優良賞・共感賞

当たり前の食卓
静浦小中一貫学校 9年 菊地 沙絢
人は大抵一日三食の食事を摂ります。好きな食べ物、嫌
父は治療のため入退院をくり返しました。父が家に帰っ
いな食べ物、人それぞれ好みはありますが、おいしいと感
てきている間は、いつものようにみんなで食卓を囲み、母
じる食事とはどのような食事なのでしょうか。私が思い浮
の作るおいしい料理を食べました。食べ物が飲みこみにく
かぶのはただ一つ。家族が全員そろい、団らんしながら食
い父のために、母は一手間かけて父が食べやすい食事を考
べる食卓です。食事とは、自分の身の周りにいる大切な人
えていました。母がかけるその一手間こそが、食卓を明る
と食べることに意味があると思います。家族全員で食卓を
くし私たちを幸せにしてくれるもとなのでしょう。私は、
囲むということは当たり前のようですが、本当はとても幸
家族全員で食卓を囲める幸せな時間を大切にしようと改
せなことです。私がその幸せを意識するきっかけは二年前
めて感じました。
にありました。
中学一年生の秋、私の父は入院しました。食道にがんが
父は現在、病気にかかる前と同じように大工として働い
ています。前と変わらぬ生活に戻りつつあります。しかし、
見つかったからです。最初は病名も聞かされず、入院する
少しだけ父が変わった部分があります。それは、自ら台所
ということだけが聞かされました。父の体がどんな状態に
に立ち、料理をするようになったところです。今までも母
あるのかわからず、毎日不安だけが募っていきました。い
の手伝い程度に洗い物などをする姿は見てきました。です
つもは強気で弱音を吐かない母も、この時ばかりは私の前
が、今では味噌汁が父の担当となり、毎晩食卓に出してく
で泣く姿を見せました。その時、父は私が思っている以上
れます。その味噌汁は食べ物をふつうに食べることができ
に厄介な病気と戦うのだと察しました。少しでも父と母の
る幸せに気づかされるような味がします。がんと戦った父
力になれるよう、二人に手紙を書きました。そこには、家
は、食に対しての思いが大きく変わったように見えます。
族全員で病気と戦うという決心の文を添えたことを覚え
病気は人を選びません。一生懸命勉強をしていても、真
ています。私はこの時、家族は一つのチームだという考え
面目に働いていても病気は襲ってくることがあります。運
を持つようになりました。
命は変えられません。だからこそ、今ある自分の体を大切
父の闘病生活が始まると、母は毎日病院に通い、帰って
にして下さい。そして家族や身の周りの人の健康にも気を
くるのが遅くなりました。家に一人でいることが増え、食
配って下さい。当たり前のように、何気なく過ごしている
事も一人ですませることがありました。今までは、母の作
日々を振り返ってみて下さい。友達と笑いあえたり、大変
る料理は何でもおいしいと感じていましたが、一人で食べ
な勉強や部活を乗りこえられたりするのは、健康な体と家
ていると目の前は涙で滲み、どうしても味を感じることが
族の支えがあるからこそなのです。
できませんでした。きっと、父も病室で私と同じような思
私は毎日欠かさず一日三食の食事を摂ります。食事は、
いで食事をしていたことでしょう。食べることが大好きな
家族や身の周りにいる大切な人と食べることが大切です。
父なので、食べ物の通り道である食道にがんがあろうと、
それは、人の温もりや愛情という幸せの味を感じることが
父は母が持っていくおかずでご飯を食べていました。どん
できるからです。私の家の食卓は家族の温もりや、父と母
な病気であろうと、大切な人が作る食事は何よりのエネル
の愛情で溢れています。父の病気がきっかけでただの食卓
ギーだったのでしょう。
が幸せの食卓だと気づくことができたのです。当たり前だ
私は父の様子を見に、どんなに短い時間でもバスに乗り、
と思っていることこそが、私たちの探している本当の幸せ
お見舞いに通いました。病室のドアを開けると、いつも母
なのでしょう。これからもその当たり前が続くよう、私は
が先に来ていて、二人で私を迎えてくれました。父と母が
今の当たり前を大切にしていきたいと思います。
二人揃っている光景は、とても特別なものに見えました。
今までだったら、当たり前のように食卓で顔を合わせてい
たというのに、私の方を揃って見ている父と母の姿が何だ
か不思議に感じました。そして何よりそこに、家族の温も
りと幸せを感じたのです。