2014年春号 - College Womens Association of Japan

CWAJ/VVI Newsletter
2014年春号
目次
1. ごあいさつ
2.新リーダーからのメッセージ
3. ECG(英会話の集い)2014年の予定
4.
取手星の会
5.
エッセイ
○
8.
その 2
留学先で知った震災
7. エッセイ
○
その1
悩み抜いて決断した、私が企業で働く理由
6. エッセイ
○
訪問記
その3
私の東京「オリンピック」
編集後記
※各項目の最初に★印をつけてありますので、★印で項目検索される方はご利
用ください。
CWAJ = College Women’s Association of Japan
VVI = Volunteers for the Visually Impaired(視覚障がい者との交流の会)
ECG = English Conversation Gathering(英会話の集い)
SVI=Scholarship for the Visually Impaired
(視覚障害学生奨学金)
★1. ごあいさつ
温暖化によって寒い冬になるのではとの予想通り、2月は関東・首都圏は27セン
チという記録的な大雪に見舞われました。皆さまのお住まいの地域はいかがで
したでしょうか?
桜開花宣言も待ち遠しいこの時期、2014年 最初のニュースレターをお届けしま
す。VVIは新しいリーダーのもと、心も新たに活動を始めておりますので、ご期
待下さい。
春は多くの方にとって新たな出発の時です。この春号でご紹介するのはまず、
昨年春から一般企業に勤務されている青年の学生時代のことと「就活」体験で
す。そして2つ目は、春が来る度に思い出される東日本大震災の日、大地震と未
曾有の大津波のニュースを海外で聞いたときの経験を元CWAJ奨学生の方に書
いて頂きました。そして最後は、オリンピック、それも1964年、敗戦からの復
興を世界にアピールした前回の東京オリンピック開催準備の現場にいらした方
に、他では聞けない貴重な体験談を披露していただきました。
皆さまに楽しんで読んで頂ければ幸いです。
★2.新リーダーからのメッセージ
今年の干支である「馬」を逆さまに読むと「まう」、
“舞う”という意味になり、
縁起がいいと言われています。2014 年も皆様にとって実り多い 1 年となること
を祈っております。
今年度 VVI のリーダーになりましたタラ・シェペンズと私、安川(やすかわ)
みさです。タラはアメリカのボストン出身で、2013 年の 12 月 27 日に長男を出
産したばかりの新米ママです。私は CWAJ で 30 年近くボランティア活動をし
ていますので、ECG などのプログラムでお目にかかっているかもしれません。
今年はタラと 2 人で VVI の活動を通じて皆様と楽しい時間を過ごしていけたら
と思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
VVI では今年も視覚障がい者の皆さまと英語での交流を通じて相互理解を深め
るプログラム作りに力を入れていきたいと考えています。ECG(英会話の集い)
の目標は、スピーチやグループディスカッションを通しての英語力のレベルア
ップですが、この英会話の集いが新たな友情や情報ネットワークが広がる機会
となることを願っています。四ツ谷の日本盲人職能開発センターの英語指導も
変わらず週 2 回のペースで行っていくと同時に、筑波大学附属視覚特別支援学
校の生徒さんたちの英検受験準備の支援も充実させてまいります。日本語ニュ
ースレターの発行や、毎年恒例になっている CWAJ 現代版画展で立体コピーに
触れながら楽しむハンズ・オン・アートも企画していますので、今年も大勢の
方たちに VVI のプログラムを楽しんでいただけたらうれしく思います。
安川みさ
★3. ECG(英会話の集い)2014年の予定
昨年の ECG を楽しく盛り上げてくれたコーディネーターのサビーネがドイツ
に 帰 国 し ま し た 。 今 年 は 、 マ ー グ レ ッ ト ・ リ ン デ ン バ ウ ア ー ( Margret
