[大凧あげ祭り] 国選択無形民俗文化財(平成3年指定) 毎年5月3日、5月5日開催 江戸後期から続く 伝統の大凧あげ祭り 西 宝 珠 花 の江戸川河川敷で、毎年開催。 に し ほ う し ゅ ば な 春日部の大凧あげ祭りは、東近江大凧まつり (滋賀)、 相模の大凧まつり (神奈川) と並ぶ、 日本の三大大凧祭りの一つだ。 江戸時代から170年続く伝統行事の魅力と舞台裏に迫る。 江戸川の大空に舞う 100畳敷の大凧 春 日 部の大 凧は全 国でも 有 数の大 き さ だ 。縦 の 長 さ が メ ー ト ル 、横 が 11 しも わか どもたちがあげる約 畳の小凧も作る。 りずつの大 凧を制 作している。地 元の子 月もの時間をかけ、和紙と竹で毎年1張 若組と下若組に分かれ、それぞれが3か わか 作っているのは春日 部 市「庄 和 大 凧 文 かみ 化保存会」(以下、保存会)だ。保存会は上 さも800キロと半端ではない。 例 えれ ば 4 ~ 5 階 建てに相 当 する。重 メー トル。畳でいうと 1 0 0 畳 、ビルに 15 万人の観衆が見守る 走れ!」 「全 力 だ!」。大 凧はぐんぐんあ が ふ わ り と 舞い 上 が り 始 め た 。 「もっと 声に、百 数 十 人 が一斉に走 り 出 す。大 凧 「走 れ!」 「走 れ!」。江 戸 川に響 き 渡る 長がけたたましく鐘を鳴らす。 「その時 」が 来 た 。 「 カ ラン、カ ラン」、組 なか、凧が風をはらみ、ゆらりと波打つ。 を待つ。引き手と 長。大凧に寄り添い、風を読み、「その時」 つ。合 図 を 送るのは上 若 組・下 若 組 の 組 江戸川の土手に横たわる大凧。引き手 はあげ綱を握り締め、河川敷で合図を待 からの参加者も含め、百数十人である。 祭り当日、大 凧をあげるのは、保 存 会 のメンバーや 市 民 を 中 心に、市 外 、県 外 う」お祭りなのだ。 「 子 ど も た ちの健 康 と 幸 福 な 成 長 を 願 前 を 書いた 紙 が 貼 ら れる 。大 凧 あ げ は 大 凧には、毎 年 公 募で選 ばれた 文 字 が 書 か れ、初 節 句 を 迎 え た 子 ど もの名 15 5 2 がり 、頭 上の勇 壮 な 姿に観 衆 か ら 大 き な歓声が湧く。 凧があがる瞬間、全身に 伝わる感覚がやみつきに と語るのは保存会の加藤宏さん。大凧 に魅せられ、 年 以 上 携 わっている。隣 つきになっちゃうんだよ」 わってくる。それが忘れられなくて、やみ から全 身へと、何ともいえない感 覚が伝 「凧 があがるあの瞬 間 、綱 から 腕に、腕 凧は「1畳に一人の引き手」 と言われ、100畳であれば最低100人だが、 風が強い日はさらに多くの引き手が必要とされる。 で頷く保存会の伊藤正一副会長が、 「凧 あ げは、風 、いわ ば自 然との勝 負 だ か ら 、毎 年 その感 覚 は 違 う 。でも 、綱の 先 頭 だろうが、最 後 だろうが、あがる瞬 間、綱を握っていた人 だけが平 等に味わ えるものなんです」と加えた。 戻ってきて、あらためて大 凧に関わる人 子どもの頃に凧あげの感覚を知ると、 一度 離れても、大 人になるとまた地 元に が少なくないという。 3 65 れいに見 えると、この風 が 吹いているこ とが多いという。 二つ目が作り方。ちゃんとできていれ ば、ちゃんとあがる。実は、保管場所のな 養蚕の豊作占いに始まる 宝珠花地区の凧あげ 大 凧 あ げ 祭 りの起 源は、江 戸 時 代 後 期、天 保 ( 1 8 4 1 )年と伝 えられて 一体になっていい仕 事 をしないと、なか 「つまり、凧を制作する人とあげる人が が、 いかにまとまるかが鍵を握る。 三つ目は引き手のチームワーク。