原 嘉靖 - 代官山音楽院

 ●その楽器は特別な楽器のようですが、どういった楽器な
●実際に工藤さんにお会いしたのは?
のですか?
パリ国際コンクールの半年後、上野文化会館小ホールで凱
今回の楽器はルイ・ロットが 4 代に渡って製作した 1000
旋リサイタルをされた時に初めてお会いしました。その時
本の中で唯一の金製のフルートでした。1869 年にレミュー
に演奏も初めて聴きましたが、楽器が工藤さんに負けてい
ザという方の為に製作されたもので、その後、数十年間行
ると感じました。それだけ工藤さんの演奏は素晴らしいも
方不明になっていましたが、マルセイユ音楽院の教授だっ
のでしたね。
たランパルさんのお父様、故ジョセフ・ランパルさんがパ
リの有名な古物商から金のフルートらしいパーツがあると
●その後も交流はあったのですか?
連絡を受け、発見し購入したそうです。その楽器をランパ
その後は、ヤマハでは新たな試作品のフルートを作り、工
ルさんが使用し、ランパルさんが亡くなられてからは奥様
藤さんが優勝された第 1 回ジャン=ピエール・ランパル国
講師(フルート担当)
がずっと銀行の金庫に大事に保管されています。
際フルートコンクールで使用して頂きました。その時は僕
原 嘉靖
●原先生はランパル氏とは生前から面識があったそうです
藤さんが帰国 ( 来日 ) される度に研究試作品の試奏評価を
が?
して頂いたり、工藤さんが使用されている楽器の修理を
昔ランパルさんが来日された際に浜松に演奏会でいらっ
行っています。なので工藤さんとはもう 30 年以上の付き
東京音楽大学卒、1971 年 4 月ヤマハ株式会社・管教育楽器技
しゃったことがあり、その時にヤマハで開発していた試作
合いになりますね。
術部管楽器設計課入社。長年にわたるフルート・ピッコロの研
究開発、改良業務を通じてヨーロッパ・アメリカの著名なフルー
ティストから信頼を得ている。管楽器設計課長、フルートセン
品のフルートをランパルさんに吹いて頂いたことがきっか
ター長、管楽器設計課主査を経て 2003 年 9 月に定年退職後、
アドバイザーとして研究開発・改良業務へのアドバイス、
専門家・
レスナーへの対応を行っている。フルート工房 HARA 主宰。
世界的フルーティストを支える技術者
原 嘉靖
も聴きに行きましたよ。今回のパリへの出張以外にも、工
けで交流を持つようになりました。その後、来日する度に
ランパルさんから楽器の修理を依頼されるようになりまし
た。
●工藤重典氏とはどういったきっかけで交流を持たれたの
ですか?
元々はランパルさんに紹介して頂いたのがきっかけです。
ランパルさんのフルートを修理した後、最初に吹いて頂い
た試作品のフルートをもう一度吹きたいとおっしゃって下
さり、パリに持ち帰られ、パリ音楽院のレッスンやニース
の講習会で使用されていました。そして、工藤さんがその
フルート担当講師の原先生がパリへ出張されました。出張の目的は故ジャン・ピエー
ル・ランパル氏の楽器を調整すること。ランパル氏が所持していたルイ・ロットの金
製フルートは世界で1つしか製造されていない大変貴重なもの。世界的フルート奏者
の工藤重典氏がその楽器を演奏するとのことで、原先生も技術者として渡仏。その時
の様子を伺いました。
●故 J・P・ランパル氏の楽器を調整することになった経緯
を教えて下さい。
元々、パリのフルートコンベンションでフルート奏者の工
藤重典さんが、オーケストラとモーツァルトのコンチェル
トを演奏することになっており、その際にコンベンション
の目玉としてランパルさんの楽器を使用させて頂きたいと
ランパルさんの奥様にお願いしていたそうです。奥様から
1 週間だけお借りする許可を頂き、工藤さんから楽器の調
整をお願いされ、私が行うことになりました。その際に、
ランパルさんの奥様にも私が調整を行うことを許可して頂
きました。
フルートを使用してパリ国際コンクールに出場され、見事
に優勝されました。ここから工藤さんとのお付き合いが始
●今回、ランパルさんの楽器をお借り出来たのは 1 週間で
まりましたが、この時はまだお会いしたことはありません
したが、調整期間はどれだけあったのですか?
でした。
私が調整したのは、本番前日の午前ですね。午後には工藤
さんにお渡ししました。翌日の本番直前に微調整はしまし
たけどね。
●短時間で調整をするにあたって苦労したことは?
地元で修理をする場合は暫くお預かりしますが、演奏家の
場合、本番が間近に迫っている等で修理に時間を掛けられ
ませんし、時間を掛け過ぎると信用が薄れてしまいますか
らね。技術者はどこを調整しなければならないのかしっか
り見極め、そして短時間で調整しなければなりませんよね。
●リハーサルや本番は聴かれたのですか?
聴きました。ランパルさんの奥様も私のすぐ横で工藤さん
のご家族と一緒に聴かれていましたよ。
●演奏会後、楽器はどうされたのですか?
奥様がすぐに持ち帰られました。恐らくまた銀行の金庫へ
仕舞われたのでしょう。世界のフルート界と奥様にとって、
あの楽器は宝物ですからね。