「専門医」としての役割と臨床の現場 「人でなく臓器を診る」と批判されてきた大学病院に,相 次いで総合診療部がつくられ,家庭医の研修を受ける研 修医や医学生が増えるなど,プライマリ・ケア(初期医療) とプライマリ・ケア医の役割が注目されている。 今なぜプライマリ・ケアなのか,プライマリ・ケア医にで きることとはなにか。これからの医療のあり方を考えな がら,その現状をリポートする。 全人的なケアが求められている 名古屋大学医学部附属病院総合診療 部。伴信太郎教授の診察室には,さま ざまな症状を持つ患者が訪れる。 とですが,特に総合診療部では多様な はない。ある部分は深く,ある部分は アプローチが要求されるのです」(伴 浅くというように,疾患の頻度,緊急 教授) 度,重篤度によって,メリハリをつけ よくある誤解に「総合診療部は患者 をよその科に紹介する,交通整理だけ る能力を身につけることが求められて いる。 「大学病院の患者さんで特定の紹介 しているところ」というものがある。 これも誤解されやすいことだが,開 状を持っている方は,それぞれ紹介先 しかし名古屋大学の場合,他科への紹 業医=プライマリ・ケア医ではない。 の診療科へ行きます。また紹介状がな 介は 1 ∼ 2 割程度で,ほとんどの患者 たしかに開業医は基本的臨床能力を有 くても,ご自身の考えとしてかかりた が引き続き総合診療部に通っている。 しているが,良質なプライマリ・ケア い診療科のある方はそちらへ行きま 総合診療部がトータルに受け持ち,必 を提供しようとすれば,その「専門と す。総合診療部に来られる方はそれ以 要に応じて他科の医師の診察を受けた しての臨床能力」が求められるのだ 外の方。つまり,どこが悪いのか分か りはするが,また総合診療部に戻って (図 1)。コンピュータで例えれば,基 らない方や,ほかの診療科で診察を受 くる場合がほとんどである。 本的臨床能力は OS(ウインドウズな どこの大学病院でも臓器別専門科で ど)に附属するワークス・ソフトで, はケアしきれない患者が一定数いる。 専門としての臨床能力はワードやエク 大学病院での総合診療部と「総合する セルなどのオフィス・ソフトやその他 専門医(ジェネラリスト)」の必要性 のアプリケーション・ソフト。提供で ① 複数の身体的な疾病を持つ人 が,そこにある。そして,総合診療部 きる範囲は異なるのだ。 ② 心と身体の両方のケアを必要と はプライマリ・ケア医養成でも重要な けてもなかなか治癒しないという方た ちです」(伴教授) 患者のタイプは,大きく 3 つに分け ることができる。 する人(心のケアを必要とする 役割を担っているのだ。 領域であって,その領域を専門的に扱 うのがプライマリ・ケア医なのです」 患者さんは,どの病院の総合診 療部でも2∼4 割ぐらい) 「プライマリ・ケアは医療の 1 つの プライマリ・ケアは1つの領域 (伴教授) ③ 何が悪いのか分からないという人 これらの患者さんを相手に臓器別の 診察をしても,効果的に治療が進むと プライマリ・ケアとは初期医療のこ 医学生のジェネラリスト指向 とと一般に認識されている。そのため, は考えにくい。院内でたらい回しにさ 「プライマリ・ケア医」=「一般開業 欧米にはプライマリ・ケア医が数多 れる恐れもある。全人的な診察を試み 医」,「専門医」=「大学病院などの医 く存在し,彼らは家庭医(family て初めて治療がスタートする。そして, 師」というイメージがある。しかし, p h y s i c i a n ), 一 般 医 ( g e n e r a l その専門科が総合診療部なのである。 それは違うと伴先生は言う。 practitioner)などと呼ばれ,プライ 「内科や外科など,対象を絞って深 マリ・ケア専門の医師として人々に認 うつ病を引き起こした人の場合,体の く追求する型の専門医が『分化する専 知されている。ところが,日本でプラ 病気は「心臓内科」,うつ病は「精神 門医(スペシャリスト)』で,プライ イマリ・ケアを専門とする医師は少な 科」と別々に診ていたのでは治療を進 マリ・ケア医は『総合する専門医』の い。ではなぜ,日本にプライマリ・ケ めにくい。総合診療部ではそれぞれの うち,一次医療を担当する医師のこと。 ア医が少ないのか。