8・文明と進化主義的人間観 2012.06.15. 青山・文化人類学/文化人類学A 8・文明と進化主義的人間観 モンゴロイドの拡散 2012/06/15 - [2] 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [3] ここまでのまとめ 約25万年前: ネアンデルターレンシスの登場 約20万年前: サピエンスの登場 6-8万年前:ネアンデルターレンシスによる埋葬と障害 者への援助=文化的差異の登場 6万年前:サピエンスの拡大=言語の複雑化と文化的環 境適応 4~1.5万年前:モンゴロイドの拡散(1)……寒冷適応 3万年前: ネアンデルターレンシスの絶滅 1~0.1万年前:モンゴロイドの拡散(2)……海洋進出 7000~8000年前:文明の登場=有史への突入 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [4] 「文明」の登場前夜 人類がほぼ全世界に拡散したあと、なにが起きたのだろ うか? 7,000~8,000年前まで遡ると、一定領域の環境が支え うるヒトの数の上限である、10~300人程度のコミュニ ティが散在する、共通した状態であったと考えられる ……「ムラ」的状況 周囲の環境から得られる食糧で支えうる人数 対面状況が保持しうるコミュニティの限界人数 自分の行為の結果を直接に気にする必要性のある人数 いわゆる「縄文のムラ」的なものが世界中に散らばって いたと考えてよい さまざまな環境に応じて、さまざまな食糧を森や林、海や河、草 原や砂漠から得て暮らしてゆく力は、どの集団も持っていた 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [5] 「文明」の登場(1) 環境に規定される「上限」に対して、人間は、人智をも って働きかけてそれを拡大しようとし始める そのきっかけとなったのが、 1. 2. 3. 栽培農業……自分たちで食糧を計画的に作る 物資の蓄積……その日暮らしでなく、安定的に暮らす 王権……複雑化した社会を統御する 対面状況を超える規模のコミュニティの登場……「マ チ」的・都市的状況 いわゆる4大文明の登場につながっていくのが、こうした「マ チ」的・都市的状況の出現 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [6] 生業~文明のモデル図 王権・行政 職人による手工業 交易・商業 採 集 ・ 狩 猟 牧 畜 農 耕 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [7] 文明の登場(2) 王権の登場~文明の登場によって、コミュニティが維持 し得る人口は飛躍的に増大した このことにより、 過去からの文化の「蓄積」量が等比級数的に増した コミュニティ自体が、人為的な(疑似)環境として完全に機能す るようになった 上記2点の結果として、環境への適応の幅が広がるとともに、社 会が複雑化した 各地に登場した文明は、周辺コミュニティを呑み込みな がら、さらに複雑化した cf. 中華文明の周辺としての日本列島 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [8] 文化と文明 文化とは: それぞれの環境に適応しながら、(ムラ的)社会を支えてくれる ルールや技術・知識 人類のどのコミュニティにも普遍的に存在する 「文化」を共有する人間集団の単位が「民族」 文明とは: 採集狩猟/牧畜/農耕//商業交易/手工業//王権 の6要素のセット により「マチ」的・都市的社会を築くようになったシステム 地球上のいくつかの地域に偏在して発生し、周辺文化を呑み込み ながらより大きなシステムとなっていった その一つである現代物質文明にわれわれは属している 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [9] 文明に属す集団・属さない集団 文化は、その定義から考えて、人間集団である限りは必 ず何らかの文化を築きそれに属していると言える 一方、文明は、その発生に地域的偏りがあることから、 それに属する集団と、それから離れて暮らす集団とが出 てくる たとえば熱帯雨林のジャングルで、自分たちだけでほぼ閉じた環 境の中で暮らす集団は20世紀後半まで存在した(=未知の民族の 国家による「発見」は20世紀後半まで続いた) 現在では「意図的な隔絶」を含めて、なんらかの形で現代物質文 明とは関わっている cf. ヤノマモ、ハザ 一見して、生活水準に大きく差がある「彼ら」をさして 「原始的」という表現がしばしば使われる 700万年の人類史をざっと学んだ今、その表現の妥当性について 考えてみる 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [10] 進化主義的人間観 「われわれ」が「彼ら」をさして「原始的」と表現する ときには、次のような発展図式がイメージされている 原始 未開 文明 とりわけ19世紀以降の「西洋」と「非西洋」の接触は、 進化主義的人間観に基づいて、さまざまな問題を生み出 しながら、現在に至っている 進んだわれわれ西洋人 vs 遅れたあの原住民たち 日本は、はじめ後者の側に立ちかけたが、明治維新後の富国強兵 