Lindenbauer)が松原久美子(まつばらくみこ)と共にコーディネーターを務
めます。オーストリア・ザルツブルク出身のマーグレットは家族と供に 4 大陸
10 か国に駐在し昨年来日しました。趣味はアウトドアスポーツ・芸術鑑賞・読
書です。特に世界の異文化・少数民族の伝統や歴史に関する書物を読むことが
好きです。日本に来てからまだ日が浅いマーグレットですが、皆様とお会いす
るのをとても楽しみにしています。
今年最初の ECG は 3 月 29 日土曜日、渋谷の女性センターアイリスで「英語で
話そう!英語でゲーム!」のテーマで開催します。第 2 回目は 7 月初旬・第 3
回目は 11 月末から 12 月頃を予定、大使館訪問やボーリング大会、クリスマス
パーティーなどを考えています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
松原久美子
★4. 取手星の会
訪問記
昨年 11 月 15 日、VVI の Outing が開催され 8 名のメンバーが参加いたしまし
た。今回は 25 年もの永きにわたり VVI の点字訳をお願いしています“取手星
の会”の訪問でした。
“取手星の会” とのご縁は 25 年間 CWAJ の会員でいら
して昨年お辞めになった福田静世さんでした。福田さんがこちらの会に入会さ
れていたことから、点字訳をお願いするようになりました。
当日は“取手星の会”からも 20 名ほどの会員の方が参加してくださいました。
星の会では水戸点字図書館の点訳本や取手市や他の地域の方々の為にテレビ番
組の点字訳などを作成しています。また CWAJ の“Hands-on Art ”の作家コ
メントや Newsletter も“取手星の会”の方が点字訳して下さっています。
お手元の点字版 Newsletter も、星の会の 2 名のかたが担当して下さっています。
点訳は特別な訓練を必要とするもので、今回の訪問を通して私たち VVI が“取
手星の会”のボランティアの方たちから大きなサポートを頂いていることを改
めて認識いたしました。
“取手星の会”皆様、これからもどうぞよろしくお願い
いたします。
その後、取手キリンビバレッジの工場を訪問いたしました。見学後、20 分間の
無料 Tasting time。参加者全員、できたてのビールやソフトドリンクを楽しみ、
日頃 CWAJ の仕事に忙しいメンバーにとって久しぶりのリラックスタイムでし
た。
長岡茂子 (ながおか
★5. エッセイ
しげこ)
その1
國宗陽介(くにむね
ようすけ)さんは筑波大学附属視覚特別支援学校高等部
から青山学院大学に進まれ、在学中は ECG にも積極的に参加しておられました。
昨年卒業され、新人社会人として 1 年勤務された國宗さんに、学生時代のこと、
そして就職活動のことなどについて書いて頂きました。
○ 悩み抜いて決断した、私が企業で働く理由
進行性の病気である網膜色素変性症で生まれた私は、中学に入り成長期を迎え
るとともに視力は低下し、現在とほぼ同等の状況になりました。残されたのは
人や物の輪郭が認識できる程度の視力でした。全盲となった当初は、白杖を持
ち、街中をあちらこちらにぶつかりながら歩く自分がとてもぶざまで、周囲の
視線が気になり恥ずかしく感じていたことを覚えています。
高校に入学し、両親の勧めもあり、3 年の夏にアメリカに1年間の留学をしま
した。道を歩くのも恥ずかしい私が留学を決意した理由は、体で異文化を体感
することはもっとも刺激的で、様々なバックグラウンドを持つ同世代との交流
が将来の宝になると感じたからです。単身で飛び込んだアメリカでは、当初は
言葉の違いに苦しみましたが、幼いころから続けてきた競泳のおかげで、現地
校の水泳部に所属させていただき、全盲では初のレギュラーメンバーとしてチ
ームにも一定の貢献をすることができました。授業でも学友たちの心優しいサ
ポートもあり、積極性が求められるクラスルームで多くを学ぶことができまし
た。
