社会福祉法人 白梅会 御幸南保育所 2015 年 10 月 13 日号 SHIRAUMEKAISHIRAUMEKAISHIRAUMEKAISHIRAUMEKAI 所長だより SHIRAUMEKAISHIRAUMEKAISHIRAUMEKAISHIRAUMEKAI 「こくさいこどもフォーラム岡山」高校生懸賞論文 「感謝の心で」 おかやま山陽高1年 ビラン・アンドレ 私には5人の母がいます。私はフィリピンで薬物中毒の両親の子どもとして生ま れました。母は私を出産後、父から渡されたミルク代で自分の薬物を買い、私には 砂糖水だけを飲ませていました。そんな母のそばで、弱々しく泣く 1200 グラムの未 熟児で今にも死にそうだった私を見つけてくれたのは、日本からフィリピンに来て いた一人の女性でした。母はその人の前で自分の子どもである私を捨てました。死 にそうな赤ちゃんを助けたその女性は、自分の子どものように大切に育てましたが、 日本に帰らなければならない日が来たのです。その時「日本で落ちついたら自分の子 どもとして引き取りに来るから」とフィリピンの女性3人に頼んで帰国しました。 3人の女性を次々に母親だと思って、フィリピンで生活していた私が8歳の時、 その母親達から本当のことを知らされたのです。その時、私には血のつながった家 族がいないことが信じられませんでした。しかし、そんな私を本当の息子のように 思ってくれている日本の母がいて、将来は息子として日本へ迎え入れてくれること になっていることも知りました。その時、私の心に空いた大きな穴に一筋の光が射 し込んだように思いました。 その日から私は日本での生活を楽しみにしていました。しかし9歳の時、日本の 母から「今の法律では何の関係もないフィリピンの子どもを日本に連れてくること はできない。人身売買になるかもしれないので許可されない」という連絡が入ったの です。思いがけない言葉に私はどうして良いか分かりませんでした。 そんな 10 歳の時、世話をしてくれていたフィリピンの母が日本の九州で生活する ことになり、その人と養子縁組をすれば日本に行くことができると知らされました。 そこで多くの人と話し合いがあり、その人と養子縁組を結び、日本に来たのです。 九州で2ヶ月間生活した後、法律的には親子関係にはなれませんが、母のように慕 っていた岡山に住む今の母との生活が許されたのです。多くの人の支援により、今 は心から待ち望んでいた今の母との生活が出来ています。 今、日本に来て5年になりました。初めは日本語が全く分かりませんでしたが、 母は仕事で忙しいにもかかわらず、毎週日本語教室へ連れて行ってくれました。教 室では、ずっと母が私の様子を温かく優しく見守ってくれ、安心して日本語を勉強 することができました。そのおかげで、今私は日本語を話すだけではなく、読むこ とも書くこともできるようになりました。そしてこの4月からは充実した高校生活 も送れています。こんなに楽しい生活が送れるのも、愛情を込めて私を育ててくれ ている母のおかげなのです。 母は私に自分自身のルーツをしっかりと理解し、自 分にプライドを持って堂々と生きるように言います。そして、誰が見ても恥ずかし くない生き方をし、常に自分を成長させ、輝かせることが大事だとも話してくれま す。 現在、様々な事情により本当の親と一緒に暮らせない子どもや私のように見捨て られた子どもが世界には約1億 5000 万人以上いると言われています。誰にも救われ ずストリートチルドレンとして一人で生活する子ども、家族を支えるために学校に 行かず働き手として仕事をさせられている子どもなど、子どもらしい生き方が出来 ていない子どもが多くいるのです。また、人身売買の犠牲となる子どもが年間 100 万人から 200 万人とも言われています。 幸い私は、今の母に生後 20 日で救われ、4人の母の手により、命をつなぎとめま した。そして、今ではこの日本で大好きな勉強だけでなく、フィリピンで出来なか った野球を思う存分することが出来ています。しかし、今まで何度も私を産んだ母 を恨みました。どうして私を捨てたのか。捨てるぐらいなら、なぜ私を産んだのか。 しかし、母が私を産んでくれなければ、今の私は存在しません。そして、多くの人 が私を本当の子どものように育ててくれたからこそ、今の私がいるのです。今私は、 全ての母に感謝をし、私は一分一秒を大切にし、私を産み育ててくれた全ての人に 恩返しが出来るように、自分を成長させていこうと思います。 「不幸の百日より感謝の一日を 憎しみの百日より愛の一日を 失望の百日より 希望の一日を」という河野進さんの言葉のように、私は愛にあふれた日々を感謝の心 で過ごしたいのです。 そして、私は将来、小学校の先生になりたいと思っています。私が今までしても らってきたように、子ども達に愛を持って接し、厳しく優しく、これからに次代を 担う子ども達を育てたいと思っています。そして、日本だけではなく、わたしの故 郷であるフィリピンにおいても、自分と同じ境遇の子ども達に愛の手を差し伸べ、 力になりたいのです。 日本とフィリピンの子ども達が夢に向かって頑張れるような環境づくりの手助け がしたいと思っています。 (参照;2015 年 7 月 27 日山陽新聞より) 国際社会で活躍できる人材の養成に取り組む「こくさいこどもフォーラム岡山」が募った高校生懸賞論 文で、おかやま山陽高1年ビラン・アンドレ君が最優秀賞に輝いた。先日、NHK 生番組で「さだまさし」 により紹介された。
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