11 父への思いを胸に! 仲間とともに日々挑戦 あっという間の5年間 ﹁もう5年か!うわぁ、早いな!﹂ 康博さんは嵐のような5年間を振り返っ た。思えば何も分からずに始めた農業だっ た。高校卒業後、金型製造メーカーに勤務 していたが、父の修一さんが入院したため、 家業の農業を引き継いだ。当時は水稲のほ かに、ダ イコン、小 菊、原 木シイタ ケ な ど 幅広い作目を営んでいた。それまで康博さ んはコンバインでの作業や草刈りといった 経験しかなかったという。 ﹁トラクターも田植え機も初めて乗りまし た。これ、 どうやって動くの?って状態です﹂ さ ま ざ ま な 農 作 業 は 祖 父の 暁 さんと 祖 母 のウメ子さんの指導を受けながら、こなした。 ﹁正直、何やったか覚えていません。がむ しゃらに毎日を過ごしてました﹂ 農 業 を 始 め て 半 年 後、修一さ ん が 亡 く なった。これまで家を支えてきた父を失う 悲 しみに 包 ま れると同 時 に、康 博 さんは、 前を見据えた。 ﹁次 の 年 の 苗 作 り の 事 が 頭 を よ ぎ り ま し た。仕事をしながら片手間でできるもんで 12 KOSHERU こしぇる 2015.3 の愛着も強く、 「 トラクターに乗っている時 が一番落ち着きます」と語る。お気に入りの アーティストの音楽を聞きながら、作業に 報 交 換をしたり。もっと若い農 家 が増えた 振り返る。農家の道を共に歩んだ「相棒」へ ら良いのになぁ﹂ 仲間との会 話の中で、昨 年からはリンド ウにも 挑 戦 している。また、部 会 内の班 長 に任命されたほか、西部支部の副支部長に も就任した。 ﹁若いから任 されたのかなって。責 任は重 業をやれってことなのかなと思いました」と はないなと。覚悟を決めたんです﹂ 初心を忘れずに 本格的に就農し、一関市の認定農業者に も なった。 JAの 花 き 部 会の 指 導 会 に も 積 極的に参加。 代という若さもあって、部 いで す が、頑 張 り ま す。部 会のみんな も 頑 張れって言ってくれてるので﹂ JAの青年部や地元の消防団にも籍をお く 康 博さん。そこでも大 切にしているのは 一 関 市 内 の 金 型 製 造 メ ー カ ー 勤 務 を 経 て、2 0 1 0 年 に も熱が入るとのこと。 会員は温かく迎えてくれたという。 ﹁今では だいぶ 顔 を 覚 えてもらいました。 先輩方にはいろいろな事を教えてもらいま したし﹂ ﹁人との関わり﹂だ。 ﹁話 を聞 くのっておもしろいですよ。本 当 にいろんな事 を知ることができる。地 域で 生きていくって、こういうことなのかも 知 れません﹂ 今年定植する苗を見つめる康博さんがぽ つりとつぶやいた。 ﹁父さんと一緒に小菊栽培できたら良かった のになぁって、思います﹂ それまで使用していたトラクターが壊れ、 「農 就農。翌年には一関市の認定農業者になる。水稲1・3 e vorit My Fa 農業スタイルにもこだわりが増してきた。 それは高い質を維持すること。慢心するこ とを特に嫌っている。初心を忘れないため、 康博さんは部会員の圃場を多く視察するこ とを心がけているという。 ﹁自分のやり方が正しいなんて思わないです。 他の生産者の栽培方法を直接見て、会話をす ることで得るものってとても大きいですよ﹂ 父への思いを胸に 現在の親株は修一さんが残してくれた大 切な宝物。 本格的に就農した年に購入したトラクター。 1985年、一関市舞川生まれ。一関工業高校を卒業後、 PROFILE さん︵ ︶ Yasuhiro Chida 相棒のトラクター ㌶のほか、小菊を ㌃、リンドウ4㌃を作付する。祖父母、 13 母、伯父と2人の妹との7人暮らし。 13 2015.3 KOSHERU こしぇる ―― 父への思いを胸に、何があっても前進 する。その澄んだ瞳はただ先を見つめる。 千田 康博 一関市舞川 29 20
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