当日 になって 初 めて 会 う 人 ば か りのチー ム れば、凧の出来のよしあしもわからない。 日。 いわばぶっつけ本番だ。あげてみなけ げて繭の豊作を占うようになった。 いうわけ だ。以 来 、宝 珠 花では、凧 をあ 「凧があがれば、繭の値 段が上がる」と してはどうか」と勧めた。 めて、 「凧 あげをして養 蚕の豊 作 占いを 田県山本郡) の僧、浄 信が、巡 礼で宝 珠 いる。この年 、出 羽 国 山 本 郡( 現 在の秋 い大凧を最終的に仕上げるのは、祭り当 なかいい凧 あげにはならないんですよ」 当 時 は 舟 による 交 通 や 運 送 が 主 流 で凧 が 自 ら あ がろ う と する 瞬 間 が あ が凧の下に入 り 込み、凧 がゆ れる。まる う だ け。凧の表 情 を 見つめていると、風 「我 々は凧 があがろうと するのを 手 伝 楽しさも、大 凧 あげの大 きな魅 力の一つ 士が涙を流して喜び合う。 一致団結する 達 成 感に胸 が 熱 くな り 、知 ら ない者 同 らこそ、成功の暁には全員でやり遂げた 役割を果たして初めて凧があがる。だか ために邁 進 する。 一人ひとりがきちんと まゆ 花の小 流 寺に宿 泊 し、土 地の人 々 を 集 (伊 藤 副 会 長) る。そのタイミングを見 極めるのが大 切 なのだ。 1 0 0 人 以 上の大 人が集 結し、「凧を 作ってあ げる」という た だ一つの目 標の なんです」と伊藤副会長。 凧はあげるものじゃない 手伝うだけなんだ 1 凧があがろうとする「その時」まで、 時間以上待つこともあるし、「その時」が 来 ないまま、あがらない年 もある。だか らこそ、凧があがった瞬 間に立 ち会える 喜びはひとしおなのだ。 凧 が あ がる 重 要 な 条 件 は 、主 に 三つ ある。 一つ目は、何といっても風だ。 凧がよくあがるんですよ」(加藤さん) 「筑 波 山がきれいに見 えると、たいてい 現 在の会 場で、凧 がよくあがるのは、 南 東の風が吹いているとき。筑 波 山がき 12 大凧には初節句の子どもたち(男女)の名前が貼られる。5月3日には、立て かけた大凧の前で健康祈願のお祓いも行われる。市外や県外からの申し 込みも多い(有料)。 4 小凧あげによって子どもたちにも着実に伝統ある 「大凧あげ」の文化が継承されていく。 で、江 戸 川は東 北や関 東一円から江 戸へ の物 流の大 動 脈 だった。宝 珠 花はその交 通の要 所として、また、地 域 経 済の中 心 地として大変栄え、賑わいを見せた。 明 治 期に 入 ると 、そ れ まで 繭の収 穫 前に行っていた 凧 あげを、旧 5 月の端 午 の節 句 に、男 子 出 生 のお 祝いと して 行 うようになった。 明 治 年 ~ 年 代には、家 々で子 ど もの名前や紋章を書いた凧を作り、あげ 小 凧 を 作 った こ と が あ った 。昭 和 ( 1 9 4 2 )年 から 5 年 間 、大 凧 あ げが 17 こ う して 現 在 まで そ の 伝 統 が 続 く かみ しも が、 一度 だ け 上 下 が一緒 になって 大 凧 、 大きな凧を作るようになった。 ら、上 町 と 下 町 各一張 り ずつ、みんなで なくなったことから、明 治 時 代の後 半か る「 喧 嘩 凧 」まで行 わ れた 。喧 嘩 が 絶 え やカミソリをつけて、凧の切り合いをす を競い合い、凧の糸 目 近くのあげ糸に鎌 ていたという 。また 、商 家では 凧の大 小 30 中止された太平洋戦争後のことだ。 5 20 人々の熱い思いが 凧あげの伝統を継承する 1 9 4 7 )年 、宝 珠 花 村では 昭和 ( 大 凧 あ げの復 活 を 誰 も が 待 ち わ びた 。 ンバーは 代から 代までの 名ほど。 