自分の外にあるかのように思っています。 また、原因を誰かのせいにしたり、境遇のせいにしたり、自分の能 力のなさを恨んだりすることもあります。ところが、釈尊は苦しみ悩 みのもとは外にあるのではなく、自分自身のとらわれ、「執着」にある ことを明らかにしました。 すべてのものは縁によって成り立っており、移り変わっていきます。 その事実を受け止められず、「こんなはずではなかった。」と、すべて 思い通りにいくはずだという、「執着する心」から離れられないところ に悩み、苦しみの原因があるのです。この執着する心から離れること こそが、苦悩を超える道であると釈尊は明らかにしたのでした。 一年間お送りしました、釈尊伝。皆さんいかがでしたか。この法話 は、釈尊についての知識を増やすものではありません。釈尊の生涯、 教えを通じて、本当の自分自身に気付かされるきっかけなのです。ま た仏教は、特別な能力や厳しい修行を積んだ人だけでなく、どんな人 にも明らかにされる教えでもあります。何故なら、その教えは私たち の生活の中にこそあるからです。伊那西高校で学ぶ私たちは、どんな 境遇からも学べる人でありたいものですね。 これで今年度の朝の法話を終わります。
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