1.古代における文化

コンピュータとネットワークに
よって学校と教育はどう変わる
か?
• 1.「コンピュータの教育利用」
• 2.「コンピュータの教育」
• 3.「教育モデルとしてのコンピュー
タ」
コンピュータの教育利用
• 「授業」の手伝い :CAI
• 「事務」の手伝い :CMI
• 初期の形態
• コンピュータが学校というシステムの「外
にある」
• 「使う」「使わない」という選択
• 現在の形態
• 学校のシステムの中にあるコンピュータを
「使わなければならない」状況
「コンピュータの教育利用」
に見られる様々な「幻想」
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ハードウェア幻想
ソフトウェア幻想
人工知能教育幻想
インターネット幻想
ハードウェア幻想
-行政にとってのコンピュータの教育利用• 価値のある物としてのコンピュータの学校
への導入
• 何のため、誰のためのコンピュータ?
• 教員にとっての負担増
• ハードウェアの陳腐化
• 生徒から隠す(?)コンピュータ
ソフトウェア幻想
-教師にとってのコンピュータの教育利用• 「学校で使えるソフトウェアが無い!?」
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誰が使うのか? 使わせるのか?
誰が仕様を書くのか?誰が作るのか?
誰が支払うのか? ペイするのか?
ゲーム用ソフトウェアとの対比
• 「できない子ができるようになる!?」
– 興味がもたれたとしても、「興味」が違う
– コンピュータという機械にたいする無理解
– 限定的な「効果」と普遍的な「対価」
教育用ソフトウェアの特徴
• アナログ機器の高度化(初学者向きではない)
– LLの高度化としてのCALL
– 楽器、描画等の芸術機器
• 情報提示機能(書き込み等の加工が困難なため、初学者には避ける
べき)
– 文字、画像、動画情報
• 手作業の自動化(ブラックボックス化の危惧のため、初学者には避け
るべき)
– 実験データの解析
– 統計解析、数式処理など
• シミュレーション(現実の実験ができない時にのみ有用、対象をモデ
ル化検証の意味が理解できる学生に限定すべき)
– 科学現象
– 社会現象
人工知能教育幻想
-『研究者』にとってのコンピュータの教育利
用• ソフトウェア工学の進歩で教師が不要となる?
– バブル期の狂想
• 第5世代コンピュータプロジェクトと同根
– 高度な仕事でのコンピュータ導入は人減らしどころか、
人員増が必要
– 「人口知能教育」はいつ実現されるの?
– 「マルチメディア教育」と読み替えても同様
• 「モデルによる教育研究としてのCAI」と
「実用としてのCAI」の混同
インターネット教育幻想
-IT革命論者にとってのコンピュータの教育利
用• コンピュータネットワークと「インターネット」と
WWWとの混同
• 電子メールの利便性とその教育利用の困難
• 「WWWブラウザを使っての検索(調べ学習)」の
困難
– 様々な「質」の情報が混在
– 適切な厳選された情報の提供こそ教師の役割
– 有害ホームページ
• 遠隔「高等」教育での限定的な有用性
コンピュータの教育利用の将来展望
ー公開を前提に「記録性」中心の利用をー
• 授業のデジタル記録
– 立案、準備、設計、実施とその「公開」
– 加工、配信と交換
– 保存と蓄積、再利用と改善
• 児童生徒の記録
– 「カルテ」としての記録
– 公開可能な記録とプラバシー
– 一元化への危惧
コンピュータの教育
ー「情報」の教育ー
• 「情報教育」=「コンピュータの教育」+「情
報倫理」+「情報社会」?
– 言い古された「情報社会論」
– 技術によって影響を受ける倫理観
• 「コンピュータの教育」=「使い方教育」?
「使い方教育」幻想
-労働力付加価値としてのコンピュータ操作• 本当に「役に立つ」のか?
– バージョンが変わっても?
– アプリケーションソフトウェアが違っても?
– ソフトウェアの種類が違っても?
• 何を目標としているのか?(慣れること?)
• 動機付けの無い「道具の操作」って教育?
• 外国語教育との対比?
「情報教育」内容の将来展望
• コンピュータを理解させること
– 文化としてのコンピュータとネットワーク
の仕組み
• ソフトウェア、ハードウェア
– 対象世界をモデルで記述すること
– モデル化とプログラミング
• コンピュータと「社会」の関わり
– 「社会」における事象の計算化
教育モデルとしてのコン
ピュータ
• 「システムとしての教育」という教育
観
– 教育の仕組みとコンピュータの仕組みの同
型化
– 「時計モデル」や「時計工場モデル」の学
校との違い
• 学習のモデル(脳研究、認知心理、
etc.)
• 教えることと学ぶことのモデル(教授-
分業的教育システムからの脱
皮
• 教育の要素還元主義と「教科」
• コンピュータの実践的活用能力と総合
的能力
• リベラルアーツ教育の再編
「予定調和から未知なる未
来」へ
• 予定調和としての教育観=所与のカリ
キュラム
• 「総合的学習」に見られる新カリキュ
ラム
• 教師の役割の相対的向上