ハンドルが持っ命の重さ

ハンドルが持つ命の重さ
会社員(
歳)
らないという不安でパニック
になりました。
当時は遺族のお母さん言葉 に何がどのように変わってし
が忘れられず、「死んだ方がい まったのか等、生の声を聞く
葬儀の日、病院に外出許可 いのかも。
」と思うことが何度 ことがき、とても貴重な体験
を貰い、父と葬式に行きまし もありましたが、妻が何度励 をさせていただきました。そ
私の意識が戻ったのは救急 葬式が終わった後、遺影にだ るだけだ、しっかりと向き合 守ることの大切さ、人の命と
いでくれ。
」と言われてしまい、てしまったことから逃げてい とと向き合い、交通ルールを
歳の私 板の支柱に車を激突させまし たが、遺族の方々に「入らな まし、支えてくれ、自分のし して自分の犯してしまったこ
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我をしていたので手術をしま ませんでした。私は病院を退 れました。そして、なぜ、あ 考え直すことが出来ました。
また、辛い思いをして待っ
てしまったのか。」
、「自分が死 いけないことをしてしまった 忘れず、精一杯生きていきま
同乗者の方は4日目、5日 ねば先輩は死なずに済んだの からだと思いました。私が冷 す。
最後に、この手記を読まれ
また、ここ市原刑務所では、 に今一度考えてみて下さい。
その後、検察官送致決定と 交通安全指導、被害者の視点 交通ルールの大切さ、その意
んでした。事故から9日目の なり1年後、裁判が行われま を取り入れた教育等を受け、 味、責任を。そうすれば必ず
第
集(平成 年版)より抜粋
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め脇道に入り、早く帰りたい 私は「なんてことをしてしま しても息子は帰ってこない。 の責任の重さ等も学びました。
いただき、事故後、被害者側
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一心でスピードを出しました。ったんだ。
」
、「取り返しのつか 今ここで死んで罪を償え。
」と 被害者の方の事故後の状況、
その時、後部タイヤからバン ないことをしてしまった。
」と 言われました。そして、自動 PTSDについて罪の重さ等
ッと音がしたかと思うと、す いう思いと、この先どうすれ 車運転過失致死傷で禁錮2年 も学び、実際に交通犯罪の被
はどうなってしまうのか分か 受刑生活を送っています。
ぐに車のバランスが崩れ、2、 ばいいのか分からない、自分 の判決を受け、市原刑務所で 害にあったご遺族の方に来て
3度蛇行した後、道路脇の看
「贖いの日々」
こともあり、渋滞を避けるた 者の方が亡くなったと聞き、 さんが、「お前が誤っても何を ルを持つということについて す。
私はむしゃくしゃしていた 朝、ICUに入っていた同乗 した。その中で被害者のお母 安全に対しての知識、ハンド 交通事故はなくなると思いま
乾杯をして騒ぎ始めました。
私以外の4人全員がビールで うすればいいのか分かりませ
中、コンビニに寄り、やがて、 が一切相手にして貰えず、ど ていました。
ら運転していました。その途 の方の所へ誤りに行きました しまった事から逃げてしまっ れば事故は起きませんでした。ている皆さん、運転をする前
全く動かず、イライラしなが 目と意識が戻らず、私は家族 ではないか。
」と自分の犯して 静に落ち着いて運転をしてい
人達で大渋滞しており、車が
イルミネーションを見に行く しまったと思いました。
なりましたが、クリスマス・ と聞き、私は大変な事をして その時、「なぜ自分が生き残っ 車を運転するという、しては の方々等への感謝の気持ちを
いう理由で私が運転する事に の方がICUに入られている され少年鑑別所に入りました。かを考えると、感情にまかせ てくれている妻や息子、会社
帰り道、年齢が一番若いと したが、手術後、同乗の1人 院した後、家庭裁判所に送致 の時事故が起きてしまったの
かっていました。
時間かけて他県に現場まで向 車の中でした。私自身も大怪 け手を合わせることしか出来 っていかなければと気付かさ は、罪の重さについて、深く
の人達5人と乗り合わせ、3
は鳶職をしており、他の会社 た。
月のある日、当時
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