一連の経験を通じ、ハングリー精神を持ち、チャレンジしていくことの素晴ら
しさと楽しさを学び、多様なバックグラウンドを持つかけがえのない学友を作
ることができました。そして、英語が流暢に話せない新参者の私でしたが、日々
目の前のことに無我夢中で取り組む姿勢を、周囲は見守り続け、手を差し伸べ
てくれました。私が目に障害があっても、外国人留学生であっても、一生徒と
して平等にチャンスを与えられ、正当に評価を受けることができました。忘れ
ることのできない大変貴重な時間です。
留学後は、日本の大学に入学し、自らの将来について考えるようになりました。
目が見えない私に、何ができるのか。学部の友人との交流や、英語ディベート
部に所属し沢山の心優しい友人に囲まれ活動をする中で、必死で考えました。
さらに、大学 2 年の冬から、とある一般中小企業にお願いし、9 か月間のインタ
ーンシップに参加し、実際に働いてみることで、私の描く将来像を具体化させ
ていきました。行き着いた結論は、ありきたりなものでしたが、私なりに考え
抜いた結果です。その結論は、
「人に心から感謝され、自らも誇りに思える仕事
がしたい」との希望です。中でも、変わり者の私ですから、全盲の就業率がま
だ高くない民間企業に入社し、パイオニアとして自らの業務に心から誇りを持
ち、社会に貢献し活躍することに魅力を感じました。
日本では、常用雇用者 50 名以上の企業には、2.0 パーセント以上の障害者を雇
用しなければならないという法律(障害者雇用促進法)があります。その法の下、
多くの企業では障害がある社員を雇用するために、特例子会社での雇用や、障
害者特有の雇用形態が存在します。私は上記で述べた雇用枠ではなく、大学時
代の友人と同じような新卒枠での雇用を強く希望し就職活動に取り組みました。
大学時代を通じて、切磋琢磨してきた友人とは、障害が理由で異なる雇用形態
になることで、
「自分は彼らより劣っているのだ」とあからさまに言われている
ような気がして、どうしても受け入れられなかったのです。また、様々なこと
を経験した同世代に比べ、障害者としての枠で雇用された場合、将来も単純な
業務しかこなせない自分になってしまうのではないかと、恐れを感じていまし
た。
障がいがあっても、一般新卒者に劣ることなど何もないと確信していましたし、
だれにも負けない自信がありましたので、社会には、このような私の心情を理
解し、多様性を尊重してくれる会社はいくらでも存在するものだと思い込んで
いました。しかし、私の気持ちとは裏腹に、社会というものはそれほど甘くあ
りませんでした。就職活動を続けている中で、いくつも障がい者特有の枠での
オファーがあったのです。これが、障がいがある私への評価でした。誤解を避
けるためにお話させていただきますが、通常の一般雇用形態で働かれている障
がいがある方々も多くいらっしゃることを、ここで言及させていただきます。
就職活動中は、
「もし、健常者の私だったら問題なかったのかな」と、幻想に思
いを巡らせ、悔しくもなりました。
悩みに悩んだ私の就職活動でしたが、結果として、現在勤務する損害保険会社
に入社することに決めました。一定の期間は、特別の枠での雇用形態との条件
でしたが、面接で接した社員の方々が大変熱心で、お会いするすべての方々に
魅力を感じ、さらに、私のことを親身になって考えてくださるこの会社で働き
たいと強く感じました。まずは、高校生の時にアメリカ留学で培った一心不乱
に取り組む姿勢を、ここでも実践していきます。そして、一度きりの人生、現
状に満足することなく、これまでと同様に常に自らの可能性を広げるために、
努力を惜しまず続けていきます。
私は、Spice Up Your Life(あなたの人生に味わいを)という言葉が大好きです。
「自分の人生は、自分しか変えられない。だから、一度きりの人生、積極的に
風味のある味わい深いものにしよう」という意味が込められていると聞きまし
た。この言葉を胸に、多くの方々の協力をいただき、そして支えていただきな
がら、社会に恩返しができるよう今後も邁進してまいりたいと考えております。
★6.