「プライマリ・ケ 専門医(この場合,心臓内科と精神科) スペシャリストとジェネラリストの対 ア医を養成するシステムがなかったか と連携を取りつつ,患者の治療をトー 比を狭く深くの専門医と広く浅くの専 ら」だと伴先生は言う。 タルに管理するのだ。 門医と解釈する人もいますが,そうで たとえば,心臓病の入院が長引いて, ・ 「医学的な正しさだけでなく,患者 はありません」 (伴教授) ・ ・ ・ ・ 「どの専門領域でも,ある程度の臨 床経験を積めばプライマリ・ケアは十 さんやご家族の価値観も考慮に入れる ジェネラリストが広い専門医である 分できるようになるという意見もある 必要があります。臨床一般に言えるこ ことは事実だが,必ずしも浅いわけで がそれは違います。そのつもりで目標 November 2003 Tie-up プライマリ・ケア医だから, できる!! 名古屋大学医学部附属病院総合診療部の伴信太郎教 授。プライマリ・ケア医学教育と基本的臨床能力の教 育に関する研究に関心を持ち続け,医学教育ワークシ ョップの特別専門委員やコンサルタントを数多く務める。 名古屋大学医学部附属病院総合診療部のホームページ http://www.med.nagoya-u.ac.jp/general/index.html を定めてトレーニングを積まなけれ うちの 7 ∼ 8 割の学生が「得意分野を ば,総合する専門医の実力は身につか 持つ」ジェネラリストを,残りの 2 ∼ 「現在のプライマリ・ケアの主体を ないのです。プライマリ・ケアは1つ 3 割がへき地医療などに携わるプライ 担う開業医の先生には,その専門教育 の専門領域なのですから」 (伴教授) マリ・ケア医を目指している。ジェネ を受ける機会が与えられませんでし 望に答える受け皿がなかったのだ。 日本では長い間,臓器別の専門医を ラリストを指向する学生の割合が増え た。その方たちが大変な努力と試行錯 育てることばかりに目が向けられてき たようにも思えるが,じつは昔とそれ 誤の末にプライマリ・ケアに求められ た。それが今,変わろうとしている。 ほど変わらないと伴先生は話す。先生 る臨床能力を獲得したのです。医学教 名古屋大学医学部が学生に行ったア 自身がそうであったように,ジェネラ 育にプライマリ・ケアがもっと導入さ ンケートによると,約 4 割の医学生が リストを目指す学生は以前から結構い れれば,医学生は系統的に学ぶことが ジェネラリストを指向していた。その たそうだ。ただし,当時は医学生の希 できるし,その教育に携わるプライマ リ・ケア医にとっても生涯教育の刺激 図1 プライマリ・ケア能力と基本的臨床能力 になるでしょう」 (伴教授) 次に,プライマリ・ケア医養成のた A め,研修医や医学生を積極的に受け入 れている診療所を紹介しよう。 基本的臨床能力 生活に寄り添って支える医療 A〔例〕 :循環器の専門としての臨床能力 :消化器の専門としての臨床能力 :泌尿器の専門としての臨床能力 :プライマリ・ケアの専門としての臨床能力 (伴信太郎『21 世紀プライマリ・ケア序説』 (プリメド社・2001年) より せふり 佐賀県の北東部,背振山地に位置す みつせ る三瀬村。その村で唯一の診療所であ る三瀬村国民健康保険診療所に,白浜 雅司所長が赴任したのは 9 年前のこ と。それまでは大学病院の総合診療部 図2 米国国立科学アカデミーによるプライマリ・ケアの定義(ACCCA) に所属していた。 三瀬村の高齢化率は 30%と高く, Accessibility (近接性) 1.地理的 2.経済的 3.時間的 4.精神的 Accountability (責任性) 全国平均の 18%を大きく上回ってい 1.医療内容の監査システム 2.生涯教育 3.患者への十分な説明 7 割はお年寄り。1 日 30 人ほどの外 る。そのため,診療所に来る患者の約 来患者のほとんどが,高血圧や腰痛症 といった慢性疾患のある高齢者だ。そ Comprehensiveness (包括性) Continuity (継続性) 1.予防から治療,リハビリテーションまで 2.全人的医療 3.よくある疾患(common disease) を中心とした全科的医療 4.小児から老人まで Coordination 1. 「ゆりかごから墓場まで」 2.病気のときも健康なときも 3.病気のときは外来−病棟−外来 へと継続的に (協調性) 1.