テトラヒドロビオプテリン(BH4)

テトラヒドロビオプテリン(BH4)
(平成 16 年度 沢辺恵子 学位論文 まえがき より)
BH 4 はカテコールアミンやセロトニン生合成の律速段階を触媒するチロシン水酸化酵素
(TH: tyrosine hydroxylase, EC1.14.16.2)、トリプトファン水酸化酵素 (TPH: tryptophan
hydroxylase, EC1.14.16.4)、フェニルアラニンの代謝に働くフェニルアラニン水酸化酵素
(PAH: phenylalanine hydroxylase, EC.1.14.16.1)などの芳香族アミノ酸水酸化酵素に共通の必
須の補酵素である。また一酸化窒素合成酵素 (NOS: nitric oxide synthase, EC.1.14.13.39) の補
酵素として働いていることも近年明らかとなった。このことから BH 4 は神経系や内分泌系、免
疫系、循環系など生体内の様々な機能の調節因子として重要な働きをしていると考えられている。
O
H
HN
N
H 2N
N
N
H
N
O
OH
H
CH
H3
補酵素BH4
Phe
O
OH
N H22
H
PAH
6R -5.6.7.8.tetrahydrobiopterin
Tyr
q-BH2
TH
NOS
TPH
citrulline
Trp
+ arginine 5HTP
NO
5HT
Tyr
Dopa
DA
ビオプテリンが細胞内で補酵素としての生理活性を持つ状態は還元型 (テトラヒドロ型)
である。そのため通常細胞内では、ほとんどが還元型 (BH4) の状態で存在している。BH 4 はモ
ノオキシゲナーゼ反応の補酵素として利用された後は、基質アミノ酸の水酸化とともに共役酸化
され、プテリン 4a-カルビノラミンに変わる。その後プテリン-4a-カルビノラミン脱水酵素 (PCD:
pterin-4a-dehydratase, EC4.2.1.96) によって速やかにキノノイドジヒドロビオプテリン
(q-BH 2) へと変換された後、ジヒドロプテリジン還元酵素 (DHPR: dihydropteridin reductase,
EC1.6.99.7) の働きによって BH 4 へと再還元されている(図 1-2)。そこで、補酵素として BH 4 を
必要とする細胞内の定常レベル維持に関しては、GTP からの生合成とリサイクルの働きによっ
て維持されていると考えられており、細胞外への排出や細胞内での分解機構などはほとんど知ら
れていない。
BH 4 の生合成系酵素またはリサイクル系の酵素の遺伝的異常によって生じる疾患には悪性
高フェニルアラニン血症とドーパ反応性ジストニア (DRD: dopa-responsive dystonia, 瀬川病)
がある。古典的フェニルケトン尿症 (PKU) はフェニルアラニン水酸化酵素 (PAH:
phenylalanine hydroxylase) の完全欠損により生じる代表的な遺伝性アミノ酸代謝異常症の一
つで、フェニルアラニンの過剰とチロシンの欠乏によって知能障害や色素の欠乏 (黄褐色の毛髪
や白い皮膚)、頑固な湿疹などを引き起こすことが知られている。この PKU は早期にフェニルア
ラニン制限ミルクをあたえることで知能障害を防止することができるため、新生児期に血液を材
料にしてガスリー法によるマススクリーニングが広く実施されている。これに対して、悪性高フ
ェニルアラニン血症は PAH の補酵素である BH 4 が欠乏するため in vivo での PAH の活性が低
下することで発症する。この場合、フェニルアラニンの代謝だけでなく、PAH と同様に BH 4 を
補酵素として要求するチロシン水酸化酵素 (TH) やトリプトファン水酸化酵素 (TPH) の活性
も低下するため、神経伝達物質であるカテコールアミンやセロトニンの生合成も障害される。こ
のため PKU の場合よりも重篤な症状 (乳児期痙攣、筋緊張低下、発達遅延、痙性四肢麻痺、精
神運動発達の退行等) を引き起こし、フェニルアラニン摂取の制限だけでは発達の遅滞は改善で
きない。このような患者には BH 4 投与と共に神経伝達物質の前駆体である L-ドーパや 5-ヒドロ
キシトリプトファンの補充療法が行われている。
BH 4 の生合成系酵素の異常による疾患のもう一つの例が DRD である。DRD は小児期に発
症するジストニア (筋肉の緊張異常による姿勢の異常で、足や手、頸部や体幹の不随意な姿勢で
始まり、全身のねじれを生じたり、持続的な筋収縮により動作が硬くなったりするものもある)
を特徴とする遺伝性疾患で、顕著な日内変動がある。L-ドーパを投与することによってジストニ
アの症状が消失し、パーキンソン病 (黒質線状体のドーパミン作動性ニューロンの変性を反映し
て、線状体のドーパミンと、その合成系酵素活性もすべて低下している状態) にみられるような
L-ドーパの副作用 (on-off 作用と呼ばれる状態) がほとんど見られない。また、無症候性キャリ
アが存在することと、女性の発症率が男性に比べて約 4 倍高いことなどが特徴である。DRD の
患者では BH 4 生合成の律速段階を触媒する GTPCHⅠの遺伝子の片方に変異があることが明ら
