`風邪 をひかれた そ ぅで,ご 加減はいかがですか、とぃ ぅ場合の加減 とい う 言葉は,身 体の調子 とか具合い とぃ ぅこ とです。 この 「加減Jと ぃ ぅ言葉― プ ` マ ー ス ・ ラ イナス の代わ りに, 塩梅 (あんばい)は ぃかがです か 、ともいい ます。 塩梅 とは五味―戯,苦 ,酸 ,辛 ,甘 ― の鹸 (しおか らい)と 酸 (すっぱぃ ) の 2味 をとって, 5味 を代表 させた ものです。鹸 の 代わ りにその俗字 の塩,酸 の代わ りに梅 をもって来て,塩 梅 としたあた り,な かなか深い 味 をもった言葉 だ と思 います。 プ ラス ・マイナスの加 と減 では,数 学的すぎて味 気ない し,塩 と酸 の塩酸 で も化学的すぎて面 白くない。塩 と四君子 (蘭,菊 ,梅 ,竹 )の 中 の梅 を組み合わせたこの言葉は,文 人好み の言葉 として風 雅なIIXを もってお り ます。そ して,訛 った音が俗 で,た ぃへん雅俗 をかね合わせた しみ 親 ゃす い言 葉 です。 塩辛 と梅 干の組み合わせのよ うなこの言葉は,人 間生存の精神 と肉体の 在り 具合 を,ぃ み じくも云 いあ らわす 内容 を潜ませてお ります。ひ いて,塩 梅 とい う言葉は,社 会国家の在 り具合 を表現す る言葉 とな り,臣 下が君主 を助 けて調 和 した政治 を行わせる意味 をもつ よ うにな りました。 主権在民 の 自由社会がここまで来た今 日,塩 酸 のよ うな苛酷 な政 が断行 さ 策 れて も困 るし,そ れか とぃ って,個 々の 自由を尊重 するのあま り,個 のエゴ イ ズム と総 体の利益 (国益)と を,単 純 にプラス ・マイナス し ,乗 除 を忘れてぃ るの も困 ります。そ して, とくに,こ うぃ ぅ社会におぃては,為 政者が投票数 にたよ り,政 策が多数決によ り左右 されますか ら,畠 の 疏菜ゃ鶏舎のにわ とり が重視 され,野草ゃ野鳥が軽視 されるきらいが出て来 ます。 政治に生 気が失せ, 偏狭な覇 気のよの うな ものが横行 し,` 勝 てば官軍 、の風 潮が横温 して きます。 -16- そ うい うイイかげんな政治 を,い い塩梅 の政治に誘導することこそ,今 日のわ れわれの仕事ではないでしょうか。 犬養毅 (号,木 堂)は 昭和 7年 の515事 件当時 の 首相で,襲 撃 を うけ, `話 せばわかるミと云 つて兇弾 に斃 れた人 です。 この人が野 にあ った昭和 2年 11月 8P,ブ ラ ツと有楽町の山水楼にゃ つて来 ました。彼は稔覗 (塩辛 い豆腐のチ ー贅)と 嗜叱肉 (酢豚)な どを食べ たので しょうか,食 事後, `うまか つた 、 と云い,山 水楼 の料理 をさかんに賞 めて,色 紙 に 「 塩梅宰相之材」 と書 して, 楼主 の官田武義氏 (号,遊 記山人)に 与 えました。その句の意味は ` 塩梅の う まい者は,総 理大 臣になる貫禄 をもっている、 とい うものです。 この文人派 の在野 の政客 ・犬養木堂は,ゃ がて 「 満洲某重大事件」へ とつな がる田中義― 内閣の武弁政治に憤憑ゃ る方な く,国 の前途 を憂 え,田 中内閣の 政治 の塩梅 の悪 さを批判 して,遊 記山人 に聞かせたそ うです。 この色紙は卒意 の書 で,印 章 を持 ち合わせていなか ったので しょう,「 木雙」 と署 名があるだけの ものです。宋 の米元章の書 を手がけた と見 られ る木堂 の書 は,筋 骨が堅実なせいか,約 9倍 に写真拡大 してもビクともせず,堂 々たるも のです。