菊池線解析について 大阪大学 寺田大将 1.はじめに 結晶性材料の力学特性、機能特性などは、結晶方位に強く依存していることが知られて いる。また、諸特性は結晶粒界や異相界面などの界面の構造や性格にも大きく影響される。 そのため、多結晶体の結晶方位分布や粒界性格と材料の諸特性の関係を明らかにすること を目的として、従来から様々な結晶方位の解析法が開発され、利用されてきた。近年、結 晶方位測定の手法として走査電子顕微鏡(Scanning Electron Microscope; SEM)内で発生 する後方電子線回折(Electron Backscattering Diffraction Pattern; EBSD または EBSP) を利用して、地理情報とともに方位情報を収集可能な自動結晶方位解析装置が市販され、 材料科学の分野で広く応用されている。EBSD 測定法による方位解析は、高密度な情報を 手軽にかつ自動的に得ることができる。しかしながら、この EBSD 結晶方位解析装置で測 定された方位は 2°程度の誤差を含んでおり、2°以下の微小方位差についての議論が難し い。また、SEM や EBSD では、微小方位差を有する小角粒界や転位セル組織を観察するこ とはできない。一方、透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope; TEM)を用い ると、微小方位差を有する小角粒界や転位セル組織を観察することができる。TEM 内にお いても EBSD と同様に結晶方位を反映した“菊池線”が発生し、この菊池線を解析するこ とで、結晶方位の同定を行うことができる。菊池線の発生機構は、基本的に EBSD と同じ で電子線入射方向と検出機器の幾何学的な配置が異なるだけである。今回のセミナーは、 主に EBSD 測定を対象としたものであるが、実際に TEM で得られた菊池図形の解析手法 の紹介と演習を通して、実空間の結晶と菊池図形、 EBSD の関係について理解を深める手助けとなれば 幸いである。 2.菊池線の発生機構 平行な電子線が結晶に入射されると、電子線は結晶 面で弾性散乱を起こし、Bragg の回折条件に従い回折 が起こる。このとき得られるのが回折斑点 (Diffraction spot)である。また、電子線は弾性散乱 だけでなく非弾性散乱も起こす。図 1 は、材料中での 非弾性散乱の様子を模式的に表した図で、矢印の長さ が電子線の強度を示している。図に示すように、電子 線は非弾性散乱により、あらゆる方向へ拡散し(図1 (a))、バックグラウンドの強度分布は入射電子線方向 に近いほど強い。入射方向からの角度をθとすると、 θ=0°で非弾性散乱電子は最大強度を示 し、θの絶対値が大きくなるに従い強度は 低下する(図1(b))。この非弾性散乱電子 のうちの一部が結晶面で弾性散乱される ことにより菊池線は発生する。 図2に菊池線発生機構の模式図を示す。 入射電子が点 P で一度非弾性散乱し、その うちの一部が結晶面で弾性散乱する場合 を考える(図2(a))。入射方向に近いほど 散乱電子線の強度は高いので、PA 方向の 電子線強度が PB 方向よりも高い。PA 方 向の散乱電子線に着目すると、弾性散乱が 起きなければ電子線は PAA’の経路に沿っ て伝播することになるが、結晶面で弾性散 乱されるために PAA”の経路で伝播する。 同様に PB 方向の散乱電子線は、PBB”の 経路で伝播する。PA と PB の散乱電子線 は、平行な結晶面に対して同じ Bragg 角 度で回折するため、AA”と PBB’は平行に なる。同様に BB”と PAA’もまた平行である。 これは、弾性散乱しない場合と比較すると、 弾性散乱する場合、電子線が試料を透過し た後には PAA’方向と PBB’方向へ伝播する 電子線が入れ替わっていることを意味して いる。このとき形成されるバックグラウン ドの強度分布においても PAA’と PBB’方向 に対応する位置で電子線強度が入れ替わる (図2(b))。結果として、周囲のバックグ ラウンドの強度よりも局所的に強度が高い 部分と低い部分が生じ、回折像上で明るい 部分(白線)と暗い部分(黒線)が観察さ れる。このような電子線回折は 3 次元的に生じ、回折結晶面に対して Bragg 回折角θB で 弾性散乱された電子線は、回折結晶面の法線方向を中心線として(90°-θB)の半角を有 する 2 つの円錐形に広がる(図3) 。この2つの円錐のうち電子線強度が強められる側の円 錐は Excess Corn、弱められる側の円錐は Defect Corn と呼ばれる。TEM では、これらの 円錐と観察面の交線が白線と黒線の対として観察される。これが菊池線である。円錐と平 面の交線であるため厳密には二つの双曲線であるが、電子線回折ではθB が非常に小さいた め、近似的には二つの平行な 2 直線として観察される。例として実際の IF 鋼から得られた 菊池線を図4に示す。現実の結晶では、回折に寄与する結晶面が多数存在しており、個々 の結晶面からそれぞれ菊池線が発生するために、図4のような菊池線回折図形が形成され る。 