工学倫理とは 総論 応用物理学会 第32回スクールA「工学倫理・技術 者倫理を考える」神奈川大学 2003.03.29 関西大学 齊藤了文 はじめに • 哲学は、ものごとの本質を探ろうとする • たとえば、 – 科学の哲学 – 芸術の哲学 – 数学の哲学 • 公理や現実の条件の内部でものを考える のではない → 荒唐無稽な話に見えるor 新たな基礎概念を提示できる 物理を典型とした科学的世界観 • ガリレオ • ニュートン • 科学的な完全な知が得られたら、世界の すべてが予測でき、世界は事故もなく平和 で安全であろう! • 科学の哲学があれば十分で、(科学の応 用にすぎない)工学の哲学は必要ない? 現状認識① • 現実の科学技術の世界 • 気をつけても、事故が起こる • いわば、複雑な世界 • ↓ ↓ • 基礎科学の知識を増やすだけでは、事故をなく すことは実際上無理である • ☆クウォークの理解が進んでも、ジャガーのまだ ら模様の予測はできない 現状認識② • ものづくり • 実際に、ものづくりをする場合には、事故 を起こさない、人に迷惑をかけないための 「知」と「経験」が、集積している • 理学とは区別された工学の、一つの重要 な特徴は設計である。 • エンジニアという専門家が問題にされる次 元 工学の哲学 • 理学(大学の研究)とは区別された、工学 (現場のものづくり)特有の哲学が必要 • 設計は、技能の面を含んではいるが、合 理的な知性の働きを示している • 哲学の中心である認識論は、工学の知識 の特徴の解明を行う。 設計の知 • analysis分析、解析 →synthesis総合 • Know知る →do行う • つまり、知識の体系を作り上げるよりも、そ れらを総合し、世界に働きかける「行為の 知」が、設計の知、工学知である 作る行為 • 行為である(←→理論的、静的な知)ため に、ある程度の情報量の制約、情報処理 能力、時間や資金の制約の下で、できるだ け良い成果をあげなければならない • 例:木の性質を完全には分かっていないの に、昔から家が建てられてきた • ☆ここでの安全は、確実な知に依存するの と、少し違う 事故 • 科学技術が進歩しても、事故はなくならな い • ニュートンパラダイムからすると、おかしな ことだ • しかし、作る行為、設計の知からすると、当 然ともいえる • 複雑性に対する対処は、人間にとって常に たやすくはない 以上のまとめ • 科学の認識論と区別された工学の認識論 の中心は、設計の知にある • 設計の知は、世界に働きかける知である ために、動的であり、静的に確定できない • そのような知を使いつつ、エンジニアは行 為する • それでは、エンジニアの行為は、どのよう に評価できるのか 当然のことですが、 • 技術者だけが倫理規範が異なる、というこ とはない • たとえば、「うそをついてはいけない」という 規範が、技術者だけには許される、といっ たことはない • 技術者の行為の場面が特異なので、倫理 学的に興味深い問題が生じる、ということ を見ていく エンジニアに関する倫理 • 1.研究者倫理 – 論文を書く • 盗用、データの捏造、執筆者に関わる問題 – 著作権問題(理学者、基礎研究者との対比) • 2.工学倫理 – ものづくり – 特許問題(医者、弁護士との対比) 工学倫理 • 人工物問題 – 人工物に媒介されて、他人に影響を与える • 人工物の使用者が関与する • 時間や場所を離れて、他人に影響を与える • 分野ごとに、影響の仕方が違う(情報、機械、土 木) • 組織問題 – ものづくりは一人ではできない • 専門家と組織との関係 • 上司や同僚との関係 理学者ではない① • 理学者の目的は、真理の客観的な報告だ とされる • そのため、研究者倫理、著作権問題が重 要になる • しかし、エンジニアは「設計」に関わる • 設計は、価値(効率、納期、機能・・)に関 わる問題の解決を目指す 理学者でない② • 設計行為の特異性 – 様々な制約(価値)の間のトレードオフを考え ねばならない – 行為であるために(将来のいつか真理を見つ ければいい、のではなく)、ある時点、ある資 源での問題解決が要求される • *価値問題の理想的解決は、たいてい不 可能 理学者でない③ • 設計によって人工物をつくるために、結果 責任が要請される • (消費者にとっては、TVが突然火を噴かれ ると困る) • エンジニアは、単に「頑張った」「義務を果 たした」では許されないことがある • しかし、『設計行為の特異性』が残る 人工物問題① • 人工物に媒介される – 作る人(エンジニア)は、使う人(消費者)に直 接影響し、行為するのではない – 作った人工物が、他人に効果を及ぼす • これが、他の専門家、医者や弁護士とは 違うところだ – 医者は、医療ミスによって、患者に直接の不 利益を与える 人工物問題② • 人工物に媒介される • #人工物は、多様に使われる – 椅子を使う場合でも、「座る」「踏み台にする」 「投げつける」「鉢植えを置く」・・といった様々 な使い方ができる – 作った人(エンジニア)は、人工物を存在させ た張本人だが、使用者の行為すべてをコント ロールできない 分野の相違 • リスク、事故などの状況とその対処が分野 によって異なる – – – – – 情報:伝達は相手次第、ディジタル 食品、化学:身体に直接影響する 土木:公共工事の談合の問題が強調される 機械:独立の使用者がいる 