私はそれ を木額に彫 りまして,か つ吉 ・水道橋店 にかけてお ります。 これは,お 客様 の観賞用 とい うよ りは,む しろ,従 業員 の座右 の心構えのた めの ものです。客席か らは,こ の木額 の下か ら調理場が見通 されます。料理 を 作 る料理人 のつ らがまえと,そ こか ら出て来 る料理 と,こ れ を給仕する従業員 の仕草 に,宰 相之材の芽生えが窺 えるか ど うか,そ の辺のことはお客様 のご判 断 に一任 しているわ けです。 老子 (周末の道家)の 語に 「 治大国若烹小鮮 」 とい うのがあ ります。 これは ` 大国を治 むるは小鮮 を烹 るが若 し、 と読み ます。その意味は,大 きな国を治 -17- めるや り方 は,小 ざかなを煮 るよ うな ものだ, とい うことです。逆に云 うと, 小魚が うまく煮 られ る者でなけれは 大 きな国は治め られない, とい うことに もな ります。 我が戦国の武将 ・石田三成 (1560∼1600)は 幼名 を佐吉 といい,子 供 の頃, 駿河 の観音寺 とい う寺 で茶坊主 をゃ っていました。 ある日,羽 柴秀吉が鷹狩 の この句 を諸橋轍次 (号,上 軒)先生 にお願 い して書 いて頂 いた ものを,只 今, 菩提樹 にか けてお りますも 先生 によると,時 代が下 つて明時代 になると,こ の 句 の鮮 が詳 (野菜 と魚 と肉)と な り,料 理材料 の一般 を表示する字体の ものが あ らわれて来たそ うです。そ うなると,万 般 の材料 をこなせ る料理の腕前 を持 たない と,大 国 を治 める政治家 の資格 はない, とい うことにな ります。 こ うい う古 い言葉が脈々 と民衆 の中に伝承 されて,そ れが発展 しなが ら政治 を監視 し続 ける大陸の住民の知恵 を,わ れわれは見習わなければな らない と思 い ます。 前漢時代に陳平 (前?∼ 前 178)と ぃ ぅ人 がいました。 この人 は若 い頃,板 前 であ って,あ る時,村 の鎮守 のお祭 の料理 を作 りま した。その料理 を食べた 長老 たちが口をそろえて,陳 平 の 肉の切 り方 の均等 さを賞 めました。すると, 陳平 は胸 を張 って, との対比が手 に とるよ うに見 られ ます。 ` 俺 を天下に宰た らしむるな らヤ £ この 肉の切 り具合いの 如 く,天 下 を立派に治めて見せる !、 と豪語 しました。陳平はその後,漢 の高 帰途,こ の寺 に立ち寄 り,茶 を所望 しました。佐吉は,は じめ,微 温 めの茶 を 大碗 になみ なみ と盛 り,こ れ を差 し出 します と,の どの乾 いていた秀吉は,そ れを一気に飲み干 し, `も う 1杯 、 といいま した。 2杯 目は同 じ大碗 に,ゃ ゃ 少な 目に して供すると,こ れ を飲んだ秀吉が, `も う 1杯 、 とい う。小坊主の 佐吉が,こ ん どは,茶碗 を替え,小碗に濃 い 日の茶 を注ぎ,こ れ を差 し出す と, 秀吉 は感心 して, `この小僧は尋常一様の者では ござらぬ、 と云つて,住 職 に `この の 者 身柄 は拙者が預かるぞ、 と申し渡 し, 自分 の館 につれ来 て,家 来 の 1人 に した とい うことです。 秀吉 と三成の出合いはこの時 に始 まるのですも少年 ・佐吉 の ` 人 を見て法 を 説 く、その塩梅加減の見事 さに惚れ込んだ秀吉 の眼識 も見上げたもの といえま す。