通訳翻訳論 講義資料

通訳翻訳論
翻訳と通訳の共通点と相違点
獨協大学 国際教養学部言語文化学科
永田小絵
翻訳・通訳の共通点
1)発信者と受信者は
共通の言語を持たない
翻通訳の基本的要件
発信者(書き手あるいは話し手)と
受信者(読み手あるいは聞き手)の
間に共通の言語がない。
翻通訳者が存在しなければ
互いに言語による意思の疎通が困難
翻訳・通訳の共通点
2)翻通訳者は
起点言語の記号表現によって受容し、
目標言語に変換し、
目標言語の記号表現によって表出する。
受容(理解・解釈)
→ 変換(訳語の選択、TL構成)
→ 表出(音声、文字による表現)
翻訳・通訳の共通点
3)翻通訳は
メッセージの指示する事柄と
意義を保持する
ST(起点言語)
┌─指示対象となる事柄
M1 ├─テクストの意義
└─語/句/文の記号表現
TT(目標言語)
=>
=>
指示対象となる事柄 ─┐
テクストの意義
─┤ M2
| 語/句/文の記号表現 ─┘
翻訳通訳のプロセス(1)理解

起点言語の受容
◦ 文字言語または音声言語の理解
語義、統語法、語用
(ボトムアップ的理解)
テクストのコード解析
表層構造におけるメッセージ
背景知識による推論
(トップダウン的理解)
コンテクストの参照
テクストのタイプ
深層構造における意義
発信者の意図
テクスト間的意味
翻訳通訳のプロセス(1)理解

ボトムアップ的理解
◦ 音→字→語→文節→句→文→段落→章→……
→テクスト
◦ どの段階で翻訳・通訳を行うか?
◦ 表層形式(音声・文字)の持つ意義による理解

主に言語知識による理解
◦ 語彙力
◦ 文法力
◦ 論理力
辞書的に対応する訳語
語順、時制、活用など
文のつながり、論旨の展開
翻訳通訳のプロセス(1)理解

トップダウン的理解
◦ コンテクストの参照
コミュニケーションの背景、状況
◦ テクストのタイプ
言語使用域、テクストの目的
◦ 深層構造における意義
送り手のメッセージ
◦ 発信者の意図
送り手のメッセージの目的
◦ テクスト間的意味
パロディ、本歌取りなど
理解を支える四つの知識

言語知識
◦ 二言語の語学力

世界知識
◦ 一般常識、雑学的知識

専門知識
◦ 話題に対する知識

状況知識
◦ テクストが用いられている場に対する知
識
翻訳・通訳における理解
 基本的には通常の理解の仕方と同じ
だが
◦ SLの表層構造(語彙、語法)に
より注目
◦ SLをより緻密に分析
◦ 中間言語(未完成な訳文)を想定
◦ TLへの転換戦略を意識
◦ ボトムアップしつつトップダウン
◦ 解釈に自己の見解を入れない
明確な理解を可能にする条件

SLテクスト
◦ 明確に読める、聞こえる
◦ テクストとしての一貫性がある

翻訳・通訳者
◦
◦
◦
◦
◦
SLの言語に精通している
送り手の文化的背景を理解
送り手の言葉の運用方法の特徴を把握
SLの扱っている話題を熟知
幅広い知識、高い教育水準
翻訳通訳のプロセス(2)転換
◦ 翻訳・通訳が扱う対象
◦ ○指示対象となる事物
何が書いてあるのか
◦ ○テクストの意義
何が言いたいのか
◦ ×起点言語テクストを構成する記号表現
◦ ×文字や音声の形式
原則として、記号表現は保持されない
翻訳通訳のプロセス(2)転換

翻通訳者の取りうる手段
1. 等価置き換え:学術用語など一義的に定訳が
ある場合
2. 補足説明:最終受容者に理解されにくい概念
3. 変容適合:同様、類似の連想を喚起する記号
表現を充当
4. 類似代用:近接する意味を持つ語句で代用
5. 模倣:文体や詩の形式のスタイルを真似る
翻訳通訳のプロセス(2)転換
6. 不変換:メタ言語的使用、音声や文字自
体に意味がある場合
7. 新語の創作:新しい表現と概念の創造
8. 統合と展開:二語以上の表現を一語で、
またはその逆
9. 削除、省略:メッセージに関わらないま
たは受容不可能な語句
10. 再編成:テクスト構成の変更、情報提示
順序の整理
翻通訳者の取りうる手段

等価置き換え
◦ 学術用語など一義的定訳がある場合
例:電泳,電気泳動, electrophoresis
粒腺体,ミトコンドリア,mitochondria

補足説明
◦ 最終受容者に理解されにくい概念
例: 地域に独特な食べ物などは説明が必要
お好み焼き
Japanese-style pancake
containing vegetables and other foodstuff
翻通訳者の取りうる手段