3.菊池線の特徴 TEM 観察において、結晶方位の解析には一般的に弾性散乱により生じる回折斑点 (Diffraction Pattern)が用いられる。回折斑点は、結晶方位が少し変化しても斑点が現れ る位置はほとんど変化せず、強度が変化するのみである。したがって、回折斑点を用いた 結晶方位の解析では、誤差が大きく(最大で 15°の誤差を含むと報告されている[1])数度 の精度が求められるような方位解析には向いていない。一方、菊池線は方位変化に非常に 敏感で、わずかに 1°方位が変化しただけでも菊池線の現れる位置が大きく変化する。した がって、菊池図形を解析することにより正確な結晶方位を求めることができる。 4.菊池図形の解析手順 菊池図形の解析手順を以下に示す。 ① 菊池図形の撮影・現像 TEM によりひとつの結晶粒にのみ電子線を収束させ菊池図形を発生させて撮影する。 ② 菊池図形をトレースする 代表的な菊池線をトレースする。このとき、菊池線対の交点の平行四辺形が 3 つ以 上含まれるようにする。 (図5) ③ 菊池線の対が交差してできた平行四辺形を 3 つ選択する (図5)参照 ④ 平行四辺形を形成する菊池線の幅の測定から菊池線に対応する面指数の組み合わせを 決定し、菊池線同士のなす角と整合するよう面指数を決定する 菊池線の幅, w は、下記の式で表される。 w ∝ g *hkl = 1 1 2 = h + k2 + l2 d hkl a (1) ここで、h, k , l :面指数、g *hkl :(hkl)面の逆格子ベクトル、d hkl :(hkl)面の面間隔、a : 格子定数である。上式から菊池線の幅から各菊池線対の面指数の組み合わせを決定する ことができる。さらに、菊池線同士のなす角を分度器で測定し、その値と整合するよう 各菊池線の面指数を決定する。参考として表 1 に BCC と FCC の回折結晶面についてま とめたものを示す。 ⑤ 3 つの平行四辺形の中心点をそれぞれ、 P1 , P2 , P3 とし、それぞれの指数付けを行う 菊池線対の交線によって形成される平行四辺形の中心は、交わる二つの菊池線対に対 応する 2 つの結晶面の交線、すなわち二つの結晶面の晶帯軸の方向に対応している。晶 帯軸 P1 [u1v1w1 ] は、④で得られた各菊池線の面指数からその指数を計算することができ る。例えば、 (h1 k1 l1)面と(h2 k2 l2)面の晶帯軸 P1 [u1v1w1 ] は、以下の数式(ベクトル の外積)で求めることができる。 u1 = k1l2 − k2l1 , v1 = l1h2 − l2 h1 , w1 = h1k2 − h1k2 (2) 同様にして、 P2 [u2 v2 w2 ] と P3 [u3v3 w3 ] を求める。 ⑥ P1 , P2 , P3 から、フィルム紙面垂直方向の方位を同定する エヴァルト球の中心を O , 透過電子線とスクリーンの交点を O′ とすると、 OO′ がフ [u2 v2 w2 ] ィルム紙面垂直方向すなわち電子線入射方向となる。⑤で求めた P1 [u1v1w1 ] 、P2 および P3 [u3v3 w3 ] は、それぞれ、 OP1 、 OP2 および OP3 のベクトルである。図6に示す ように、OO′ と OP1 のなす角を α1 とし、同様に OO′ と OP2 および OP3 のなす角を α 2 お よび α 3 とする。これらの角度は、フィルム上の長さに対応しており、フィルム上の線分 OP1 , OP2 および OP3 の長さから求めることができる。 [u2 v2 w2 ] を用いて、フィルム上の長さと角度を換算する係数 まず、既知の [u1v1w1 ] と を求める。OP1 と OP2 のなす角を θ1 とすると、cos θ1 は、下記の式で表すことができる。 cos θ1 = u1u2 + v1v2 + w1w2 u + v12 + w12 u2 2 + v2 2 + w2 2 2 1 ⎛ θ1 = cos −1 ⎜ ⎞ ⎟ u2 2 + v2 2 + w2 2 ⎟⎠ u1u2 + v1v2 + w1w2 ⎜ u 2 +v2 +w2 1 1 ⎝ 1 (3) (4) ここで、 θ1 がフィルム上の線分 P1 P2 の長さ L1 に比例していると近似すると、 θ1 = k1 L1 ここで、 k1 はフィルム上の長さと角度の比例定数である。この比例定数の精度を上げる ために、 OP2 と OP3 のなす角 θ 2 、 OP3 と OP1 のなす角 θ 3 についても同様の計算を行い、 k2 と k3 を求める。その後、 k1 、 k2 および k3 の平均値 k = (k1 + k 2 + k3 ) / 3 を求め、これ をフィルム上の長さから角度への換算に用いる係数(単位は例えば [ °/mm ] )とする。 OO′ [u0 v0 w0 ] と OP1 のなす角の関係から、以下の式が成り立つ。 