とで伝統は継承されていく。 最後に、保存会の糸井順一会長に今年 の祭りにかける意気込みを聞いた。 会 社 員 や 商 店 主 、と び 職 や 建 設 業 な ど さ ま ざ ま な 職 種の人 が 集 ま り 、得 意 分 「子どもたちの誕生を祝い、成長を願う 一日の作 業が終わると、みんなで酒を 酌み交わす。伊藤副会長が語る。 に見ていただきたいですね」 しい。その勇 壮な姿を一人でも多 くの方 大 凧 だから、ぜひ、大 空 高 くあがってほ 野を生かして作 業を進める。すべてが手 「お 酒の場での会 話 は、全 部 凧の話 。み 弁当だ。 二つの組の競 争 心があったからこそ、 地域の伝統が継承されてきたのだ。 んな 好 き だ か ら 何 時 間でも 話せちゃう 風を読み、鐘を鳴らすのは両組長だ。右から阿部義明さん (上若組組長)、伴英彦さん(下若組組長)。 とはいえ、物 資はま だ 十 分ではなく、和 今 年 も「春 日 部の空に舞 う 大 凧 を 感 じたい」と保 存 会の人 々が動 きだした。 うときはこうすればいい、 ってね」 昭和32(1957)年、当時の書体は筆文字だったが、現在は千社文字で書かれている。 ( 笑 )。こん な 歴 史 が あった と か、こ うい ●開催日程/5月3日 (祝) ・5日(祝) ●会場/江戸川河川敷(宝珠花橋下流)大凧あげ祭り会場 ●対象/16歳~60歳で体力に自信のある人 紙 も 配 給 制 。大 凧 を 作 れる 状 況ではな かった。しかし村民たちの願いは叶った。 当 時 、埼 玉 県 か ら「 大 凧 あ げのた め な ら」と特 別に紙を配 給されたという。重 要な文化と考えられていた証である。村 して 凧 を 作った 。 「 民 主 」と 書 か れた 大 の人 々 は 貴 重 な 紙 を 使い、全 員で協 力 凧、 「平 和」と 書 かれた 小 凧 が大 空 を 舞 う姿に、人々は感無量であっただろう。 幾 多の危 機 を 乗 り 越 え、時 代に合 わ せて変 化 しな が ら 、宝 珠 花の大 凧 あ げ は 1 7 0 年 も 受 け 継 がれてき た 。その 理由の一つについて加藤さんは、 「上 若 組と下 若 組は凧の作り方 もあげ 方も違 う。お互いに技 術を競ってきたか ら今があるのかもしれません」と語る。 伊藤副会長も、 「普 段は仲がいいけど、凧あげのときだ けはライバル。相手の凧が落ちれば喜ん 30 上 若 組 も 下 若 組 も 毎 週 末 に 集 まって、 だりしてね」と笑う。 60 幅 広い世 代の人が一緒になって作るだ けでなく、膝を突き合わせて語り合 うこ ※女性は小町凧〔小凧:縦6メートル×横4メートル〕の引き手 ●参加費/無料(法被(はっぴ)を貸し出します) ●定員/各日100人(申し込み順) ●お申し込み方法/4月10日(木) (必着)までに、電話またははがき、 ファックスで「引き手申し込み」 と明記し、申込者の住所・氏名・性別・年齢・ 電話番号をご記入の上、下記までご応募ください。 〒344-8577 春日部市役所商工観光課内 大凧あげ祭り実行委員会事務局 (TEL 048-736-1111、FAX 048-733-3826) ●お問い合わせ/商工観光課(内線3314) 6 http://www.youtube.com/user/KasukabeCity 昨年の大凧あげ祭りの模様は「かすかべ動画チャンネル」でご覧いただけます。 20 凧作りに取り組んでいる。1500枚の 和 紙を一枚一枚 貼りつけたり、骨 造りを したり、当日 まで仕 事は山ほどある。メ 「大凧あげ祭りの引き手」募集 22
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