9 仲間のつながりが、産地を支える します﹂ い。なにより自分が成長できるような気が 的ではなかったけど、参加してみると楽し ﹁就農したばかりの頃は部会活動には積極 仲間の存在が大きなチカラに 就農し、主にトマト栽培に励んでいる。 し合う仲だという。大学校卒業後は自宅で 今でも当時の学友とは交流があり、相談 考え方など学べるところが多かったです﹂ ほ と ん ど な の で、そ れ ぞ れ の 意 気 込 み や な 感 じ だ っ た か な。農 業 分 野 を 志 す 人 が ﹁半 分 は 畑 仕 事 だ っ た の で 部 活 動 み た い う思いから野菜経営を学んだ。 は﹁こ れ か ら は 野 菜 が い い だ ろ う﹂と い 岩 手 県 立 農 業 大 学 校 に 入 学 し た 清 さ ん 持ちがありました﹂ ﹁小 さ い 頃 か ら 農 業 を や る ん だ と い う 気 子供の頃から農業に触れ、 就農への戸惑いなく (11 月 25 日、菅原家のトマト畑で) 12 KOSHERU こしぇる 2014.12 トマト部会の若手生産者で構成する担い 度の定例会では酒を酌み交わしながらトマ を取り入れたりしながら活動。3カ月に一 勉強したり、産地研修で学んだ新しい技術 この組合は、野菜団地のハウス建設や遊休 を 立 ち 上 げ、清 さんは 組 合 長 を 任 された。 と大東青年部を中心に園芸ハウス建設組合 今年の1月には、トマト部会の担い手班 ハウス建設組合設立で、 産地強化に一役 ト談議に花を咲かせている。 ハウスの撤 去、移 動、ビニール脱 着などの だと語る。相談し合える仲間の存在は、そ 共有したり、高め合っていけることが魅力 ではあるが、お互いの形態を取り入れたり、 と。農業はそれぞれが個々の経営者、孤独 担い手班の良さは、情報交換ができるこ 話が尽きないです。前向きになりますね﹂ いますが、農業関連の仲間の場合は農業の ﹁今後も情報交換を大事にしながら、世の てられるようになったという。 さを学び、農業や生活全般においても役立 清さんは先達のおかげで 段取り の大切 に手際良く進める。本当に勉強になります﹂ ﹁ハウス建設なども、ベテランの先輩を棟梁 始め、貴重な情報交換の場にもなっている。 作業を共にするだけでなく、トマト栽培を 「青年部活動は普段個人でできないことができ るからいい。言い方がおかしいかもしれないけど 年の夏、青年部立て看板作りの際に「オリジナ 悪ふざけ ができる」と清さん。このタオルは今 ルなことをやってみたいな」と、盛り上がり50 セットを製作した。地元のJAまつりでは、青年 部の出店で野菜のつかみ取りと一緒に販売。 ㌶、リ ン ゴ を 主 と し た ナ シ、ブ ド ウ な ど 果 ㌃︵ハウス7棟︶、冬季にはホウレンソウ、菜花を栽培。父 ラクターの「とまっぱ」。 手班では、お互いの畑に行って相談したり ﹁一般 的 な 仲 間 や 知 り 合いでの 会 話では、 作 業 を農 閑 期に5 ∼ 人 位で行っている。 それぞれ仕事以外の趣味の話題が多いと思 れ ぞ れの 農 業 経 営の 中で 大 き な チ カラに 中の流れを見据えられる生産に取り組んで いきたい﹂ ―― 清さんの周りには、頼りにする先輩、 頼りにされる後輩がいる。その仲間のつな PROFILE Kiyoshi Sugawara 大東青年部で作ったオリジナルタオル 1978年、一関市大東町生まれ。岩手県立農業大学校を卒業後に就農。菅 ㌃、トマト 原 家 の 農 業 は、複 合 経 営 で 水 稲 樹園 1.1 親の豊一さんとともに営む家族経営。JA大東青年部の部長、園芸ハウス建設 13 組 合 の 組 合 長 を 務 め る。2 0 0 7 年 に 香 織 さ ん と 結 婚。百 花 ち ゃ ん︵6︶、 13 2014.12 KOSHERU こしぇる がりが、地域を支えていくのだろう。 さん︵ ︶ 70 優香ちゃん︵3︶ 、ほのかちゃん︵2︶の3姉妹は、優しいパパにベッタリ。 te vori My Fa 10 なっている。 菅原 清 一関市大東町曽慶 36 描かれているのは大東青年部マスコットキャ
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