cos α1 = u1u0 + v1v0 + w1w0 u12 + v12 + w12 u0 2 + v0 2 + w0 2 (5) [u0 v0 w0 ] 、 [u1v1w1 ] を単位ベクトルとすれば、 cos α1 = u1u0 + v1v0 + w1w0 (6) 同様に OO′ [u0 v0 w0 ] と OP2 および OP3 のなす角の関係から、 cos α 2 = u2u0 + v2 v0 + w2 w0 (7) cos α 3 = u3u0 + v3v0 + w3 w0 (8) α1 、α 2 および α 3 は、フィルム上の線分 O ' P1 ,O ' P2 および O ' P3 の長さから k を用いて 求めることができる。 (6)~(8)の 3 元連立方程式を解くことにより、電子線入射方 向 [u0 v0 w0 ] が求められる。 ⑦ フィルム上の任意の方位(縦方向、横方向の方位など)を同定する 手順⑥で求めた OO′ [u0 v0 w0 ] を用いて、フィルム上での方位を計算する手順を以下に 示す。ここでは、例としてフィルム上の縦方向の方位の求め方を示す。 [u0 v0 w0 ] と P1 [u1v1w1 ] および P2 [u2 v2 w2 ] の外積、 A [ua va wa ] 、 B [ub vb wb ] を求めフィ ルム上で既知なベクトルをつくる。A および B は、フィルム面上に存在し、それぞれ O ' P1 および O ' P2 に垂直なベクトルである(図7)。求めるフィルム上の縦方向の方位を C [ uc vc wc ] として、 C と A のなす角β1 および C と B のなす角β2 をフィルムから分度 器を用いて求める。これらの角度をベクトル成分で表せば、以下のようになる。 ( A [ua va wa ] 、 B [ub vb wb ] は、単位ベクトルとする) cos β1 = ua uc + va vc + wa wc (9) cos β 2 = ubuc + vb vc + wb wc (10) また、 C [ uc vc wc ] は、 OO′ [u0 v0 w0 ] と直角であるので、 uc u0 + vc v0 + wc w0 = 0 (11) uc vc wc ] を求めることができる。 以上の、 (9)~(11)の連立方程式を解くことで、C [ フィルム上での任意の方向ベクトルは、上記の方法を用いて、方向ベクトルと A およ び B のなす角をフィルムから実測することにより求めることができる。 引用文献: [1] E. Furubayashi, “On Experimental Suspects of the Orientation Relationship in the Primary Recrystallization of Metals”, Scripta Metall. Vol.27 (1992), 1493-1496 表 1 BCC と FCC における回折結晶面の一覧 h2+k2+l2 (h2+k2+l2)1/2 hkl 1 1.000 100 2 1.414 110 3 1.732 111 4 2.000 200 5 2.236 210 6 2.449 211 7 - - 8 2.828 220 9 3.000 300,221 10 3.162 310 11 3.317 311 12 3.464 222 13 3.606 320 14 3.742 321 15 - - 16 4.000 400 17 4.123 410,322 18 4.243 411,330 19 4.359 331 20 4.472 420 21 4.583 421 22 4.690 332 23 - - 24 4.899 422 25 5.000 500,430 BCC h2+k2+l2 (h2+k2+l2)1/2 hkl BCC 26 5.099 510,431 ○ 27 5.196 511,333 ○ 28 - - ○ 29 5.385 520,432 30 5.477 521 31 - - 32 5.657 440 33 5.745 522,441 34 5.831 530,433 35 5.916 531 ○ 36 6.000 600,442 ○ 37 6.083 610 38 6.164 611,532 39 - - 40 6.325 620 41 6.403 621,540,443 42 6.481 541 43 6.557 533 ○ 44 6.633 622 ○ 45 6.708 630,542 46 6.782 631 47 - - 48 6.928 444 49 7.000 700,632 50 7.071 710,550,543 FCC ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○印のところで回折が生じる。 BCC:h+k+l が奇数のとき回折が生じない。 FCC:h, k, l が偶奇混合のとき回折が生じない。 FCC ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
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