専門医との密接な連携 2.チーム・メンバーとの強調 3.住民との強調 4.社会的保健・医療・福祉資源の活用 の人たちが一番必要としているのは病 気の根治を目指すような最新の医療で はなく,1人ひとりの生活に寄り添っ て支える医療なのである。 「 プ ラ イ マ リ・ケ ア の 本 質 で あ る (図 2)のうち,村の医療で 『ACCCA』 一番重要なのは Accessibility(近接 性)だと思います。かかりやすいとい うことが何よりも大切なのです」(白 November 2003 Tie-up 浜所長) 疾患だけに焦点を当てるのではな 始まり,その子は何の障害も残さず 3 事ではない。在宅訪問診療,村に 1 つ 週間後に歩いて家に帰っていった。 ずつある保育園・小中学校の学校医, 予防医学への取り組みなど,さまざま く,全人的に患者を診ること。その点 プライマリ・ケア医=救急医ではな では,街のプライマリ・ケア医と山村 い。ましてや三瀬村の医師に期待され のプライマリ・ケア医は同じである。 る役割の多くは,コモン・ディジーズ(一 月 1 回の「高齢者サービス調整会議」 しかし,山村のプライマリ・ケア医は 般的疾患)への対応である。しかし,上 では,村役場の福祉担当職員,保健婦, 患者の暮らしの場でともに生きる存在 記のような事態が起きたときに,もし医 社会福祉協議会のソーシャルワーカ であり,白衣を脱いだ後もその人たち 師が何も対応できなかったとしたら,患 ー,老人福祉施設のデイサービスや在 との関係は続く。日常生活の会話さえ 者の命はどうなっていただろうか。プラ 宅介護支援センターの担当者,診療所 も治療につながるのだ。 イマリ・ケア医の要求される「ある部 の歯科医師,看護師たちと話し合う。 分は深く,ある部分は浅く」の知識は, いろいろなサービスを受けている老人 こんな局面で発揮されるのだ。 の情報を各担当者が出し合い,お年寄 「患者さんの生活の場の中で保健, 福祉(介護)を含めた対応ができるの はとても興味深く,面白い仕事です」 な活動を行っている。 「医者みょうりに尽きる出来事であ りの状態,家族の介護力を考慮しなが るのと同時に,プライマリ・ケアでは ら,起こりうる事態に早めに対処して 診療所の患者は慢性疾患を持つ高齢 何よりも医師自身の臨床能力が試され いく方策を検討していく。プライマ 者ばかりというわけではない。救急の ることを痛感する体験でもありまし リ・ケアのねらいである全人的な診療 患者も当然いる。赴任して間もないこ た」(白浜所長) は,1人の医師だけではできない。地 (白浜所長) 域でのプライマリ・ケアには,このよ ろ,2 歳の子供が池に落ちて心拍停止 の仮死状態で運ばれてきた。すぐにマ ウスツーマウスで蘇生を始め,救急隊 後輩に伝える「プライマリ・ ケア医の姿勢」 赴任した翌年からは医学生の診療所 実習を受け入れている。後輩がプライ と連携して救急車で大学病院へ輸送し た。幸いなことに輸送中に自発呼吸が うな連携が欠かせないのだ。 日常の外来診療だけが白浜先生の仕 マリ・ケアの分野で働くおもしろさを 三瀬村国民健康保険診療所と三瀬村保健センターが隣り合うスマイルセンター。地域の保健医療福祉の拠点である。 November 2003 Tie-up プライマリ・ケア医だから, できる!! 三瀬村国民健康保険診療所の白浜雅司所長。山村で の医療に従事しながら 200 人近い研修医や医学生を 受け入れ,診療所実習を行ってきた。 「地域の視点で 総合診療を学んで欲しい」。佐賀大学総合診療部で の講義も受け持つ。 白浜雅司所長のホームページ http://square.umin.ac.jp/masashi/ 知り,日本の医療がこれから直面する, 問題にも配慮し,保健や福祉にまで目 だけでプライマリ・ケア医になれると 保健・医療・福祉の連携について考え を配る。それができるのがプライマ 思うのは間違いです。プライマリ・ケ てもらいたいと考えるからだ。これま リ・ケア医なのだ。 ア医は専門医ですから,そのための研 でに約200人が参加した。 チーム医療を展開する場合にも,必 修プログラムも必要なのです」(伴教 授) 「体験できる実習内容は,実習時期 要とされる。