宅建試験合格までの軌跡 第1期受講生 O さん 平成 20 年 「お前、明日試験行くな」 上司より宅建試験前日に言われた。それから宅建合格までの戦いが始まりました。 試験数か月前「勉強している?何点?」 「まだ 28 点くらいです」適当に答えた。 実際は全く勉強していなかった。前日に「試験何時からだっけ?」一日休めると思ってい たので正確な試験情報は把握していなかった。休みたかったのだ。当然合格できるわけな い。 平成 20 年宅地建物取引主任者試験は無受験で終わった。 平成 21 年 ある日、上司より「夕飯行こうか?」と食事に誘っていただいた。そのお店は高い焼肉店 だったので何か嫌な予感がした。そしてその予感は的中でした。 「宅建勉強会始めるからリーダーやれそうすれば勉強するしかないだろ?」 「いやです」 こんなやり取りが数時間続いき、なぜかにリーダーやることになっていた。 取り調べの自白みたいなものだと思う。今も思い出せません。 残念ながらこの年も合格ラインには届かなかった。 平成 22 年 この年は宅建免許所持者による勉強会が開催された。 結構勉強会に真剣に取り組みましたが、仕事の予定が重なるとそちらを優先していた。 ある日、上司から「優先順位が違うだろ、毎週水曜日に勉強会と決まっているのに後から のアポイントを優先するのはおかしいだろ。だから売れないし宅建にも合格できないのだ よ」 と厳しく言われたのを覚えている。 この年も落ちた。因みに私の妻は合格した。悔しくて泣いた。 平成 23 年 絶対合格するため恥を忍んで妻の某学校のテキストを貰った。 テキストを見るとメモがびっしりで「そりゃ合格するよな」そんな印象だった。 この年は宅建業法満点と法令満点をテーマに勉強した。民法と税などは捨てた。 毎日春日部のデニーズや図書館に仕事中に通った。不思議と受注は調子よかった。 結果は不合格。ラスト 5 分回答の見直しで書き換えてしまったのが失敗だった。 日建学院発表の合格ラインの±1点のマイナスだったので、自分の点数が合格ラインの他 の学校を探す毎日くだらない事をしていた。やはり泣いた。 家族は腫れ物に触るような感じでそれが辛かった。 もう宅建は無理と思いテキストを捨てた。 平成 24 年 「宅建試験はもうやりません」上司に言った。 上司は、最近物忘れが激しいと言いながら嫌なことはよく覚えている。 「おまえあの時○○って言ったよな」とかだ。 「いいからやれ」 「やりません」 ・・・・・このやり取りが数時間続いた。 「わかりましたよ、やればいいんでしょ(怒)」 あまりのしつこさにキレながら机を叩いて言ってしまった。 この年は業法法令中心に民法にも力を入れた。 勉強会もほぼ休まなかった。理由は弁当代積立方式だったのです。 このシステムは毎週お弁当を皆で食べてその代金は積立てられ、どんな理由でも休んだ(遅 れた)人が積み立て分全額支払うシステムです。遅れた時は結構痛かった。 その他の日は、毎日デニーズと図書館、展示場で勉強した。決して自宅勉強と深夜の勉強 はしなかった。 若くないので深夜勉強は頭に入らないのです。 試験 1 週間前はあと 1 点足らないで昨年も落ちたので、税と統計、不動産鑑定に絞って徹 底的に勉強した。意外と捨てる部分です、毎年内容に変化がないので点を取りやすいと思 いました。 試験当日は最寄りの駅についたとき涙ぐんでしまった。 「オレまたここ歩いている」 試験結果は自己採点 38 点、合格ライン 33 点で合格しました。 信じて騙されて諦めるのが合格への近道だったな。 と今は思います 以上
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