化政策の下で、前者の側に立つことをめざした 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [11] 進化主義と博覧会 1851年のロンドン万国博覧会をはじめとする博覧会は、 植民地帝国の威信を示す場であった……帝国内植民地か ら運ばれてきた工業製品や原料、めずらしい物品などを 本国民に「見せる」場 その「めずらしい」物品の一つとして、帝国内植民地か ら連れてきた「原住民」が、生活つきで「展示」された 原始→未開→文明という発展図式を見せる装置としての博覧会 背景にあるのは、ダーウィン『種の起源』(1859年)に基づく進化 主義……人間も「進化」する 1883年アムステルダム万博で、植民地の原住民が実際に 居住する「植民地展示」が注目を集める 1889年パリ万博(エッフェル塔で有名)でもやはり植民 地館で「原住民展示」 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [12] 博覧会における原住民展示(1) 1889年パリ博で「展示」 された植民地住民と観客 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [13] 博覧会における原住民展示(2) 1904年セントルイス博で「フィリピン 村」に「展示」されたイロンゴット 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [14] 日本における「原住民」展示 1903年第五回内国勧業博覧会(大阪)に便乗して設置さ れた「学術人類館」 内地に近き異人種を集め、其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さん との趣向にて、北海道のアイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二 名、支那三名、印度三名、同キリン人種七名、ジャワ三名、バルガリー 一名、トルコ一名、アフリカ一名、都合三十二名の男女が、各其国の住 居に模したる一定の区域内に団欒しつつ、日常の起居動作を見する…… 沖縄人から猛烈な抗議を受ける 1912年拓殖博覧会 1914年東京大正博覧会 北海道・樺太・朝鮮・小笠原・伊豆諸島・満州・蒙古・南洋などの特設 館が設置された……「ジャワ、シンガポール、クンタン、ワイルドサカ イ、ベンガリー、キリンの六人種にて男一八人、女七人」(南洋館) 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [15] 拓殖博覧会展示の北海道アイヌの住居 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [16] 拓殖博覧会展示の樺太アイヌの住居 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [17] 進化主義的人間観がもたらすもの 科学主義的=進化主義的人間観に基づけば、 ヤノマモ(未開人)……文明人であるヨーロッパ人から、キリス ト教信仰や合理性などの「叡智」を引き算した存在 ヤノマモ(未開人)=「ヨーロッパ人」-「叡智」 原始人……現代に生きるヒトから、進化の過程で身につけてきた 「知識・技術・能力」を引き算した存在 原始人=「現代人」-「知識・技術・能力」 「叡智」と「知識・技術・能力」を等価に、「ヨーロッパ人」と 「現代人」を等価にみなせば、目前の未開人は、原始人と等しい ものとなる 未開人をモチーフとして、もはやこの世に存在しない原 始人の図を描くことになる 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [18] 原始人のイメージ 原始人は、かつて地球上に存在したが、現在は絶滅した 動物である わたしたちが、見たこともないはずの原始人の姿形が描 けるのはなぜだろうか? 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [19] 原始人のイメージ図 「原始人」のイメージが、ヤノマミのような人々のイメ ージから派生した(ヤノマミが先) 人間はゼロから創造するのは非常に難しいと考えると、 ヤノマミを参考に原始人を想像したと考えるのが自然 原始人≒ヤノマミ、なのではなく、ヤノマミ→原始人 モデルなのだから、似ているように見えるのは当然 しかもその「モデル」としての位置づけは、西洋の自文化中心主 義によるところが大きい では、ヤノマミとは本当はどういう人々なのか? 8・文明と進化主義的人間観 2012/06/15 - [20] ヤノマモとはどんなひとびとか? ここまでみてきたように、有史への突入=四大文明の登 場(6000~7000年前)以前に、ほとんど全世界にヒト は進出した。 なかでもモンゴロイドは、環境適応を行ないながら、寒 冷地・海洋部へ進出していった。南米にすむヤノマモは いわば「ヒトの進化の最終形態」ともいえる。 少なくとも、人間的能力において、ヤノマモとわたした ちとの間に明白な集団的差異(個人的差異ではない)は 存在しない……異文化理解の出発点
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