エッセイ
その 2
東日本大震災から今年で 3 年になります。2011 年 3 月 11 日とそれに続く日々
は、被災地ではなくとも日本にいた私達にとっても大きな衝撃でした。東北大
学で学ばれ、当時 CWAJ 奨学金でアメリカに留学中だった高木(たかぎ)ゴイ
トみどりさんは、どれほど心配されたことか、想像に余りあります。その時の
ご自身の気持ち、大学の友人たちの様子などを書いて頂きました。現在はベル
ギーにお住まいの高木さんからお話しを伺うことで、これから私たちに何がで
きるか一緒に考えて行けたらと思います。
○
留学先で知った震災
「みどり、日本が大変なことになっているみたいだけど、知っているかい?ニ
ュースを観てごらん」という台湾人の友人からの電話が東日本大震災を知らせ
る第一報でした。
当時、私は CWAJ の奨学金を得て、米国フロリダ大学大学院で太陽エネルギー
の研究をしていました。アパートにはテレビがなかったため、インターネット
で CNN、BBC、NHK などの情報を集めました。画面に次々と映る震災の様子
を見て、言葉を失うほどの衝撃を受けました。
まず、日本にいる身内の安否を確認しました。神奈川に住む両親からは、無事
との連絡がすぐにあり安堵しました。次に、被災地にある母校東北大学の友人
たちが心配でメールを送りました。しかし、メールは次々と跳ね返ってくるば
かりで、1週間後ようやく全員の無事を確認できたときは本当にほっとしまし
た。大学の友人ばかりでなく、安否が気がかりな方々もいました。震災の数か
月前になりますが、渡米前に友人と三陸海岸を旅行しました。世界に誇れる美
しく神秘的な場所で、海沿いを歩いていると、人間世界の雑音は一切聞こえず、
ただ波が砂浜に打ち寄せる音と、海風が深く茂る木々の葉を揺らす音だけが聞
こえてきます。その時は海沿いの民宿に泊まり、明るく、素敵な若女将さんに
お世話になりました。お顔の良く似た、お母様、お祖母様らしき女性もいらっ
しゃって、三世代で民宿を営んでいるようでした。その方たちは御無事だろう
か、民宿はどうなっただろうか、など様々な思いが脳裏をよぎりました。
幸いにも無事だった大学の友人たちは、震災後の彼らの様子を伝えてくれまし
た。友人の1人は、被災地の高校生の勉強を支援する活動を始めました。また
別の友人は、自ら東北大学地域復興プロジェクト「HARU」というボランティ
ア団体を立ち上げ、2011 年の時点で 1000 人以上のボランティアと共に、被災
地の学生や農家の支援、大学の復興支援など、様々な活動を行いました。彼女
たちの行動力は、本当にすばらしいと思いました。
震災直後、米国メディアでは、連日、被害の状況がトップで報道されました。
津波で逃げ遅れた人や、目の前で家族や友人を失った人のことを考えると、見
ていて辛い映像が多かったのですが、中には次のような映像もありました。津
波が迫ってくるなか、高台へ数人でお年寄りを担いで移動する人々、屋根の上
にのって女性や子供を安全な場所へとチームワークでひっぱり上げているおじ
さんたち、また、津波で亡くなる直前まで一生懸命避難勧告のアナウンスをし
ていた私と同年代の女性についての報道、その女性の御両親へのインタビュー
等々。危機的状況の中で、自分の命や安全を顧みず他の人々を救おうとしてい
る人たちがいたことに深い感動を覚えました。また、震災の場合よく起こりが
ちな略奪や暴動がなく、人々が助け合い、物資の配給の列に辛抱強く並ぶ「秩
序ある」日本人の映像も報道されました。それらの報道には、
「日本人なら必ず
立ち直れる」、「日本はこの震災を機に、より一層強くなるに違いない」といっ
たメッセージが付けられており、海外で暮らしている日本人の私にとっても大
きな励ましになりました。
私の学んでいた大学では、アメリカ人をはじめ、インド、中国、韓国、台湾、
イラン、トルコなどの留学生仲間がメールや電話をくれたり、キャンパス内で
すれちがう際にも、日本の様子はどうかと尋ねてくれました。また、学内では
募金活動が行われ、被災地の子供に送る絵手紙を、カラーペンなどを用いて通
りかかった学生に書いてもらうという韓国人学生のソサェティによる支援活動
もありました。
震災から早や 3 年がたちましたが、まだ道半ばの復興について「自分にできる
ことは何か?」を自問しています。今回の震災を機に、原子力依存の是非が問
われるとともに、代替エネルギーの開発促進が求められています。
現在、私
は、風力発電の研究に携わる夫とベルギーで暮らしていますが、将来は 2 人と
も日本に戻り、私は、本来自分の専門である「太陽エネルギー」の利用技術で、
