1 「一般教育研究」 創刊のあいさつ

静岡県立大学短期大学部
一般教育研究会誌(1)-1(2001)
「一般教育研究」 創刊のあいさつ
梅田祐喜
「一般教育学会」の発足、およびその会誌「一般教育研究」の発刊
にあたり、小感を一筆いたします。しばらく目をとめていただけれ
ば、うれしいかぎりです。
大学教育は、一般教育(教養教育)と専門教育の太い二本の柱に
よって組み立てられています。これは、大学が勝手にそう決めて、
そうなっているというのではありません。人生がそうなっているか
らなのです。
この世では、誰もが何かの専門をもって生きています。例えば、
看護士とか、介護士とかいうように、専門が仕事になっています。
「士」がつく仕事は、資格があっていかにも専門職のようにみえま
すが、「士」がつかない町の電気屋さんもデジタルや IT 関連の「専
門的な」知識がなければ、商売になりません。
このように「専門」は仕事に直結しているわけですから、まっす
ぐに生きることにつながっているようにみえます。しかし、生きる
ことはそのまま「専門」に重なるかというと、そんなことはありま
せん。
「専門」の知識だけで、この世を渡っていけるとは、誰も思って
いません。愛の専門家というのはいませんし、結婚の専門家という
のも、まして上手に死ねる死の専門家というものなどありません。
その都度そのつど自分で人生の事態に直面し、自分で考えなければ
なりません。そこで、よく耕された「教養」というものが役に立っ
てくるのです。
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一般教育研究会誌(1)-1(2001)
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このあたりまでは誰でも感じていることです。しかし、「教養」
が役立つのは、「専門」そのものの渦中においてなのです。
「専門」的な知識・技能には、実に致命的な弱点があります。「専
門」の専門的な弱点は、「専門」的な知識・技能はすぐに役にたた
なくなるということです。「専門」が実用的・即効的であればある
ほど、それはすぐに非実用的なものに転化します。このように、知
識は日々更新され、日々古くなっていきます。
それが知識の宿命というものです。専門的な知識の最先端は、い
つも無知に接しています。どう考えたらいいか、誰も分からない、
誰も知らない場所に、それは立っているからです。その時、専門家
は素人と同じなのです。偉大な学者が謙虚であるのは、そのためで
す。
知識が古くなり、新しい知識に対面するとき、その時、深く耕さ
れた「教養」 が役にたって くれるのです 。「教 養」は、culture の
翻訳語として受け取られてきました。
この culture の語源を遠くラテ ン語にた どると、このことばの
もととなったラテン語の動詞 colere は「住む、耕す、祈る」の三
つの意味をもっていました。この世にあって(住んで)、耕し、人
間の限界に直面したときは祈るほかない、そういう人間の在り方を
そっくりそのまま表すようなことばです。
「耕す」とはどういうことでしょうか。例えば、非専門家として、
素人として「生物学」の本に接します。そこでは、人間は動物と同
じか、それ以下のものとして講義が展開されています。その時、人
間とは何だろうという問いに直面して、考えることが始まります。
それを耕すことだといっていいと思います。
静岡県立大学短期大学部
一般教育研究会誌(1)-1(2001)
「専門」が更新され、廃棄され、新たな知識と技能に直面すると
き、そのときの柔軟な構えを用意してくれるものが、この広く、深
く耕された精神、いいかえれば教養なのです。
チェコの小説家ミラン・クンデラは『無知』という作品に「人間
は恋愛の何かを知らずに恋愛し、結婚の何かを知らずに結婚し、や
がて老いとは何かを知らず老いていく。老人は無知な子供なのだ」
ということばがあります。これは、人生を悲観的にみたことばのよ
うにも見えますが、そうではなく私たちは人生の素人として人生を
生きているのだという、人生の危機をその都度乗り越えてきた、作
家クンデラの深く耕されたことばなのです。
このウェブ上に公開される「一般教育研究」は、ですから、一般
教養の先生方のみならず、専門の先生方、学生のみなさん、卒業生
のみなさんが、「素人」として出会う生活の交差点、人生のアゴラ
であればいいと思います。アゴラとは、人々が出会い、活気づく広
場のことです。
ここには、「一般教養」にかんする専門的な(上の意味では素人
的な)考察が発表されるかもしれません。あるいは、時代のトピッ
クスが素人にわかるような表現で、専門的にその断面を解説する論
考が載るかもしれません。あるいは、専門で硬直した頭をほぐす思
いきりナンセンスな話しが書かれるかもしれません。
先日、NHK で、アメリカで真剣に取り組まれている、地球環境
破壊後の火星への人類移住計画とやらを見ました。冷却している火
星をまず暖めなければなりません。そのため、地球がそうなったよ
うに、二酸化炭素を何十年計画で空中に放出して、火星を暖め、地
中の氷を溶かして、水を作るというのが第 1 段の計画です。深夜
一人大笑いしましたが、これほどの驚きとおかしさをもって人間を
考えさせられたことはありませんでしたね。深く耕されました。そ
んな報告も歓迎されます。
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一般教育研究会誌(1)-1(2001)
そして、この「一般教育研究」がみなさんとともに成長していく
ことを祈ってやみません。なにしろ 76 歳、あるいは 84 歳と人生
は続くのです。この人生をささえてくれるものは、広く、深く耕さ
れた教養を措いて他にないのですから。
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