多 くの武人 の中 で,数 少い文人的風格 を具えた石田三成は,千 利体 の茶 を 解 した豊 臣秀吉 に重用 されて,五 奉行 の 1人 とな り,ゃがて,豊臣内閣の枢機 に 祖 に仕え,呂 氏 の乱 を平定 し,累進 して宰相の地位 につき,漢朝 4百 年 の礎 を固 参与することとな りました。 我が国の柔道 の創始者 。嘉納治五郎 (1860-1938)先 生は号 を 「 進乎斎」 と めた人 だ といいます。 この話は十八史略に出てお りますが,陳 平 の咬呵 の下 り 申 しま した。技 を重要 とし,勝 負 を重視するこの世界において,技 か ら道 への を遊記山人 に書 いて頂 き,こ れ も菩提樹 にかけてあ ります。 進展 を実現 した人 として,忘 れてはな らな い 人 で す。その号 の 由来は,次 の 料理にたず さわる者は心 を安静に保ち,い つ も平静でな くてはな りません。 `あわてる乞食は貰 いが少 い といいますが,客 、 が ドッと押 しよせて来 ても, 「 陣 に臨んで安閑」たる気構 えを平常か ら練磨 しておかない といけません。 倶利伽羅峠 の頂 上の ところに不動堂があ ります。江戸時代,そ こに餅 を商 う 「 荘子 の養生主篇」の故事か ら出た といわれてお ります。 中国の戦国時代 の 7雄 の 1国 に魏 とい う国があ りま した。 その国に文恵君 と い う君主がお りました。 この殿様がある日,調 理場 へ出て来 る と,庖 丁 (料理 ギ 装 を整えて旅 を続 けたのです。その不動堂の境内に蜀山人 の有名な歌碑が あ り 人)が刀 (庖丁)を もって牛 を割 いていました。文恵君はその料理人 の刀の使い 方 の立派 さに感心 して, ` 美事な技 だ。入神のわ ざとは,か くもあるかな、 と `おそれなが ら殿 賞 め称 える と,そ の料理人がやお ら,刀 を脇 に置き, 様,わ ます。 しの技 をやた ら賞 めなさるが,わ しは心に 「道」 とい うもの を念 じてお りま し 掛茶屋 あ りました。上 り下 りの旅人は,み んなこの峠 の茶屋で餅 を食べ て旅 倶利伽羅の餅に大小ふ ど うあ り て,技 な どは気にかけてお りません。道は技 よりもはるかに進んだ ものでござ 亭主せいたか客がこむか ら んす、 と対 えま した。それか ら引き続 いて,こ の板 さんが殿様にむか って長広 舌 を振 うのです。 `腕 のよい板前 といわれ る者 でも, 1年 そこそこで刀 を換え 大小不同を不動 にか け,せ ぃたか, と,こ むか ら,は ともに不動明王の脇士 の制旺迦童子 と衿翔羅童子 にかけてお ります。亭主 の周章狼狽 と客の沈着冷静 ―- 18-― ますが,わ しの この刀は, もう19年間 も使 ってお ります。無理 をしないか ら, ―- 19 -― いまだにこの通 り,ビ クともしていません、な どな ど, と。 いちいち耳 を傾 け て聞き入 っていた殿様が, ` 今 日はいい話 を聞かせてもらって,ホ ン トに有 り 畏友 ・胡蘭成氏は 「機」 とい うものに関 して, さいさん,そ んな話 を私に さ れ ました。 この人は,か つて,「 花鳥知時」の句 を私に与えてお ります。 難か った。 これで養生 の道 を会得することができた、 と礼 を述べた とい うこ と ラ ツキーセブンのチ ャンスの 「 好機」 とか, ピンチ ヒッターの ピンチの 「 危 です。そ して文恵君 は,こ の板前 の執刀 の道 に則 り,政 治 の道に励 んだ とい う 機」の よ うな機会 の意味 をモ ッと推 し進 め,広 め,深 め,次 元 を高 めた ところ ことです。 