中心的役割を担当すると に受診した患者さんの疾患や,関連行 きはもちろん,コメディカルの人が中 事によって違いますが,少なくとも地 心を担うときでも,一員にプライマ ドラマ化もされた人気マンガ『Dr. 域医療に携わる医療者の姿勢は,いつ リ・ケア医がいるといないとでは連携 コトー診療所』に,こんなエピソード 実習に来ても見てもらえると思ってい のスムーズさに大きな違いが現れる。 がある。Dr.コトーこと五島医師は絶 ます」(白浜所長) もしいなければ,病院へ行き,しかも 海の孤島で唯一の医師。ある日,診療 実習生として,在宅死を選択した末 いくつもの診療科をかけもち受診しな 所に胃炎持ちの島民,和田さんが相談 期がん患者に接した医大生は,患者の くてはならなくなる場合も大いに考え に訪れる。「飼い猫の食が進まない。 意志を尊重し,一方で医療者として提 られるからだ。 拒食症ではないか」と。自分が獣医学 供できる情報を伝える白浜先生に付き 「よいプライマリ・ケア医とは,何 に不案内なことを告げ,知り合いの獣 添い,思ったという。何の思い出もな が問題なのかが分かって,それを自分 医に問い合わせてみることを笑顔で約 い病室を眺めながら旅立つことと,苦 が解決したほうがいいのか,あるいは 束するコトー。島中の人の悩みを解決 しいかもしれないが,思い出の詰まっ 他人に頼めばいいのか,その判断が適 するつもりかととがめる看護師にはこ た家で最期を迎えることとでは,どれ 切にできる人。そして,それを実現す う答える。 だけ QOL(クオリティ・オブ・ライ るためのネットワークを持っている人 フ)が違うだろうかと。そして,レポ のことです」 (白浜所長) ートにこう記す。 「和田さんの胃炎は明らかに猫の心 配が原因だ。猫が治れば胃炎も治るよ」 平成 16 年度からは医師の卒後初期 マンガの世界の話,ではある。し 「医師はさまざまな役を演じなけれ 研修が必修化される * 2 。新しい研修 かしそこには,いま医療に求められ ばならない。 患者さんを気遣う 『家族』, 制度では,2 年間の研修期間中に内科, ていることの1つが描かれているの 世間話をする『友達』,患者さんの深 外科,救急科,小児科,産婦人科,精 ではないだろうか。そして和田さん 刻な悩みに対して相談に乗る『カウン 神科,地域保健・医療でのローテート の胃炎を治せるのはきっと,プライ セラー』,そして患者さんの『医療の 研修 * 3 が義務づけられた。「地域保 マリ・ケア医と呼ばれる人たちなの エキスパート』」* 1 健・医療」という枠組みで 1 ∼ 3 ヶ月 だ。 白浜先生の言う医療者,プライマ にわたるプライマリ・ケア現場での研 総合する専門医としてのプライマ リ・ケア医の姿勢とはこのことなのだ 修が組み込まれるのは,プライマリ・ リ・ケア医の存在を一般にも広め,そ ろう。 ケアの重要性が改めて認識された証し の専門教育を充実し,良い専門医を育 だ。しかし,気がかりな点はある。 てること。医療の未来をさらに明るく プライマリ・ケア医と これからの医療 プライマリ・ケア医と一口にいって も,診療する場所や場面によってその 役割は変わってくる。しかし,それぞ れの生活の場で,患者中心の視点で相 談の窓口になることは同じである。身 体的問題だけではなく,心理・社会的 「卒後初期研修でプライマリ・ケア を学ぶこと自体はよいのですが,それ するためには,彼らの活躍が欠かせな いのだから。 * 1 :白浜雅司「地域の診療所で学ぶ,保健医療福祉の連携」 ( 「看護教育」43 (12) 1043 ∼1048,2002 年) * 2:厚生労働省「新たな医師臨床研修制度のホームページ」 http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/rinsyo/index.html * 3:複数の科を選択する研修 【参考文献】 伴信太郎『21 世紀プライマリ・ケア序説』 (プリメド社・2001年) 白浜雅司「村民とともに−病とともに人を診る医療の実践−」 ( 「教育医療」2 ∼ 3,22(1) ,1996年) 山田貴敏『Dr.コトー診療所①』 (小学館,2000 年) November 2003 Tie-up
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