教育講演 3 視線移動と眼鏡 -日常生活における眼鏡レンズの部分別使用頻度- ○河原 哲夫* * 金沢工業大学 人間情報システム研究所 Visual Line and Glasses Tetsuo Kawahara* *Human Information System Laboratory, Kanazawa Institute of Technology っており、累進屈折力眼鏡の処方と作成・調 1.はじめに 私たちは眼球を回転させて、外界の中で見 整において配慮すべき重要な点と思われる。 ようとする対象を注視し、網膜の中心窩に結 本稿では、使用者の生活スタイルに合った 像させている。また、眼鏡レンズは眼前に固 累進屈折力眼鏡を設計・処方するための最適 定 さ れ て い る た め 、 眼 球 運 動 (視 線 移 動 )に 伴 屈折力分布を求める前段階として、日常生活 って、レンズの使用部位が異なる。そのため、 における眼鏡レンズの部分別使用頻度を測定 眼鏡レンズのどの部位を通しても網膜上に明 した試み 3,4) を紹介する。 瞭な像を結ぶ必要がある。そこで、眼鏡レン ズ周辺部の光学性能の向上を目的として、非 2.累進レンズにおける屈折力分布と視線 球面レンズなども開発されている。他方、眼 累進屈折力レンズの最適な屈折力分布、す 球の動き、特に読書時などで近くを見る場合 なわち、レンズのどの部位にどの程度の屈折 に眼球が輻輳とともに下方視することを利用 力を配置させるかは、実際の眼鏡装用上重要 して、老視に対する累進屈折力レンズなどが な問題である。一般に、加入度、累進帯長お 処方・使用されている。日本は世界一の長寿 よび輻輳角などに基づいて、各メーカーが独 国と言われ、全人口に占める 65 歳以上の割合 自に設定しているとは思われるが、用途別累 (高 齢 化 率 )が 高 い 。 2020 年 に は 高 齢 化 率 が 進レンズはもとより、各人の生活スタイル、 29.2%、約 3600 万人と予測されており 1) 、累 進眼鏡の利用が大幅に増えると思われる。 さ ら に 視 対 象 (視 点 )の 移 動 に 対 し て 眼 球 を 主 に移動させる(eye mover)、あるいは頭部を主 累進屈折力眼鏡では、遠・中・近方の視対 に回転させる(head mover)などの 生理的反応 象に対してレンズ各部位の屈折力を変化させ の個人差など、使用者による違いも考えられ ることによって、遠近の焦点合わせを行って る。今後、累進屈折力眼鏡が快適に装用され、 いる。装用者の視野内で屈折力の異なる部分 広く普及するには、使用者の視覚状態に合っ があることによって、眼球や頭部の運動によ た屈折力分布を持つ最適な眼鏡を処方・作成 る像の揺れなどが避けられない。この影響を する必要があると考えられる。 軽減するため、累進面をレンズの両面に配置 するなどの工夫がなされている 2) 。また、加 上記の問題を検討するに当たって必要なこ とは、日常生活の各種状況で 入度を少なく、あるいは累進帯長を長くする a. 眼鏡レンズのどこを通して、 などで収差を抑制し、 「揺れや歪み」を低減し b. 何(どの 距離)を見ているか た使用目的別の累進レンズも開発されている。 を具体的・個人別に知ることと思われる。 ただし、いずれの場合でも、眼球の視線方向 すなわちレンズの使用部位で、対象の奥行き 位置に対応した屈折力となっていることが、 レンズ設計上でも装用状態でも前提条件にな 3.測定および解析方法 私達は多種多様な環境下で生活しているが、 日常生活約 10 種類の状況 4) での計測を試み た。なお、自然な状況での眼球運動を評価す るため、被験者には特に姿勢や行動を指示せ ず、作業時間にも制限を設けなかった。 4.測定結果例 -遠距離および近距離重視の状況- 日常生活の中で、累進眼鏡の遠用部および 行動・作業中の視線方向(上下・左右方向の 近用部をほぼ均等に使用していると予想され 眼球回転角)の計測には、屋外や車載での使用 る「テレビを見ながら朝食を取る」あるいは が可能であり、短時間で容易に校正でき、さ 居間で「本や雑誌、新聞などを読みながらテ らに測定中に頭部を自由に動かすことができ レビでナイター観戦する」状況も多い。図 2 る装置(ナック、アイマークレコーダ、EMR-8) は、より能動的な参加状況として「講演会・ を用いた。被験者は EMR-8 のヘ ッド部分を 学会あるいは教室などで遠くのスクリーンあ 装着させた状態(図 1 左)で各種の行動・作業 るいは黒板を見ながら手許でメモを取る作 を行った。また、各状況に慣れるため、最低 業」を模した状況設定を示している。被験者 2 回の練習後に数回の測定を行った。 は、視距離 6m にある ホワイトボードに書か 実験・解析方法を図 1 3) に示すが、それぞれ の状況で眼球の上下・左右の回転角度(視線方 れた文字を、視距離 30cm でテー ブル上に置 かれたノートに書き写す作業を行った。 向)を計測し、眼鏡レンズでの使用部位を 1/60 図 3 は、被験者 4 名(A, B, C, D)が 筆記作業 秒毎に求めた。