12・まとめ 2012.07.18. 成蹊教養・文化人類学の考え方 12・まとめ 2012/07/18 - [2] (1)文化人類学と身近な異文化 文化人類学の4つのキーワード 普遍性:異文化理解を支える土台 多様性:異文化が生じてくる根源 個別性:異文化を尊重するべき単位 相対性:異文化を尊重する際の態度・基準 「異文化」は、わざわざ外国を想定しなくても、ごくご く身近なところにいくらでも存在する (1) (2) (3) (4) 都道府県ごとの異文化 学校ごとの異文化 家庭ごとの異文化 世代ごとの文化 男女間の異文化 など 100%の異文化も、100%の文化共有も、現実にはない 12・まとめ 2012/07/18 - [3] (2) 猫食と異文化理解 知らず知らずにはまっている自文化中心主義 異文化を尊重・理解するとはどういうことか 猫食について周りがどう思うか=自分と同じはずだ、と多くの人 が信じている 「それはそれでありだろう」は思考停止である 「同じことをしてみる」だけで理解できるわけではない 十分な知識・情報を持たずに、自分たちの文化要素に「翻訳」す ると誤訳が起こる 猫は、虎になぞらえられ、虎の持つ漢方的薬効を求めて 精力剤のようにして食べられる……異文化理解とは結局 こうした「知識・情報を得ること・得ようとすること」 である 12・まとめ 2012/07/18 - [4] (3) プロセスとしての異文化理解 異文化理解に100点満点はない(実現できない) 異文化理解とは結果ではなくプロセスである 言語によるコミュニケーションが最終的には壁として立ちはだか るため、「知識・情報を得る」ことに限界がある 異文化を理解「できた」と終わることはない 10点よりは30点、30点よりは50点と、異文化を「前より深く」 理解できるようになっていくプロセスである 異文化理解は、友人の理解に似ている 理解「しなければならない」わけではないが、理解すればしただ けいいことはあるだろう どんなケースでもどこまでも理解を追究しなければならないとい うものでもないし、最初から適当でもかまわない(自己責任で) 100%の理解はあり得ないが、コミュニケーションを重ねれば、 それなりに相互理解は深まる 12・まとめ 2012/07/18 - [5] (4) 自文化中心主義と文化相対主義 異文化を見る視点を意識したとき、その視野の広がり方 を1次元<2次元<3次元と広げていくイメージを持つこ とは、有意義である 文化相対主義は、視点を移動させて、世界を神視点で見 るようなスタンス 異文化を「客観的に見る」とは、ある意味「世界を神視点で見 る」ことに近い 自己を相対化しつつそれぞれの文化は互いに尊重されあうべきも のだと考える立場を「文化相対主義」と呼ぶ 自文化中心主義は、視点の移動を伴わず、自分を世界の 中心に置くようなスタンス 自己を中心・基準として他の文化をはかる立場を「自文化中心主 義」と呼ぶ 12・まとめ 2012/07/18 - [6] (5) 8本の民族誌フィルム 自文化と、たくさんの異文化とを合わせて比較していく プロセスを通じて、人類文化の普遍性・多様性を見いだ してみる 視点を神視点に移動させて考えてみると、「自文化と似ている」 ことが「普遍性」、「自文化と違う」ことが「多様性」なのでは ないということがわかる まず目につく「多様性」を総合したところに「普遍性」 は存在する=多様性と普遍性は表裏一体のものである どんな服を着ているかはそれぞれの民族・文化で様々だが、服を 着ているという点では共通している。どんな踊りを踊るかは様々 だが、踊りがあってそれを楽しむという点では共通している。 