の機 を,黄 柴木庵は 「 機外 の機」 といい,芸 道 に徹 した富岡鉄斎は,逆 説的 に この板 さんの言葉に 「 進 乎技実」(技より進 め り)と い うところがあ ります。 この進乎が進乎斎 の出処だ と云われてお ります。また,庖 丁は馬丁や園丁 の如 く,台 所 (庖)で 働 く男 (丁)の 称であ った ものが,文 恵君 の板 さんの料理道 に通 じた美事な刀 の使 い方 か ら, 日本では刀その ものの称に転化 してしまい, さらに庖丁の丁が, `出前 1丁 、の丁 にまで 進展 して しまいました。 「機 を忘れ真趣 を得」 と云 つてお ります。鉄斎85歳の作 「 忘機得真趣」は菩提 樹 にかけであ ります。 料理 の塩梅 も政治の塩梅 も,また芸道やその他の塩梅 も,道の うね りの 「転」 や 「易」や 「 機」 を如何に見,如 何 に把握 し,そ れにど う対処す るか, とい う ことにな ります。それには,ま ず, 自己にまつわる身辺 の 単純な坐標 を忘れ, 柔道,資 1道,弓 道 な どの武道,書 道,画 道,茶 道,花 道な どの芸道 と同じも それか ら抜 け出て,弥 陀や観音 にこの身 を預ける大発心 をしなければな らない のが料理道であ り,政 治道 だろ うと思 います。 この道 とい うものが どんな もの と思います。仏教 ではこのことを帰依す るといい,南 無 といいます。 「 南無阿 であるかについて,老 子はその道徳経 において5000言を費 してお ります。儒教 においては,孔 子は仁 の道,孟 子 は義 の道,仏 教 にあ っては仏 の慈悲 の道 を説 弥陀仏J,「 南無妙法蓮華経」 ,「 南無観 世音苦薩」な どがそれです。 キ リス ト ` では こえて,ひ 山路 とり行 けど,主 の手 にすがれ る身はやすけ し、 (讃美 教 きます。 歌404)と 歌います。 それ らの説法は ともか くとして,人間社会 を含 めた天地 自然 の運行,これ を, われわれ人間 の側か ら観測する と,「 流転」 と見 られます。横山大観 の名作に この他力本願的な生 き方への移行は, 自己の身辺 の狭 い 単純な座標か ら, よ り広 い複雑な座標へ と進む道なのです。か つて,高階朧仙禅師 は,この道 を「 縁」 「 生 々流転」 と名 づ けられた大作があ ります。なぜ,風 が吹き水が流れ,そ の の一語 をもつて示 され ました。縁は 「 機縁」 ともいいます。 この機縁 によ り, 中で花が咲 き鳥 が囁 き,人 が生 き死にす るのか。それは,極 めて多様な無限 の 他力本願的な,人 間 の生 き方の土台がガ ッチ リと出来上 り,そ の上 に 「 機 を見 宇宙座標 に囲まれた「 運行」の中で生 じた,或 る現象 と見 なければな りません。 るに敏 」なる人間 の叡智が生 じ,「 臨機応変」の動作が生 まれて来 るもの と考 その運行は座標 に影響 を与 え座標はまた運行 に影響力 をもちます、 この運行 と えます。 これがほん とうの 自力本願 とい うもので しょう。土 台 もな く叡智 もな 座標の絡み合 つた様相 を 「 道」 とい うのでしよう。 く,独 りよが りの暗中模索 で,塩 梅 をど うす るかな どとは,全 く痴がましい次 この道 の軌道が,点 か線か,方 か 円か,楕 円か地物線か,そ れはわか りませ ん。 この多様な座標その ものが固定的でな く,相 関的 に運動性 をもった もので 第 です。 