ス キ ー リ ゾ ー ト を 日本 の 基幹産業 へ

「スキーをビジネスにしたい」
ループ会長)に言ったのです。
付くのです。勉強だけではモテ
事も模索しました。それがウォ
が通年で働けるように、夏の仕
集客に力を入れ、飛躍的にお
客さんが増えました。スタッフ
アジアを制する、世界を制する
天然資源(雪)があるからです。
手元には高校から蓄え続けた
1000万円の資金。一番お金
難しさにも直面しました。
圧倒的にスキー場にはいい。
て、どんちゃんしているほうが
っています。私たちが目指すべ
クロスプロジェクトグループ代表取締役
隆
Takashi TSUJI
クロスプロジェクトグループ
スキースクールの運営など、数多くの事業を展開。スキ
ー産業を活性化することを目標にグループ展開を進め、
「ノルン水上」
「中央道 伊那スキーリゾート」
「若杉高原
おおや」
「白馬さのさか」
などスキー場運営・経営協力
事業に力を入れ、急成長を遂げている。
スキーリゾートを
日本の基幹産業へ
小学3年生の時、自分の顔を
鏡で見ていてあることに気付き
優人(現クロスプロジェクトグ
ました。このままではモテない
ないと。次に考えたのが、芸能
ータージャンプです。そうして
長野オリンピックを肌で感じ、
と思っていました。なぜなら日
す。しかし、白馬に来て2年目
がかからないスノービジネスは
巷ではスキー場へ行く人が減
ったと言われていますが、業界
ただ単に、スキー場全体の情報
量が減っただけです。
例えば若い女の子の中には
「 八 方 」 を「 は っ ぽ う 」 と 読 め
代の人たちは八方より五
ない人が増えています。白馬で
も、
歳限定で
」も実施しました。年齢層を
リフト券が無料になる「雪マジ
んとタッグを組み、
最初に着手したのがファミリ
ーでした。昨年はリクルートさ
でもっと情報発信するべきです。
するためには、スキー業界全体
報がない状況です。現状を打破
世代は、スキーに関してほぼ情
竜のほうを知っています。若い
20
と。自分の適性を冷静に考え、
スクールを
そうして、 F-style
勉強をがんばりました。しかし、 スタートさせたのです。
人か社長。そんな単純な発想か
高校に進学して、またハタと気
ら起業家を目指したのです。
ました。実はこの時から、私は
どんどん事業を拡大させていき
日本を代表する産業に発展す
るビジネスを探し続け、出合っ
人生を賭けるビジネスに成り得
本には、世界に類をみない程の
の私は、よそ者にもなりきれな
そして今、私たちはスキー場
運営のプロフェッショナルとし
何か。私が出した答えは、スキ
が廃れたわけでも、少子化が影
歳が一区切
歳まで
いは達成されています。
したね」と言われれば、私の想
ートは日本の基幹産業に成りま
あと9年。その時「スキーリゾ
りだと思ったのです。
田信長が好きで、
れは自分が死ぬということ。織
小学3年生の時に気付いたこ
とが、もうひとつあります。そ
てもらいたいのです。
信して、スキーの楽しさを知っ
シニア層へ。とにかく情報を発
徐々に上げていき、ゆくゆくは
19
たのがスキーです。1998年、 本気で日本のスキーリゾートは
歳の転機で
い流れ者だと言われました。よ
て、中国・静之湖スキー場を含
ると思いました。
年かかるとも
そ者になるには
ースクールでした。フリースタ
(笑)
。チャンスであると同時に、 む8カ所のスキー場運営に携わ
イルナショナルチームのヘッド
響しているわけでもありません。
きは、お祭りです。活気があっ
コーチも務めた経験がある角皆
NUMBER
3
[つじ・たかし]1971年6月14日生まれ、兵庫県
出身。父、母の影響で、自宅近くの神鍋高原ス
キー場でスキーに親しむ。起業家を目指しチャ
ンスをうかがい、1998年の長野オリンピックを
契機にスキー業界での起業を決意。自身、年
間滑走日数100日を超えるスキーヤーでもある。
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KEY
PERSON
PHOTO: X-project Group
最初に着手したスノービジネスがスキースクールだ。
スキー場運営を手がける中で、キッズや若年層にス
キーの楽しさを知ってもらうことにも注力している