12・まとめ 2012/07/18 - [7] (6) 人類文化と進化の関連性・Ⅰ 人類文化の普遍性も多様性も、人類が進化の過程で獲得 してきた特徴と密接に関連している 脳と手の発達が創造力と好奇心を生み、創造力と好奇心が地球上 のあらゆる環境下へ人類を進出させ、地球上のあらゆる環境に適 応するために人類は様々な文化を創り出した 言語とコミュニティの発達が社会を維持するためのルールを生み、 社会を維持するためのルールが人類文化に一定の普遍性・共通性 をもたらした 12・まとめ 2012/07/18 - [8] (7) 人類文化と進化の関連性・Ⅱ 人類がサルからヒト(ホモ・サピエンス)に進化する過 程では、実はさまざまな進化の枝分かれがあった ホモ・サピエンス(なかでもモンゴロイド)は、その 「複雑な言語能力」に基づく圧倒的な情報(=文化)の 蓄積と未来予測能力によって、全世界に進出した 20種類を超える「原始人」がさまざまな進化の選択肢を選び、最 終的には「複雑な言語能力」に長けたホモ・サピエンスだけが偶 然に生き残った ホモ・サピエンスだけでなく、絶滅したホモ・ネアンデルターレ ンシスにも「文化」と呼べるものはあった(埋葬と障碍者援助) ユーラシア大陸・南北アメリカ・グリーンランド・オセアニアへ の進出は、「ほかに選択肢がなくてしかたなく」ではなく「自ら 進んで(計画立てて)」行なわれた その移動に伴って残された足跡が現在の人類の「文化」 である 12・まとめ 2012/07/18 - [9] (8) 文明と進化主義的人間観 世界中に普遍的に広がった「文化」と異なり、「文明」 は特定の地域に偏在した 文明はやがて、初期にそれに組み込まれた者たちが、あ とからそれに組み込まれた者たちを「一段下」に見る社 会構造を造り出していく 宗教的人間観から自由になった人間は、代わりに科学的 人間観=進化主義的人間観によって世界を階層化した 物資の蓄積・知恵の集積への「欲求」が「文明」を可能にした 狩猟採集・農耕・牧畜//商業交易・手工業//王権の6要素がセット となって、周辺の文化を呑み込みながら拡大したのが「文明」 サルからヒトへの進化の階段上に、現実の世界の人類文化も位置 づけようという考え方が19世紀以降支配的になる この1次元的な見方に、現在のわれわれも囚われている 12・まとめ 2012/07/18 - [10] (9) ヤノマミと異文化理解 「文明」的な要素をほぼ取り去ったヤノマミの「文化」 を知ることを通じて、世界の文化をフラットに並べ、そ れを「神視点」からみる3次元的見方=文化相対主義に ついてもう一度考えてみる 文化の持つ3つの特徴は、ヤノマミの文化を知ることで 非常に具体的にイメージされる 文化とは後天的に学習されるものである 文化とは集団に共有されるものである 文化とは全体としての体系をもつものである 文化人類学の4つのキーワードも、同じく非常に具体的 にイメージされる (1) 普遍性、(2) 多様性、(3) 個別性、(4) 相対性 12・まとめ 2012/07/18 - [11] (10) 異文化理解と自文化理解 一見すれば究極の異文化である「ヤノマミの嬰児殺し」 は、自文化における「人工妊娠中絶」と対比させながら 考えることで、さまざまな示唆を与えてくれる それは人類に普遍的に見られるある種の行動であること 人間にとって「生」とは何か、「命」とは何かを考えさせる手が かりとなること 気づかなかった自文化について気づかせ、考え直させるきっかけ となること 異文化も異文化理解も「それ単独」で存在するのではな く、常に「自文化」や「自文化理解」とつながるかたち で存在する 異文化は理解してもしなくてもいいが、異文化理解は確実に自文 化理解につながり、自文化を(再)理解することによって異文化理 解の質も上がる 12・まとめ 2012/07/18 - [12] (11) 対概念の往還運動 自文化と異文化、自文化理解と異文化理解 普遍性と多様性 自文化中心主義と文化相対主義、自己中視点と神視点 それぞれ「どちらかが正しい」とか「一方だけ必要で他方 は不要」なのではなく、対概念を全体としてとらえること によって綜合的な理解に進むことが可能になる。 それは決して文化人類学的思考にのみ留まるものではなく、ミク ロとマクロとか、帰納と演繹とか、社会と個人とか、分析と総合 とか、さまざまな対概念のどれにもあてはまる
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