十一月X日のこと —— 蝶の遣い 加藤文子

〈那 須 通 信
〉
十一月X日のこと
蝶の遣い
——
加藤文子 朝食をとりながら外を眺めていたら、季節はずれのモンシロチョウが、とまどったように、温室
と外を何度も行き来しているのが見えた。その様子は、こちらの注意を促しているかのようにも思
えた 。 そ ん な 一 日 の は じ ま り だ っ た 。
私の住む平野部では降らないけれど、朝の風の冷たさは
那 須 の 山 の 頂 に 雪 が 懸 か っ て い る 。 ま だ 氷のようだ。ゆっくりすすめてきた盆栽の取り込みも、急がなければならない。
せっせと作業に取り組もうとしながらも、ともすると、晩秋の庭に心をうばわれて手が止まる。
しかも、朝の寒さとは裏腹に、日中は晴れて気温は上昇し、陽気は心地よく、ますます動きを鈍ら
せる 。
む ら さ き と 茶 と 赤 が 精 妙 に 配 色 さ れ た 庭 。
季節もここまで進むと、リンドウの花は日ざしがあってもしっかり開かなくなる。けれど、茎や
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葉をむらさき色に染めてわずかに開いて咲いている姿は、別の美しさがある。
そのように耳は捉えた
——
秋色。植物の生涯から搾り出されたような雅やかな色調は、彼岸のようだと思った。天空から降
りそそぐ光にまぶされた赤銅色の情景を、他に何と呼ぼう。
その秋色のボォーッとしてしまうような陽だまりに突然降りてきた
声がある。
のだが ——
「文 子 さ ん 、 よ く い ら し た わ ね 」
それは盆栽村にいた頃、よく訪ねさせていただいた盆栽園、K園の富美さんの晴れた声だった。
富美さんはいつもそう言って迎えてくれた。あまりに空が青く澄んでいたので、富美さんの晴れ
やか な 声 を 思 い 出 し た の か も し れ な い 。
当時、道をはさんで斜め向かいにK園はあった。近いからというよりも、何より好きだったから
通っ た の で あ る 。
ゆるやかなカー
格子の門構え、陳列室のある主屋へつづく露地からして趣があった。門をくぐり、
ブの露地を抜ける間に、気持ちも落ちついてくるのだった。そこは、世の中の喧騒とはかけ離れた
世界 に 思 わ れ た 。
陳列室の床の間、そして大谷石の床、その他調度の数々……。そうして、季節の盆栽がさりげな
く飾られているのも、床しいふんいきがした。K園の盆栽には独特の品格が備わっている。その品
格は、小さな盆栽から大きなものに至るまで、どれにも等しく感じられた。
くちばし
富美さんが普段身につけていた着物の着こなし、ゆるく締めた帯の感じやお手製の前掛けもすて
きだった。ご主人が亡くなられてからは、たまたま月命日にうかがうと、陳列室の正面の袋戸棚が
まき
わずかに開けてあった。お位牌をのぞかせているのだと笑っていらした。嘴をカチカチ鳴らすので
たの
かっちゃんと名付けたミミズクがいたり、薪でおふろを沸かしていたり……。
しんで生きることは、イコールでつながっている。静かな佇まいの中に、そん
仕 事 す る こ と と 愉
な空 気 が 漂 っ て い た 。
盆 栽 村 開 村 以 来、 ご 主 人 と 共 に た く さ
ん の 愛 好 家 を も て な し た 富 美 さ ん。 青 い
空 の 下 で、 盆 栽 の 取 り 込 み 作 業 を し な が
ら、 富 美 さ ん や K 園 の 風 流 を 想 う の だ っ
作業はあまり、はかどらなかった。
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展景 No. 8
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た。
ムラサキエノコロの最終の姿