鈴木 清

赤心社初代社長
すず き
きよし
鈴木
清
嘉永元年(1848)-大正 4 年(1915)
《 三田とのゆかり 》
三田屋敷町で江戸詰三田藩家臣喜間太母雅楽の長
男として生まれる。造士館で学び、川本幸民の英蘭
し
ま さん
塾で英学を学ぶ。志摩三商会の設立に参画した。
〈 どんな人? 〉
両親を三田に残し神戸にて志摩三商会で仕事に励むが商売になじめず、宣教師デー
ビスと出会いキリスト教に入信する。布教活動も熱心で宣教師について英語の研鑚を
積み、また宣教師タルカットの日本語教師役を務める。
神戸ホーム開校の際も、当時土地を所有できない外国人宣教師のために鈴木清名義
で土地を買い開校に至る。この学校でキリスト教式結婚式を挙げた。これは、日本に
おけるキリスト教式結婚式の始まりである。
かんづめ
事業の経営にも熱心で、一歩先んずる観があり、当時輸入缶詰の輸入額が巨額に達
していたのを憂い、自ら進んで牛肉缶詰業を開始、大和煮の缶詰を製造販売し大成功
を収める。明治 12 年(1879)には神戸区会議員に選ばれてからは、赤十字社幹事や神
戸商工会議所議員など公共の仕事にも力を尽くした。
明治 13 年(1880)には、士族授産の急から、北海道の開拓事業を計画し、株主の募
集を行い、赤心社を設立し初代社長になる。無資産の人でも入社できるよう株券は小
額かつ 10 年間の分割払いも可能とした。
明治 14 年(1881)、社長に選ばれ、役員に九鬼隆義や白洲退蔵も名を連ねた。本社(神
戸)は社長が指揮、現地は副社長があたることとなった。当時の副社長加藤清徳は現
にしちゃ
地情報や巡視により、日高地方の浦河郡西舎村(現・日高支庁浦河郡浦河町)北部の
荒地を当初の開拓地に選定した。