5[再]・ヤノマミと異文化理解

5[再]・ヤノマミと異文化理解
2011.05.31. 青山・文化人類学
5[再]・ヤノマミと異文化理解
2011/05/31 - [2]
異文化理解-まとめ(1)
異文化理解とは「まあそれもありだろう」と認めるこ
とではない
異文化理解とは「やってみること」でもない
異文化理解とは、その行為や考え方の背景を理解する
ことである
1.
2.
3.
a.
b.
だから、ある意味、だれにでもできる(猫好きであっても猫食
は「理解」できる)
逆に、やろうと思わなければ、できない(簡単に流すことはで
きない)
異文化理解は(基本的には)ことばやコミュニケーシ
ョンを媒介として成り立つ
4.
a.
b.
だから、100%完全に理解することはできない(言語の限界)
自分のことば・自分の文化は、役立つとも言えるし、邪魔にな
るとも言える(基準点としての自文化 vs 自文化中心主義)
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2011/05/31 - [3]
異文化理解-まとめ(2)
異文化理解とは、つまるところ、全然知らない「異文
化」に対して働きかける不断のプロセスである
5.
a.
b.
全然知らない0の状態から、実現不可能な理想の100の状態をめ
ざして、0よりは10、10よりは30……の理解を続けていこうと
するひとつの〈プロセス〉である
「理解しよう」という動的 dynamic な〈プロセス〉であって、
「理解した」という静的 static な〈状態〉ではない
異文化理解は、個人としての他人の理解と似通ったも
のとしてとらえて、ほぼさしつかえない
6.
a.
他人を理解することは必要か? 他人を理解することは可能
か? という問いに対して、個々人がどういうスタンスをとる
のか、という問題と、本質は同じである