かとなっている。このため黒質線状体ニューロンでドーパミンの生合成が低下してジストニアを
発症すると考えられている(次ページへ続く)
(ひとこと) 長谷川研究室は,世界のテトラヒドロビオプテリン研究
をリードしている研究室の一つです。テトラヒドロビオプテリンの研究
で博士号を取った研究者を4人も輩出しています。学位論文は,その分
野の事を網羅的に記述しているので,その分野の最先端を知るには最適
な読み物です。
BH 4 代謝異常による疾患のうち最も報告が多いのは BH4 生合成の 2 番目の段階を触媒する
PTPS 遺伝子の変異で、約 60%を占める。ついで多いのは BH 4 リサイクル系の DPR で約 30%、
残りの 10%は BH 4 生合成の律速酵素である GTPCHⅠやリサイクルに関わる PCD の変異による
もので常染色体劣性遺伝形式をとる。また、最近新たに BH 4 生合成の最終の二段階を触媒する
SR の変異も報告された(23)。現在 BH 4 欠損症に関する国際データベース BIODEF, BIOMDB が
インターネット上で公開されている (www.bh4.org/)。
TH および TPH の BH 4 に対する Km 値は 20∼100μM で、PAH は 2∼3μM である。こ
れら芳香族アミノ酸水酸化酵素に対して BH 4 は比較的緩く結合し、基質に水素原子を負荷する
際の電子供与体として機能している。一方 NOS に対して BH 4 はヘム及び L-アルギニンと共に
安定なダイマーの形成に必要とされていると考えられている。神経型 NOS に対する BH 4 の Km
値は 0.02∼0.03μM と非常に低く、強固に結合していると考えられる。悪性高フェニルアラニ
ン血症や DRD で一酸化窒素 (NO) の異常に基づく症状が顕著でないのは、こういった疾患でも
BH 4 合成酵素のわずかな活性によって、NOS の誘導を必要としない場合には NO の産生が維持
されうるためであると考えられる。
BH 4 の神経系に関するその他の作用としては、ラットの線状体からドーパミンやセロトニ
ンを放出させる働きが報告されている。これは細胞内でのモノアミン生成が亢進したために引き
起こされるのではなく、細胞外から作用するという情報伝達の役割を BH 4 が果たしていること
を示唆している。この BH 4 によるモノアミン放出の調節は、ラット好塩基球性白血病細胞であ
る RBL2H3 細胞と、ラット副腎髄質褐色細胞腫である PC12 細胞を用いた実験でも確認されて
いる。また、BH 4 は NO 由来のラジカルを消去する働きをもつために細胞の保護作用を持つこ
とや、PC12 細胞の無血清培養時や NGF 除去時に細胞保護的に働くという報告がある。
免疫系においては TNFα (tumor necrosis factor α)、INFγ (interferon γ) 等の刺激に
よって T 細胞やマクロファージ、単球などで GTPCHⅠが誘導され、プテリン産生が亢進する
ことが知られている。このとき同時に誘導型 NOS の発現が誘導される細胞では BH 4 は NOS の
補酵素として機能していると考えられる。一方循環器系においてもサイトカイン刺激により、血
管内皮細胞、血管平滑筋細胞(41)、心筋細胞において BH4 の生合成が促進される。血管内皮細胞
で生成された BH 4 は局所的に作用して、血管平滑筋細胞の誘導型 NOS 活性を増強している可能
性も示されている。
BH 4 には先に述べたようなモノアミン放出のシグナルとしての働きや、抗酸化作用、NO の
毒性に対する保護作用、血管新生の促進といった補酵素以外の作用も明らかになりつつある。近
年、高血圧、高脂血症、糖尿病などの患者や、喫煙習慣をもつヒトにおいて内皮依存性血管拡張
反応が低下していることが明らかになってきた。血管内皮型 NOS は BH 4 が減少すると NO を産
生せず、多量の hydrogen peroxide を産生する(46)。Hydrogen peroxide は、superoxide anion
と反応して強力な酸化物質である hydroxyl radical に変化する。その結果酸化ストレスによって
血管内皮が傷害される。この際 BH 4 補充によって内皮依存性血管拡張作用が改善する。このこ
とは BH 4 の抗動脈硬化薬としての可能性を示しており、将来的な BH 4 補充の適用患者の増加を
予見させる。
これまで、BH 4 生合成系酵素やリサイクルに関わる酵素の欠損に起因する BH 4 不足の患者
にのみ BH 4 の補充療法が試みられて実際に効果を挙げてきた。しかし BH 4 の体内への取り込み
効率は非常に悪く、大量 (10∼20mg/kg) かつ継続的な投与を必要とし、患者への肉体的、精神
的、経済的負担は多大なものであった。BH 4 補充療法の対象者が非常に限られた遺伝的疾患の患
者だけであったことが、これまで BH 4 の体内動態研究を遅らせた原因である。しかし、高血圧
や糖尿病などの生活習慣病の治療薬として BH 4 の可能性が期待されている現在、BH 4 の体内動
態を知り、効率よい BH 4 補充法を確立する事には大きな意義があると考えられる。