日本の代替エネルギー開発に少しでも貢献できたらと考えています。
★7. エッセイ
その3
昨年 9 月に 2020 年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まり、
6 年後に向けて盛り上がりが感じられるようになりました。このニュースレター
では、1964 年の「東京オリンピック秘話」ともいえる貴重なお話しを久野明子
(くの あきこ)さんに寄稿頂きました。久野さんは CWAJ のメンバーで、長
年奨学金をはじめ CWAJ の様々な分野で活動され、1985 年には CWAJ 会長も
務められました。明治 4 年に国費留学生としてアメリカに派遣された日本初の
女子留学生の 1 人で、
「鹿鳴館の貴婦人」と称された大山捨松(おおやま
すて
まつ)さんのひ孫に当たられます。現在、日米協会の副会長であると当時に
CWAJ では福島支援プロジェクトのリーダーとして活動されています。
○
私の「東京オリンピック」
ロゲ IOC 会長が「TOKYO」と書かれた紙を掲げた瞬間、2020 年の東京オリン
ピック開催が決まった。揃いのブレザーを着た招致委員たちが歓声を上げ、涙
を流しながら抱きあう姿をテレビで観ていた私の頭には、50 年前の「東京オリ
ンピック」が走馬灯のよう駆け巡った。
1964 年の 4 月大学を卒業したばかりの私は、東京オリンピック組織委員会渉外
部の職員として社会人の第一歩を踏み出した。大学時代にアメリカへ留学した
私にとって、苦労して習得した英語が活かせる絶好の機会であり、大会中に世
界のアスリートたちの競技を間近に観戦できるのではとスポーツ好きの私の心
は踊った。組織委員会の事務局は、国際的なスポーツの祭典を運営していくに
は何とも時代錯誤な大正天皇の東宮御所だった赤坂離宮(現在の迎賓館)にあ
った。事務所としての機能は皆無、当時はメールも FAX もなかったし、今では
想像もつかない位使い勝手が悪かった。新卒で右も左も分からない私は、上司
から渡された書類の束を持って高い天井の下、昼も薄暗い廊下を走り回るのが
日課だった。渉外部の仕事は、競技施設や選手村を見学にくる IOC 委員や参加
国の役員たちのアテンド、日ごとに増えていく参加国の情報をメディアに流す、
日本と国交のない国や地域との連絡など対外的なことは何でもこなした。敗戦
から立ち直り復興に向けて突き進む日本のためになればと、アジア初の東京オ
リンピックをなんとしてでも成功させようと赤坂離宮は職員たちの熱気で満ち
ていた。
体力が勝負と張り切って仕事をしていた私は、ある時上司から「聖火リレー使
節団の一員として、カルカッタから沖縄を担当するように」と言い渡された。
ギリシャのオリンポスの宮殿跡で古代の儀式にのっとって太陽から採火された
聖火を、アジア諸国との友好親善を深めるため、各国の首都を訪れ国内でリレ
ーしながら 1 万キロ以上も離れた東京まで専用機で空輸するという途方もない
使命を持った使節団であった。私の仕事は団長の補佐役。8 月末、真夏の太陽
が照りつけるインド、ビルマ、タイ、マレーシア、フィリピン、香港の各地で
は、飛行場で点火された聖火を持って走るランナーを一目見ようと、沿道は熱
狂的な国民で埋め尽くされた。私はオリンポスの火を絶対に絶やすまいと、聖
火の予備火をしっかりと抱きしめ車で後に続く。トーチの燃料は 5 分で消えて
しまうため、車の中から大声で叫びながら道路に飛び出してくる観衆の交通整
理をするのも私の役目だった。国外最後の訪問地となった沖縄の那覇空港に到
着した時、最初に目にしたのは日の丸ではなく、星条旗が澄み切った青い空に
翻っていた時の衝撃は今でも忘れられない。
日本に帰国すると、当時の IOC 会長ブランデージの東京滞在中の秘書役を命
ぜられた。五輪のロゴを IOC の許可なしに商業用に使用することを厳しく制
限し、アマチュアリズムの聖域を頑なまでに守ったブランデージ会長は頑固
者としても名を馳せていた。毎日、帝国ホテル内に置かれた事務所に通い、
様々な重要案件のレターを英語で作成したり、新聞記者たちのアポを取った
り緊張の日々が続いた。アジア美術品のコレクターとしても有名なブランデ
ージは、度々都内の骨董商を部屋に呼び、目を細めて品定めをしながら購入
していた。その時間だけは、私にとっても心休まる至福の時であった。
10 月 10 日の開会式。前日の雨が嘘のように晴れ上がった国立競技場で、満
員の観衆を前に、私が特訓して教えた日本語でブランデージ会長が高らかに
