よ り

︵徳 丸 町 ︶
﹃
子どLたちやり奥魃 瘍がたり 麟鸞奥 鰊伝説と民語﹂より
う め い じ ん
島 ラ スを撃 った 弓 颯儡 入
むかし松任の塔宮人幡宮0東の方、加賀の前圏さんの家来で、曲上新保プ介という弓の名人が 掛ました。
そのころ毎朝 のように、東の空に二つの太陽が 働ばり、百姓たちは気味悪が っておびえながら暮らして掛ました。
このことが、ひつしか殿様の耳に入りました。
殿様は、新保ノ介に命じて、徳丸の氏神さまの ﹁
うじろ﹂という境内の 一部に、高さ 一〇〇聞 ︵一人〇メートル︶のやぐらを建て、
そのやぐらに登 って太陽を撃 つように命じました。村人たちも手伝い 一〇〇間のやぐらが出来あがりました。
ある朝、百姓たちが見てひるなかで、新保ノ介はやぐらの上から強掛弓を満月のように引きしばり、二つの太陽をめがけて矢を放
ちました。すゐと、絲まま で晴れて邸た空が急に曇 って、
一つの太陽が西の空にとび去りました。
何爾かた って、京都に三本足の金 のカラスが落ちて死んでいたとのうわさがたち、調べてみると新保 ノ介が放 った矢がささ ってい
ました。
徳丸で射た太陽は、カラスだ ったのです。金が光 って、ちょうど 二つの太陽が のば ったように見えたのです。
今でも、京都駅の近くに鳥 丸と掛う地名がありますが、それはカラスと徳丸の丸を つけたものだと言われて勢ます。