また、眼球運動の計測と同時 を して いる時 のレ ンズ使 用部 位を 1/60 秒 毎 に 、 被 験 者 の 視 野 映 像 と 注 視 点 (視 対 象 )を にプロットしている。図の横軸はレンズ面上 DVR(Digital Video Recorder)へ記 録し、被験 での左右方向の位置、縦軸は上下方向の位置 者が何を注視している時にレンズのどの部分 を表している。また、図中の楕円は測定点の を使用しているかをほぼ連続的に計測・解析 95%が入る確率楕円であり、各視対象(ホワイ した。測定範囲は、眼鏡レンズ面上で左右方 ト ボ ー ド お よ び ノ ー ト あ る い は 鉛 筆 )を 見 た 向が±26mm、上下方向が±18mm であった。 時の使用頻度が高いレンズ部位を表している。 EMR-8 (nac) 視野映像VTR 全被験者ともに、ホワイトボードに書かれた 文字を読んでいる時にはレンズ上部のほぼ中 央を、ノートへ筆記している時にはレンズ中 央やや下部を主に使用していた。ここで、被 験者 A ではホワイトボード上の文字を読む時 のレンズ使用部位が、他の被験者に比べて上 視線方向 視対象 レンズ使用部位 DVR によ る照合結果でも、被験者 B は頭 部 をあまり上げずにホワイトボードを見ており、 「何を見ている」時に 「レンズのどの部位を使用」しているか 図 1 眼球運動計測・解析方法 (sampling rate: 60Hz) 方に位置している。被験者側面から撮影した 3) 他の被験者に比べて頭部運動よりも眼球運動 の占める割合が多く、eye mover の傾向が強 いと考えられる。また、被験者 C ではノート への筆記時でもレンズ中央部を主に使用する 場合が多く、作業中での眼球の上下移動が少 なく、head mover の特性を示している。 その他、各種場面での視線移動を計測した 結果、日常生活全体における眼鏡レンズの使 用部位およびその頻度は、作業環境や個人の 生理的特性で異なることが確認された。屈折 力分布が固定された1種類の累進屈折力レン ズが、全ての使用者に適切であるとは言い難 図 2 文字筆記作業での設定条件 (遠・近重視状況) 4) く、用途や個人の特性に合わせたカスタムメ イドの累進屈折力眼鏡が最良と考えられる。 図 3 文字筆記作業での注視対象とレンズ使用部位 4) (95%確率楕円) 5.おわりに 個人毎の生活スタイル、用途あるいは使用 近い将来、多種の状況で簡便・正確に測定 者 の 生 理 的 反 応 の 個 人 差 (眼 球 と 頭 部 の 移 動 可能なシステムが開発され、個人毎の生活ス 比 率 な ど )に 合 わ せ た 累 進 屈 折 力 レ ン ズ を 個 タイルや使用目的、視線移動の特性などに合 別に設計・処方・調整するための基礎データ、 わせたオーダーメイドの累進屈折力眼鏡が普 すなわち各種使用状況における眼球運動の特 及することが望まれる。 性 (レ ン ズ の 部 分 的 使 用 頻 度 )を 計 測 し 、 使 用 者の視覚状況に最適な屈折力分布を求める試 【文献】 みを紹介した。ただし、この種のシステムが 1) 国 立 社 会 保 障 ・ 人 口 問 題 研 究 所 : 日 本 の 有効に活用されるまでには、解決すべき多く 将来推計人口(平成 18 年 12 月推 計).p.9 の課題が残っている。特に、より簡便にこの (2006) 2) 高 橋 文 男 : 累 進 屈 折 力 レ ン ズ - 最 近 の 進 種の計測が可能なシステムの開発が望まれる。 累進屈折力眼鏡を処方・調整、あるいはオ 歩 - . あ た ら し い 眼 科 21: 1455-1460 ーダーメイドする段階で、近用アイポイント (2004) 3) 河 原 哲 夫 : 累 進 屈 折 力 眼 鏡 と 視 線 . あ た と近見視線の一致が特に重要と考えられる。 このチェックは、一般にミラー法によって行 らしい眼科 24: 1151-1156 (2007) われるが、累進レンズの累進帯長の選択や近 4) 河 原 哲 夫 、 吉 澤 達 也 : 老 視 の 矯 正 眼 鏡 と 用視線のレンズ通過位置を自覚的に簡便に計 視 線 . 日 本 視 能 訓 練 士 協 会 誌 38:93-100 測する方法として、カラーバゴリニースケー ルを用いた「下方回旋量測定器」が提案され (2009) 5) 木村博以:「眼下げ量」の測定による累進 5) 。また、遠方視および近方視した時 レンズの選択―自覚アイポイントの測定 の外眼部撮影とその画像解析から、遠用およ 法 ― . 眼 鏡 学 ジ ャ ー ナ ル 13(1):18-20 び近用アイポイントを自動的に計算するシス (2009) 6) ア イ ポ イ ン ト 測 定 シ ス テ ム が 叶 え る 自 分 ている テム(Epiload)が開発されている 6) 。 これらは、 特定の下方視条件での測定ではあるが、簡便 仕 様 の 遠 近 両 用 メ ガ ネ . Private Eyes な方法としてその発展が期待される。 No.1, pp.68-73 (2010)
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