[383]『阿 Q 正伝』から(二) 魯迅小説言語拾零

上野先生と歩こう 中国語遊歩道 『中国のことばと文化Ⅱ』
[383]『阿 Q 正伝』から(二)
魯迅小説言語拾零(50)
(5)「速朽」の文章
“然而要做这一篇速朽的文章,才下笔,便感到万分的困难了。”(さて,この速朽の文章を書こう
として,いざ筆をとってみると,たちまち大きな困難にぶつかった。)
阿 Q の伝記を書くに当たって魯迅は,自分は今から「速朽の文章」を書こうとしていると言うので
ある。もとより「速朽の文章」などということばは存在しない。「不朽の文章」をもじって魯迅が作
ったものに違いない。
「引車売漿者流」のことばで書くのである。「不朽の筆」とは言えないし,伝えようとしている人
物も日雇い農民の阿 Q であって,決して「不朽の人」ではないと言うのである。口語による文学の提
唱であり,文章は文言で書くべきものであるとする人々への皮肉であることは言うまでもない。
(6)某,字某,某地人也
あざな
某, 字 ハ某,某地ノ人ナリ。通常の伝記の書き出しはこうである。例えば,“仲由,字子路,卞人
ベン
也”(仲由,字ハ子路,卞ノ人ナリ)。『史記』仲尼弟子列伝に見える孔子の弟子子路の伝記の書き
出しである。
ところが,阿 Q の姓が何というのかわからない。趙だといううわさもあったが,趙旦那の息子が科
挙の第一段階である秀才の試験にパスした時,阿 Q は老酒をひっかけて,自分は趙旦那と親戚筋で,
お陰で自分まで鼻が高いと躍り上がって喜んだところ,「なに,おれとおまえが親戚だって」と,旦
那から平手打ちをくらわされる。これで趙といううわさも怪しくなった。
(7)阿 Q の Q の字は?
“我又不知道阿 Q 的名字是怎么写的。”(私はまた阿 Q の名はどう書くのかも知らないのだ。)
姓どころか名さえも怪しい。そんな人物の伝記を車を引いて豆乳を売る行商人が使うことばで書こう
というのである。
周りの人々が「阿 Quei」と呼んでいたことだけはわかっている。「阿」の方はまず間違いない。
幼名や大人になってからの通称に「阿」の字を冠するのは,中国,特に華南一帯では今日でも珍しく
ない。阿桂?阿貴?……あれこれ考証してみたが,いずれも決め手を欠く。やむをえず頭文字をとっ
て阿 Q とする。当時誌上で西洋文字の使用を推奨していた『新青年』に追従するようで,いささか癪
ではあるが……。
(8)正喝了两碗黄酒
趙旦那の息子が秀才の試験に受かった時,阿 Q が一杯機嫌で自分は趙旦那と親戚筋であると放言し
て旦那にどやしつけられることは上に見たとおりであるが,ここの原文“阿 Q 正喝了两碗黄酒”の“两
碗”をどう理解するか,ちょっとひっかかる。
阿 Q はそのとき二杯の老酒をひっかけ,……(増田渉訳,角川文庫)
折から二,三杯ひっかけていた阿 Q は,……(竹内好訳,ちくま文庫)
阿 Q はちょうど酒を二杯飲んだところだったが,……(丸山昇訳,新日本文庫)
駒田信二訳,講談社文庫版は丸山訳と同文。
日本語の流れだけを見ると少数派の竹内訳「二,三杯」の方が自然なようであるが,問題はないか。
2014/12/26
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