帰省の思い出(昭和の長野駅) 春原 隆雄(須坂市) JR長野駅の新幹線改札内待合室に、仏閣型の旧長野駅舎の絵が飾られている。 駅舎は昭和11年、当時の善光寺御開帳に合わせ完成し、併せて駅前善光寺口広場 には、善光寺境内に在った「如是姫」像も移設されたとのこと。 当時の駅周辺には高い建物が無かったこともあり、この駅舎の完成は地元住民始め 長野を訪れる人々の、度胆を抜く大きな建物であったようだ。戦時中の金属不足で駅 舎の屋根の銅板や、如是姫像本体も供出の憂き目に会ったが、昭和23年に復元され たと聞く。 長野、上野間が鈍行列車で約半日位かかっていた昭和40年代。 学生で東京に下宿していた私は、帰省の度に長野駅に着くと何故かほっとした。 改札を出て、古里へのバス停に向かうため駅前広場を善光寺参道方面に歩き出す。 すると、例の新幹線待合室に飾られた絵と同じ景色が目の前に現れるのである。 仏閣型駅舎を背景に、噴水の中に柔和な笑みをたたえながら善光寺に向いて香花 (こうげ)をささげる「如是姫」像。仏都長野を象徴する景色に、畏怖の念さえ感じたも のである。 当時、帰省の度に夜行列車もよく利用した。上野発午後11時何分かの列車だっ たが、それに乗ると早朝に長野駅に着く。夏は登山客、で、冬はスキー客ですし詰 め状態の車内は、何時も若者たちの熱気でむせ返っていた。当時はそれが妙に快 感であった。 駅に着くと乗客は夫々に荷物を担ぎ(ほとんどがリュックだった。)改札を出る。そして まず駅の洗面所に行き顔を洗い、一息ついた後は深呼吸しながら駅前広場に出て来 る。その時、運が良ければ朝日に輝く仏閣型駅舎と、広場にたたずむ「如是姫」像の荘 厳な景色を目の当たりにできる。それを見た旅行客が、感動の余り像に向かって合掌し ていたところを何度も目撃した。 その駅舎も、平成10年の長野五輪開催に向けて整備された、北陸新幹線長野開通 を契機に取り壊され、60年余の歴史を閉じた。そして、今年3月には、同新幹線の金沢 延伸に伴い近代的な駅舎に改築される。 セピア色の昭和は遠くなりにけりである。
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