変容適合
◦ 同様、類似の連想を喚起する記号表現を充当
白足袋 → 白い手袋(『斜陽』の翻訳)
ドナルド・キーン氏が『斜陽』の翻訳で、白足袋を white
gloves と訳した(中略)。白足袋が礼装であるのに対し、
white socks はテニスにでも出かけそうなカジュアルな服装
です。儀式ばった礼装というなら white gloves がぴったり。
別宮貞徳『翻訳読本』

類似代用
◦ 近接する意味を持つ語句で代用
包子 → まんじゅう
龍 → dragon
◦ Turkish delight = プリン(『ナルニア国物語』)
全く別種の菓子であるが、『ライオンと魔女』の翻訳者あと
がきによると、ターキッシュ・デライトは日本では全く馴染
みが無いと判断したために、敢えてプリンと訳したとのこと
である。
類似代用の危険性 龍とドラゴン
翻通訳者の取りうる手段
模倣

◦
文体や詩の形式のスタイルを真似る
例:俳句の中国語訳 音の数を合わせる試み
(芭蕉原文):古池や 蛙飛び込む水の音
(林林訳文):古池塘呀,青蛙跳入水声響
不変換

◦
◦
語による語の説明では変換しない
例:台湾ではパンダを猫熊といい、中国では
熊猫と言います。(猫熊と熊猫はそのまま保
持)
形式自体に意味がある(固有名詞が典型的)
Mr.Brown≠「茶色さん」
翻通訳者の取りうる手段
新語の創作

◦
新しい表現と概念の創造
解体新書の「義訳」、明治時代に作られた多くの
翻訳語
統合と展開

◦
二語以上の表現を一語で表す、またはその逆
姉と妹
→ sisters (日→英)
an elder sister and a younger sister
→特に強調している感じを与えてしまうので不適切。
孫
→
外孫女 (日→中)
hot water → 湯 (英→日)
翻通訳者の取りうる手段

削除、省略
◦ メッセージに関わらないまたは受容不可能な
語句
英日翻訳・通訳における人称代名詞、指示詞
TLの文章表現中に潜在させることが可能な情
報
再帰代名詞、仮主語など翻訳不要な文法事項

再編成
◦ テクスト構成の変更、情報提示順序の整理
必要に応じて結論から先に言うなどの操作
翻訳通訳のプロセス(2)転換

目標言語の視聴覚記号として表出
テクスト周辺情報の参照
伝達可能性と伝達必要性の検討
もっとも受容しやすい形式を選択
T/I
ter
CM
CM
R
R
M:message・伝達内容
R:relevance ・関連性
C:code・記号形式
Fil
翻訳通訳のプロセス(2)転換

翻訳通訳行為における情報の取捨選択
◦ 起点言語のテクストに含まれる指示対象(何に
ついて語っているか)と、テクストの意義(何
のために語っているのか)は目標言語において
も保持される。
◦ 翻通訳者は指示対象と意義の保存のために
記号表現を捨て去る。
記号表現はSL内部でのみ機能するため、
翻通訳者によって閉め出される。
◦ TL変換後に潜在情報となる記号表現がある。
◦ SLで潜在している情報が顕在化することがあ
る。
◦ SLのコンテクスト依存情報がTLにおいて顕
在化する、または翻通者によって引き出され、
説明される。
翻通訳の評価


特定のテクスト、特定の相手、特定の目
的、特定の歴史的状況、特定の文化背景、
特定の場所における、最良の翻訳と通訳
社会通念としての最適な記号表現
◦ 標準的な国語表記と音声表出
◦ 言語使用域に照らして適切なスタイル
◦ 訳出表現の芸術性

翻訳、通訳における知名度の問題
◦ 出版社、エージェンシーの信頼性
◦ 翻通訳者個人の知名度
翻訳・通訳における技術
語学力と翻訳通訳の熟練技術の違い
語学力:ある個別言語内の運用力を問題にする
翻通訳技術:二つの個別言語間を自由に行き来す
る能力(高い語学力を前提とする)
起点言語
受容・理解
言語の四技能
翻
訳
・
通
訳
行
為
目標言語
再構成・表出
言語の四技能
翻訳と通訳の相違点


文字言語と音声言語の違い
文字言語
◦ 文明の発達に伴い使用されるようになった言語
◦ 二次元空間に記録されることで作用を発揮
◦ 記録を主な目的とし、伝播が容易である

音声言語
◦ 諸民族の音声言語は文字言語に先行する基本言語
◦ 文字言語を持たない言語の存在(音声言語を持たず
文字言語のみ→ほとんど見られない)
◦ 表層構造以外の参照可能な要素が豊富(アクセント、
イントネーション、トーン、ポーズ、音調、口調、表
情、
手振り身振りなど周辺情報が重要)
翻訳と通訳の相違点