そこで,忘 れてはな らない もう一人 の料理人 に,段 の名相 ・伊ヂ とい う人が す か ら,そ れか ら生 まれ,そ れ を生む 「 道」は,坦 々た る一本道 で は な く, お ります。 この 人は,は じめ,湯 王に近づ きたいため,料 理人 に化 け,鼎 (料 紆余由折, 自由自在な ものであ りましょう。その道 に沿 って歩 いているわれわ 理用の鍋)を しよって,殷 の官室 に這入 り込み,一 生懸命 に料理 をつ くりまし れ人間が右往左往 し,流 転生 々 しているのは,あ た り前 のこ とと云 えます。 この流転 の転は仏教でい う ` 法輪 を転ずる、の転 で,転 に面 白い意味があ り た。 食い物 の怨みは怖 ろ しいの逆 に, うまい物 の親 しみは格別 で,伊 升は次第 ます。 これは 「うつる」とか 「かわる」の意味が あ り,易 (うつる,か わる)に 通 じ,そ の移 り変わ りの汐時 を意味す る機 (きざし,わ かれめ)に 通 じます。 ―- 20 - に湯王に近 づ きを得,佃1近の 1人 とな りました。そ して,時 の暴君 ・夏 の条 王 を滅ば して,段 の天下 をうち建てました。湯王は伊ヂ を尊んで 「阿緩」 と称び ました。阿は人 を親 しみ をもつて呼ぶ時に,呼 び名 の上につける接頭語です。 -21- 衡は度量衡 の衡 で,正 しくはかるの意が あ ります。 また,伊 升 のアは天下 を治 れ どころではな く,い まだに, 日本の政治が料理飲食店 を衣住業者 と差別 し, める人,こ れにイ (にんべん)を つ けた伊は一字で宰相 をあ らわす字 とな りま 蔑視 しているこ とです。 それは 「料飲税」 とい う奇妙な税法が存在す ることで した。 す。 こ うして,殷 王朝は28代(644年)続 くのですが,28代 目に悪逆無道 の暴君 の われわれは,明 治以来,国 民の 3大 義 務 とい うもの を教 え られて来 ま した。 紺王が出て,周 の武王に滅 ぼ され,伊 升 の塩梅 による鴻業は空 しく消え,殷 は それは義務教育および兵役 と納税の義 務 です。 その うちで,兵 役 の 義 務 だ け 滅んで しまいます。夏 の条王 と段 の付王は,中 国史 を通 じての暴君 の代表両横 が,戦 後,免 除 され ましたが,そ の当時の食糧事情 か ら発生 した 1種 の奢修税 綱です。酸 い も甘 い もテ ンデわか らない偏食の唐変木 だ つたので しょう。そ う が現在 まで続 いている料理飲食税なのです。 い う者 には,い い料理人は寄 りつかないのです。 以上 申 し述べ ました よ うに,料 理 の塩梅 によ り天下 の形勢が転機 し,易 変 し て行 くことがわか ります。 料理 の料は 「はか り」 ,理 は 「お さめる」 と読みま す。料 り方 が悪 ければ,理 ま りが悪 いこ とにな ります。犬養木堂が云 つた言葉 を胡蘭成氏は 「 塩梅宰相 の器 (うつわ),調 筆 (琴を調べ る)春 風の人 」 と云 つ てお ります。中國では料理 の名人が多数宰相 の地位 についてお ります。 また, 中国料理が世界の隅 々 にまで,大 手 を振 って濶歩 しているのは,そ の土台に, 長 い歴史 の中か ら泌み出た春風 の調べ のよ うな 「 塩梅」が,根 を据 えているか らだろ うと思 います。 日本では, ` 板前風情 の くせに、とか, `コ ックの 分才 で、とか,料 理人 を 蔑すむ風潮がいまだにあ ります。 