グロワーム(土ボタル)(古林正夫) それだけの話(増﨑

づ殘
ぎ墨払寺
欝
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、芋・ノ,三二=ご三言1^
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患者いろいろ(12)
グロワーム(土ボタル)
器歳女性、体重認蚫とやや肥満気味。認知症
は多少あるが、応答はふつう。軽い喘鳴、呼吸数
ニュージーランド(NZ)のオークランド郊外
に「グロワーム」で有名な観光地がある。ワイト
モケーブという鍾孚L洞の天井から糸が垂れ下がり、
それに71く滴のようなものがぽつぽつとついていて
29,/m血. SPO.91%にて XRで右下野に肺炎あり、
CRP 18.6 mg/dl, WBC 11700, Hb 8.1 g/d1 にて
入院となる。型どおりの治療で肺炎は一週間で改
善し、陰影も縮小したが食欲不振は続き、 Hb7
g/d1となり、便潜血反応が陽性であった。家族
に説明して、胃からの出血の可能性を話し、胃内
視鏡の必要性と、その際起こりうる合併症にっい
て述べた。すると家族の反応は意外だった。『当
院を今回紹介してくださった、かかりつけのA先
生からも胃の検査をこの数年来勧められている。
しかし、この頃TVや週刊誌などでエライ先生が
「がんで医者にかかったら殺される」といってい
る。肺炎が治ったなら、検査はしないでくださ
い。』と言う。驚いてさらに説明し、この検査だ
けはして帰りなさいと説得した。やっと納得して
行ったGFの結果は^『進行癌』であった。
マスコミによる『近藤現象』がこんなに無責任な
取り返しのつかない悲劇をもたらしている!マス
コミの力はそれこそ魔女の一撃である。一人の人
間を殺せば殺人になるが10万人を殺せば英雄に
なるといったのはチャップリンだったか?
(長崎市片山知之)
青白く光る。細長いガラスの玉スダレといった趣
がある。この光る糸は昆虫の幼虫が作ったもので、
別の昆虫を青い光でおびき寄せてくっつけて食べ
るための手段である。
NZのグロワームはホタルのような昆虫ではな
く、双翅目、つまりガガンボやハエの仲間である。
グロワームを日本言吾でツチボタルと訳すことがあ
るけれど、「ワーム」というのは、本来は地中にい
るミミズのような虫を指す。
ところで、英米のホタルは、日本産のゲンジボ
タルやへイケポタルと違って、雌雄異型であるた
めに、英米言吾ではホタルをファイアー・ワームと
いったファイアー・フライといったりする。
米のホタルの雌は、幼虫時代の姿のままで変態せ
ず、雄のように翅のある甲虫の姿にならない。
かも、日本産のものがフK中で幼虫時代を過ごすの
とは違って陸生であるから、雌はいかにも地虫が
光る、というように見える。だからワームであり、
それに反して雄は光って飛ぶので、フ
「父親とは」
それだけの話
NHKで「どんぶり金魚」という番組をやった。
どんぶりで金魚を飼育する話である。それを見た
母親と娘がデパートで買ってきた。 2週間ほどは
良かったが、だんだん横になったりして金魚は機
嫌が悪そうである。それで思い出したことがある。
私は動物の好きな子供だった。ある日、縁日で小
らってきた。今ならみどり亀だろう
が、当時はそんなものはいない。イシガメかクサ
ガメの子供だった。洗面器に入れておいたが、
を越せなかった。ある日、手足と首を引っ込めた
さなカメ
武
まま、どう突いても動かなくなった。どんな気持
ちだったか、そんなことは覚えていない。だが、
その時の父親の行動をひょんな機会に思い出す。
父はトタン板を持ち出し、金槌と角棒を器用に
使って、四角い筒と座布団のようなものを作った。
いずれも中空になっている。父が何を言ったか、
言葉はひとつも思い出せない。晴れた日の小庭で
のことである。父は左官が使うテコのようなもの
でセメントをこねると、トタン板の型に流し込ん
で、筒と座布団を重ねた。翌日トタン板をはずす
と、セメントの墓が出現した。高さは 5Cmほどの、
しかし立派な墓であった。それから父は、表面に
「カメの墓」と書いた。私は小学3年生であった。
思い出したのは、それだけの話である。
(長崎大学病院長増崎英明)
**原稿募集**「400字の素描」
アー
フライと呼ばれる。因みに、ホタルの腹部の先端
に貯えられているのはルシフェリンという色素と
酵素ルシフェラーゼである。これらがATPの形
をとったエネルギーと結合するときに、触力某反応
によってルシフェリンが冷光を放つのである。
(長崎市古林正夫)
眼科診療所を開業して17年が過ぎた。それま
では福岡県内で大学医局員として勤務していた。
医局では先輩後輩と多くの時間を過ごし、色んな
刺激を受け、私にとっては居心地のよい場所で
あった。何れ地元に戻って開業という思いはあっ
たが、まだまだ先の事と思っていた。
ある日、実家から父親の病気(進行癌)の報せ
が入る。父は地元の先生のご高配により、私が勤
務する病院で手術を受け、落ち着いたところで実
家に戻り地元で御加療頂いた。子供の頃はとても
怖い存在で威厳の有った父が、手術後は少し小さ
く見えた。大学に残るべきか、地元に戻るべきか?
父は小さな有限会社の経営者で、医師の家系では
なかったが、自分の夢を私に託した。
気付くと開業への道を突っ走っていた。山あり
谷ありは勿論のこと、一生懸命さで不安を打ち消
しながら、あっという問に 5年、10年と過ぎ去っ
た。一番不安だったのは、私より2歳弱の長女と
生後2ケ月の次女を連れて見知らぬ地に舞い降り
た妻の方だったのだろう。感謝 1長女は大学1年、
次女も今年大学受.験する年齢になった。私は子供
達にどんな思い出を残すのだろうか
(諌早山本広樹)
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**原稿字数**400字詰原稿用紙1枚ぽっきり。
**原稿内容**まったく自由です。医師会報がより身近なものになれぱ、と願っております0
最近のおもい、近況のあれこれなどをお寄せ下さい。
**原稿締切**なし。但し、原稿が揃った時点で掲載いたします。
**電子メールで送信いただければ幸いです。 E、mail:zimu・ken@nagasaki'med.or.jP 広幸剛系宛
長崎県医師会報第827号平成26年12月
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