テクスト全体の予知
◦ 翻訳:訳出すべき内容は事前に全て提示される
テクスト全体を読んでから訳し始める
段落ごとに読みつつ翻訳する
文単位で翻訳する
◦ 通訳:話し言葉を時間軸に沿って順次訳出する
テクスト全体を全て聞いてから訳すことはまれ
短文逐次:一文ごと
一般的逐次通訳:段落ごと、1~3分ごとに訳出
同時通訳:情報単位ごとに切り分けて訳出
翻・通訳の時間的制約
◎:最も普通,○:割に多い,△:少ない,×:ほとんど
ない
訳出する時点でどこまでの情報が提供されているか。
翻訳
逐次
同時
時間的制約
一字一句
×
×
△
高
情報単位
×
×
◎
一文単位
○
△
△
段落
○
◎
×
テクスト
◎
×
×
低
逐次通訳と同時通訳

逐次通訳:一般的にパラグラフごとに訳出
◦ 後続するパラグラフの情報は推論は可能だが確
定はできない。

同時通訳:一般的に情報単位ごとに訳出
◦ 一文の後半も確定できない状況のまま訳出開始
◦ テクスト(発言)の冒頭では特に後続情報が未
知

テクスト全体の意義や意図を事前に把握す
ることで訳出の精度は上がる。
音声言語の特徴

何度も繰り返し受容することは不可能
◦ 表出された瞬間に消え去る
◦ 一度聞いてすぐに内容を理解する必要
◦ 頭ごなし(順送り)の情報処理

通訳のための記憶保持
◦ 記憶保持と再生支援のためのノート(逐次通訳)
◦ 原発言との適切な距離を維持(同時通訳)
◦ 訳出の完成度を上げるチャンキング(同時通訳)
空間と時間

翻訳
◦
◦
◦
◦

文字テクスト
紙に印刷されて流通
字幕、インターネットなどはモニターで閲覧
翻訳による産出物は「空間」を必要とする。
通訳
◦
◦
◦
◦
音声テキスト
時間軸に沿って提示される
発言者と交代でまたは同時に時間を占有する
通訳による産出物は「時間」を必要とする
発信者と受信者

翻訳
◦ オリジナル・テクストは原則的に他の個別言語に
訳出されることを前提しない
◦ 翻訳者、読者は作者にとって未知であり、直接的
な反応を観察することができない

通訳
◦ オリジナル・テクストは常に訳出されることを前
提する
◦ 話し手、聞き手、通訳者が同じ場所にいて、それ
ぞれの反応を見ることができ、コミュニケーショ
ンの当事者である意識が生まれやすい
◦ 参与者の反応による調整が可能である
テクストタイプと情報伝達(1)









一般翻訳:文字→文字
字幕翻訳:文字・音声・映像→文字・音声・映像
テレビ字幕:音声・映像→文字・音声・映像
放送通訳:音声・映像→音声・音声・映像
原稿つき同時通訳:文字・音声・視覚情報→音声・
視覚情報
即興型同時通訳:音声・視覚情報→音声・視覚情報
原稿付き逐次通訳:文字・音声・視覚情報→音声・
視覚情報
逐次通訳:音声・視覚情報→音声・視覚情報
電話通訳:音声→音声
テクストタイプと情報伝達(2)

翻訳者・通訳者が発信する情報のみに頼る
◦ 翻訳:文字から文字へ
◦ 電話通訳:音声から音声へ

オリジナルの視聴覚効果も受容者に伝達
◦
◦
◦
◦
映画、テレビ字幕:オリジナル音声と映像
二カ国語放送:オリジナル映像
同時通訳:オリジナル視覚情報
逐次通訳:オリジナル視覚情報・聴覚情報
通訳=オリジナル視聴覚情報+訳出言語情報
まとめ:翻訳と通訳の共通点

共通点
◦
◦
◦
◦
異なる二つの個別言語間で行われる
発信者と受信者のコミュニケーションに役立つ
受信→理解→転換→発信の過程
目標言語で伝達されるのは起点言語の意味と意義
のうち伝達が必要な部分である
◦ 伝達の可能性は様々な制約を受けるが翻通訳者は
伝達の必要性に応じて種々の方策を用いる
◦ いずれも人による言語行為であるため、訳出の良
否は個人の資質(知識)に依存する
まとめ:翻訳と通訳の相違点
テクスト全体を事前に提示されるか否か
 空間を必要とするか時間を必要とするか
 反復利用と流通が可能かどうか
 起点言語テクストの情報を記憶する必要性
 時間的制約による説明や解説の制限
 起点言語と目標言語の語順の影響の有無
 発信者・媒介者・受信者が可視であるか
 訳出を前提しているか否かによるテクスト
タイプの違い