また 「水商売」 とか,「 道楽商売」 と称ばれ て も,飯 食業者 自身 い つこ うに不思議 に思わない習癖があ ります。道楽 を 「道 の楽 しみ」 と読 まず,また,その道 を極 めた 「極道者」をホ ン トの 「な らず者」 と思いこんでいるあた り, とんで もない思いちがいだ と思います。 こ うい うあ 1の中では,道 楽 も極道 も脱線 しがちで,料 理 も軌道 にの らず,醒 凝 んばいの「 この料飲税なるものは,飲 食店が客単価 によ って,客 か ら徴税 し,整 理保管 し,毎月,税務事務所にお届け申し上げる仕組 にな つてお ります。ですか ら,飲 食店は この税 に関す るかぎ り,徴 税 と納税 の義務 を負わ されているわけです。 この税の撤廃が地方財政 に ドウ響 くか, とい う勘定 の問題は別 とし,料 理屋稼 業 をそんなに見下 していい ものか ドウか。そ うい う塩梅 をい っこ うに気 に しな い政治家諸士の神経 の具合 い を疑 うものです。 ここに,中 国周代の下民が賢者のあ らわれ るの を,心 をこめて待ちこがれて いる詩が あ ります。 「 詩経,小 雅」の庶民の作 と見 られるもので,「 白駒 」 と 題 されてお ります。 咬 々たる自駒,我 が場の苗 を食 らえ。之れ を繁 ぎ之れ を維 ぎ,以 て今朝 を 永 うせん。爾 の音 を金玉に し,退 かる心 あること母れ。 訳〕白馬に乗 つた賢者 よ。わた しの家 に立ち寄 って下 さい。そ して,馬 〔 をつなぎとどめて,庭 のま ぐさを馬 に食 べ させて下 さい。せめて,今 日の ひ と朝だけでもゆ つ くり話 をして くれませんか。 これか らもわた したちを 遠 ざけないで, ときどき音信 をして下 さい。 さて,次 に世界の経済大国,法 治文化国家 。日本の 「 旅鳩」の唄 をご紹介 し 無能な政治 も停滞 しがちです。 料理 の塩梅が政治に浸透 し,政 治 の塩梅が料理に通用す ることが,ま こ とに 望 ましいのですが,現 在 の 日本では, とて もそ うい うわけにはまい りません。 ま しょう。 〔1 〕 人間生活 の 3要 素 ・衣食住 の うち,衣 と住は,社 会 か ら甚 だ重要視 され るよ う 頼朝義経不仲 にて,酸 い も甘 い もわきまえぬ,鎌 倉方 の命 によ り,こ と理 にな りまして,無 形文化財だ とか,人 間国宝だ とかが出てお りますが,食 の部 不尽 の旅法 の,料飲税 を強い られて,安宅 の宿 に物思 う,旅 の衣は鈴懸 の, 門で, とんかつの直木賞 も芥川賞 も聞いたことがな く,ま た天丼屋が伝統料理 山伏な らぬ弁慶の,勧 進帳 の空読みを,現 に聞 くや幾十度。 の指定 を受けた ことも聞 いたこ とがあ りません。 そんな名誉は,わ れわれ料理飲食部門の者が考えも及ばないことですが,そ ―- 22- 〔2 〕 道 を楽 しむ業 と,笛 や太鼓に囃 されて,渡 る世間にや鬼はない,そ の 日暮 ―- 23 -― らしの明け暮れに,い つにな つた ら舞れるや ら,時雨れ る閣 を トボ トボ と, 行けば落 ち来 の三度笠,月 が出たのか山の端に,天 下無宿 の旅鳩「 いづ く に行 くか影 を落 として。 NHK(日 本奉公協会)推 薦歌 梅千 の漬か り加減 のあんばいを 唾 をのみ のみ今か今か と 食散人 ―- 24-―
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