第 18 回東京オリンピック大会の開会を宣言した時、そして、広島に原爆が
投下された日に生を受けたという最終聖火ランナーが聖火台に点火した時、
東京オリンピックは一生忘れられない「私の東京オリンピック」となった。
あれから半世紀、日本は東京オリンピックの成功ですっかり自信を得、世界
第 2 の経済大国といわれるまで国力を回復した。首都東京を起点に日本各地
へと新幹線や高速道路が張りめぐらされ、人々の生活は 50 年前と比べると
格段に便利になり物質的にも非常に豊かになった。最近では情報技術の発達
が目覚ましく、携帯電話やインターネットが普及し、コミュニケーションや
情報収集は驚くほど迅速で安易になった。
しかし、こうした急激な経済成長の陰で、失ったものの大きさを日本人は気
づいているだろうか。首都東京からは日本的な風情を残す古い建物は壊され、
高圧的で無機質な高層ビルが我が物顔に聳え立ち、緑多い公園や子供たちが
遊ぶ広場は次々と姿を消していった。情報機器に頼るあまり、自分でものを
考えることをしなくなり、人と人との血の通った意思の疎通も出来ない若者
が増えてきている。
国の財産となる人材育成の面でも、学校での歴史教育や道徳教育を怠ってき
たため、自分たちの生まれ育った日本という国に誇りを持たない、日本
人としてのアイデンティティを失った国民が作られてきている。また、グロ
ーバル化が進む世界で、正しい意味でのリーダーを育てる教育を重視しなか
ったため、国際社会においてリーダーシップを発揮できる人材も育っていな
いのが現状である。
今からでも遅くない。2020 年の東京オリンピックまでに、日本を訪れる世界
中の人たちから美しいと愛される国土を、そして尊敬され信頼される日本人
を作り上げていく努力を私たち皆が心して行っていくべきだと思う。
★8.
編集後記
長いニュースレターをお読み頂きありがとうございました。VVIの活動はCWAJ
の大切な教育活動のプログラムとして、昨年訪問した取手星の会のボランティ
アの方たちの協力を得ながら、頑張って行きたいと思います。
今回エッセイを寄稿くださった皆様、ありがとうございました。國宗さんの若
者らしい、素直で誠実な文章に、
「いまどきの若者も捨てたものではない!」と
ほっとされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。そしてVVIはこんなすて
きなVIの方たちと知り合えたことで、たくさん教えられていると改めて感じま
した。また、1964年東京オリンピック秘話を披露して下さった久野さんには、
貴重なお話しももちろんですが、幅広い経験と広い視野からの鋭い助言をいた
だきました。そしてまた、東日本大震災を経て関心の高まっているエネルギー
問題もあります。震災のニュースを海外で体験された高木さんが、太陽光発電
を研究されていて、ご主人も風力発電の研究者。日本が、そして世界が今直面
している代替エネルギーのために、きっとお二人で力を合わせて貢献してくだ
さるしょう。それは、きっと被災地の復興への長い道のりを照らす希望の光と
もなると思います。
このニュースレターを準備している間にソチの冬季オリンピックが開かれまし
た。どの選手もその舞台に立つまでには多くの苦労と努力があったと思い、本
当に多くの感動を頂きました。特に、41歳7度目のオリンピック、不屈の魂で銀
メダルのジャンプの葛西選手、被災地への思いをこめて滑り金メダルに輝いた
フィギュアスケートの19歳の羽生結弦選手、そしてどん底のショートプログラ
ムから不死鳥のように立ち直った浅田真央選手の演技には、自ら目標を貫く勇
気と挫折に負けない心を教えられました。真摯な選手たちの闘う姿に感動し、
更に2020年に東京でオリンピック・パラリンピックが開催されることで、子供
たちが夢と目標をもっていっそう元気になってくれることでしょう。日本の将
来のため、子供たちのためにも、よりよい日本になるように、まず私たちから
心を整えて行きたいものです。
エッセイの英語版は4月半ば以降、CWAJホームページでご覧になれます。
http://www.cwaj.org/Education/vvi.htm
皆さまのご感想をお聞かせください。コメントやご希望など、どうぞ下記のア
ドレスにお寄せ下さい。皆様からいただくメッセージに励まされております。
又、パソコンをご利用の方で、メールでのニュースレターの受け取りをご希望
の方も、ご連絡下さい。
(連絡先) [email protected]
編集担当:吉村啓子(よしむら
発送担当:鈴木洋子(すずき
けいこ)
ようこ)