法話11回

朝の法話
第十一回
七月十日
全校のみなさん、おはようございます。
西高祭も終わり、またふだんの生活が始まりました。一つのことが
終わると、目的がなくなったようになり、なかなか自分の生活のリズ
ムを取り戻せないものですが、早く次の自分の目的を見つけて意味あ
る学校生活を送りたいものです。
さて、今朝も釈尊の伝記を紹介します。シッダールタはさとりを開
いた後、釈迦族出身の尊い方という意味で釈尊と呼ばれました。
前回放送したように、釈尊は「中道」という立場に立つことによっ
て、現実に起こっている事柄をありのまま見据えました。すると、こ
の世にある全てのものは互いに関係し、支え合っていることに気付き
ました。これを「縁起の法」といいます。
私たちが今こうやって生きていることは、どうのように成り立って
いるか考えてみましょう。
まず、私が誕生したことを考えてみてください。親がいないと私は
この世に生まれていません。親だけでなく、親の親、そのまた親とた
くさんの人が命をつないで、関わってくれたおかげで、今、私はここ
にいます。また、今日まで身につけたもの、使ったものも数え切れな
いほどあります。私という存在は決して一人で成り立っているもので
はありません。私をとりまく全ての存在が、何らかの形で私と関わり、
互いに影響しているのです。
また、西高祭に限ったことではありませんが、みんなで何かに取り
組む時に、順調なときは良いのですが、思うようにいかないことに直
面すると心の中で「嫌だな 」と思うこともあ るでしょう。たとえば、
「私は一生懸命仕事をしているのに、あの人はしない」と思った時、
あるいは「面倒くさいから、仕事をさぼろう」と考えたりした時、つ
いつい不満や愚痴をこぼしてしまうことはありませんか。
「縁」について考えてみて下さい。私は他者がいて成り立っている
と同時に、他者を成り立たせています。私たちはついつい、自分の気
にいった人とだけ一緒にいようという意識が働いてしまいますが、じ
つは気にいらない人や、ムカつく人など、いろいろな人がいるからこ
そ、いろんな思いを抱くことができ、意義深い人生を送ることができ
ているのです。
今回の西高祭は学年の垣根を越えて多くの仲間との関わりを持てる
機会でした。思い返すと、まさに「縁」を感じさせてもらえる機会だ
ったともいえるのです。
これで 朝の 法話 を終 わり ます 。