原子力:特殊な受け入れられ方 人工物問題③ • #人工物のまわりに多数の人間が関与す る – 人間は、(それ以前の因果関係とは独立に) 自己の行為を始められる(自由)ために、行為 の責任が帰属する – しかし、自動車事故をめぐる人は多い(整備士、 ドライバー、製造エンジニア、・・) 人工物問題④ • #複雑な人工物 – 医者が、メスを使った手術を失敗しても、その メスを作った人が責任を問われることはまず ない – しかし、ドライバーが事故を起こしたり、工員 が機械の操作を誤ったりすると、機械を作った 人の責任が問われることがある 人工物問題⑤ • #インフォームド・コンセント – 患者と対面する医者は、インフォームド・コン セントによって、患者の自己決定にゆだねるこ とができる – 人工物が介在すると、相手に合わせた説明が 難しい – 相手が、不特定多数なら、異文化コミュニケー ションにもなる 人工物問題⑥ • #公衆 – 人工物は、誰でもそれを使ったり、それによる 被害を受けたりする可能性がある(公衆の顧 慮) – 特定のクライアントの要望に合わせた設計は 可能 – しかし、すべての人に合わせた設計は、非常 に難しい(各人の価値が違う) 人工物問題⑦ • #公衆と利益相反 – 弁護士は、クライアントのために弁護する(訴 えている相手が困っても、それは弁護士倫理 に違反しない) – エンジニアは、雇用者、顧客のためにものづく りをする(ライバル会社のためを思うのは、利 益相反だ) • 公衆の利益を目指すのは難しい 人工物問題⑧ • 人工物は時間的存在 • #長期間存在する人工物 – 取り扱い説明書が、常に付属しているとは限 らない(橋、ピラミッド) – すべての人工物は、時間とともに劣化する – 人工物をつくったエンジニアは、いつまで責任 をもつのか • 行為の責任が、時間とともに減衰する 人工物問題⑨ • #ライフサイクルエンジニアリング – 「エンジニアは最初に設計、製造する、後は、 消費者、使用者に任される」 – この場合、製作者と使用者の責任が時間的に 分担される – メンテナンス、リサイクルを含めてエンジニア が関わると、エンジニアの責任は大きくなる – 製造物責任⇒拡大製造物責任 人工物問題⑩ • 安全に関する制度 • #過失 – エンジニアはテロリストではない – 故意に事故を起こさせるというのが倫理問題 になるのではなく、人工物を作る場合に過失 を犯すことが倫理問題の中心になる 人工物問題⑪ • #事故調査 – 起こした事故について罰を重くしても、事故は 減らない – 責任追及よりも、原因究明 – インシデントの調査のためにも、証言の免責 のシステムが必要 • 問題を起こしても責任を問わない 人工物問題⑫ • #制度があった上での倫理 – 倫理は自発的な行為に由来するともいえる – しかし、設計、製造に関しては、様々な規制、 規格が予め決められている – 特に、刑罰やインセンティブに基づく規制も多 い • 資本主義や刑罰が、行為の基本にある 組織問題① • #エンジニアは企業の中で一人前になる – 山の中にこもって発明する、というのがエンジ ニアではない – 同僚、上司、部下との関係の中で一人前のエ ンジニアになる • 独立したエンジニアと企業との関係は、ど うなるか – 技術士、外国での仕事、特許の所有権 組織問題② • #製造物責任法 – 製造物に拡大被害が起こった場合は、損害賠 償を製造業者が行わねばならない – ここでは、製造業者が責任を負って、エンジニ アは出てこない – 自律的なエンジニアが言われだした場合、そ のエンジニアには何の責任も帰せられないの か 組織問題③ • #知識経済 – 経済活動において、知識の重要性が増してい る(←→労働、原材料、貨幣資本) – 中核知識労働者への依存度の増大 – 単純にエンジニアの専門性を強調して、自分 の分野だけにしがみつくことは許されない 組織問題④ • #エンジニアv.s.経営者 ? – エンジニアは、会社内でえらくなる(経営者に なることが、エンジニアであることと矛盾しな い) – その場合に、他のエンジニアと一緒にやって いくだけでなく、他の分野の人とも一緒にやっ ていく必要がある • 組織内の専門家は、独立分離を強調する 専門家になるべきではない 工学倫理教育と哲学 • 「私は機械屋」、「私は電気屋」、「私は土木 屋」のように、専門化している • • • • 全体の見通しは、哲学がやれる(かも?) 違う分野からの見方、批判 概念、理論について深く考えていく 社会倫理の見方を教える 哲学 • 倫理規定そのものを見直すような視点 – 公衆の位置づけ – 専門家であること – 経営者との対比 • 倫理規定を覚えさすだけでは、変化する社 会に乗り遅れるエンジニアを作ってしまう 工学倫理の教育 • 分野による相違を理解させる(専門的にな ればなるほど、他分野からは離れていこう とする) • 事故によって被害者が生じることを知るだ けでなく、工学的方法、社会制度などに よって、社会が維持されていることを知る • エンジニアは、理学者とも違う、高貴で難し い仕事に従事している 技術者倫理 • JABEEの定義 • 技術が、社会および自然に及ぼす影響・ 効果に関する理解力や責任など、技術者 として社会に対する責任を自覚する能力 (技術者倫理)
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