横須賀上演会 決定 第1報 2016 年 7 月 30 日(土) 横須賀文化会館 14 時~17 時(予定) 宝永 4(1707)年 11 月 23 日(新暦 12 月 16 日) 、富士山が噴火した。山麓の村々は降砂 に埋まり、田畑は壊滅。だが、領主も幕府も救援の手を打たぬのみか、実力者たちは醜い 派閥争いにあけくれていた。 幕府は急遽、関東群代・伊奈半左衛門に被災地代官の兼務を任命した。ある日、半左衛 門の陣屋に佐太郎、ことら4人の若者が訪れた。かれらは命がけで村の惨状を訴え、助け を乞う。 「食する物は何もなく、鳥さえもさっていった」という話は半左衛門の胸をえぐっ た。 彼は被災地へ急行し農民を励ました。 「お上は決して民を見捨てはしない……」 半左衛門への信頼だけが農民たちの生きる支えとなり、彼もそれにこたえて努力した。 だが、幕府の援助は少なく、田畑の復旧作業は進まず、飢えに倒れる者や故郷を捨てる者 が相次ぐ。 五代将軍綱吉が死去、将軍が代わり政治の実権は柳沢吉保から間部越前守に…。幕府の 実力者たちは交代しても、誰一人として富士山麓に目をむけようとはしなかった。 半左衛門は己の生命と伊奈家の命運を懸けて、時の政治に敢然と反抗することを決意し た。彼の義心に感動した駿府代官・能勢権兵衛は、法を破り幕府の米倉を開くが……。 そして、宝永山が久しぶりに白煙を噴き上げた――。 【チケット販売】 来年 2 月~ (料金未定) お問い合わせ:神奈川みなみ医療生協 本部組織部 齋藤 046-853-8105
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