毒素原性大腸菌感染症の散発事例

1160
感 染 症 学雑 誌
第56巻
第12号
毒素原性大腸菌感染症の散発事例
大阪大学微生物病研究所細菌血清学部
竹田
Key
words:
多恵
竹田
と2施
か ら1980年4月
受 付)
(昭和57年7月20日
受 理)
Enterotoxigenic
Escherichia
ま で の14ヵ 月 間 に,大
設 の 病 院 に お い て,急
(8.4%)か
coli,
Traveller's
diarrhea
旨
阪 府 お よび 兵 庫 県 に 所 在 す る15施 設 の 一 般 開 業 医 院
性 腸 炎 の 疑 い で 受 診 し た 下 痢 患 者 の 検 便 を 行 な った 結 果 ,95例
ら毒 素 原 性 大 腸 菌 を検 出 した.8例
た 発 病 の 場 所,時
三輪谷俊夫
(昭和57年5月31日
要
1979年2月
美文
の患 者 は す べ て 最 近6ヵ
中8例
月 以 内 に 海 外 渡 航 歴 が 無 く,ま
期 に お い て も,患 者 相 互 の伝 染 は 考 え られ な か った の で,国
内 で 感 染 した 散 発 例 で あ
る と結 論 し た.
緒
Sackら1)が1968年
材料 と方法
言
に カ ル カ ッタ に お い て コ レ
ラ様 下 痢 患 者 か ら毒 素 原 性 大 腸 菌 を 分 離 して 以
1.検 査 対 象
1979年2月
か ら1980年4月
まで の14ヵ 月 間 に大
来,東 南 ア ジ ア,中 南 米 や ア フ リカ な どを 中 心 に,
阪 府 お よ び兵 庫 県 に 所 在 す る一 般 開 業 医 院15施 設
毒 素 原 性 大 腸 菌 が世 界 中 に広 く分 布 し て い る こ と
と病 院2施 設 を 受 診 した 患 者 の うち,急 性 の 水 様
が 明 らか に な っ て い る.本 菌 は 汚 染 地 域 へ の 旅 行
性 下 痢 を 主 訴 と した96症 例 か ら投 薬 前 の 下 痢 便 を
者 が 罹 患 す る旅 行 者 下 痢 症 の 主 要 な 原 因 菌 で あ
採 取 し,検 査 材 料 と し た.常 法 に従 って 既 知 の下
り2),わ が 国 に お い て も,多 数 の 毒 素 原 性 大 腸 菌 感
痢 原 因 菌(腸
染 症 患 者 が汚 染 地 域 か ら帰 国 して い る こ とが 確 認
菌,コ レ ラ菌 お よ びNAGビ
炎 ビ ブ リオ,サ ル モ ネ ラ属 菌,赤 痢
ブ リナ)の 検 査 を行 な
され て い る3)4).また 東 京 都 立 衛 生 研 究 所 が1967年
うと とも に,95検
か ら1978年 の12年 間 に発 生 した 大 腸 菌 性 集 団 食 中
この 全 株 に つ い て 毒 素 産 生 性 を 調 べ た.
毒 事 例 の 分 離 菌 に つ い て,毒 素 産 生 性 を さ か の
ぼ っ て検 査 した と ころ,23事
例 が毒 素 原 性 大 腸 菌
に よ る 食 中 毒 で あ った と報 告 して い る5)∼8).こう
体 か ら345株 の 大 腸 菌 を 分 離 し,
2.大 腸 菌 の 同定
大 腸 菌 の 同定 は 常 法 に従 った.Table1に
した 事 実 か ら,国 内 に お い て も,毒 素 原 性 大 腸 菌
3.エ
に よ る下 痢 の 散 発 事 例 の 発 生 が考 え られ た の で,
分 離 した大 腸 菌 をCAYE培
ン テ ロ トキ シ ソ産 生 性 試 験
市 中 の 開 業 医 院 を訪 れ る急 性 下 痢 患 者 か らの 毒 素
酸,0.6%酵
母 エ キ ス,0.25%食
原 性 大 腸 菌 の検 出 を試 み た.な
1水 素2カ
リウ ム,0.25%グ
は,第54回
京)に
お こ の論 文 の 要 旨
日本 感 染 症 学 会 総 会(1980年5月,東
お い て 発 表 した.
のMg++,Mn++,Fe+++)で37℃24時
地8)(2%カ
ザ ミノ
塩,0.875%燐
酸
ル コー ス お よ び微 量
間 振 と う培
養 し,そ の遠 心 上 清 を試 料 と し て,易 熱 性 エ ン テ
ロ トキ シ ソ(LT)と
別 刷 請 求先:(〒565)吹
示し
た 性 状 の菌 を 大 腸 菌 と同 定 し実 験 に供 した .
田市 山田 丘3-1
大阪大学微生物病研究所細菌血清学部
竹田 多恵
耐 熱 性 エ ソ テ ロ トキ シ ン(ST)
の 検 査 を行 な った.
LTの
検 査 に は チ ャイ ニ ー ズ ハ ム ス タ ー オ バ
リー細 胞 の 形 態 変 化 を 調 べ る 方 法88)9)と受 身 免 疫
1161
昭和57年12月20月
Table
1
Biochemical
characteristics
of Escheri-
chia coli examined.
Table
3
Cases of enterotoxigenic
Escherichia
col
infection.
Fig.
1
mens
Location
were
results
of
clinics
from
collected. •Z
; •œ
clinic
which
Clinic
with
the
positive,
without
specipositive
results.
Toyonaka
溶 血 反 応8)10)を併 用 した 。STの 検 査 に は 生 後2
∼3日 のICR系 乳 飲 み マ ウ スを 用 い,検 体 を 経 口
投 与 後3時
間 で 開 腹 し,腸 管 内 液 体 貯 留 の 程 度 を
fluid accumulation(FA)比
を算 出 して 判 定 し
た8)11).
結
果
17施 設 を 訪 れ た96例 の 急 性 下 痢 患 者 か ら分 離 さ
れ た 下 痢 原 因 菌 は,毒 素 原 性 大 腸 菌8例(8.3%),
腸 炎 ビ ブ リオ6例(6.3%),サ
(3.1%)で
ル モ ネ ラ属 菌3例
あ っ た.こ の うち毒 素 原 性 大 腸 菌 に つ
い て はTable2に
示 した よ うに,95例 か ら分 離 し
た342株 の 大 腸 菌 の エ ン テ ロ トキ シ ソ産 生 性 を 調
べ た 結 果,7例
ST・LT産
か らST単
生 株1株
で は8.4%,菌
独 産 生 菌17株,1例
を 検 出 した.検
株 数 で は5.3%で
から
出率は症例数
あ っ た.
8例 の 毒 素 原 性 大 腸 菌 感 染 患 者 の 一 覧 表 を
Table3に,患
者 が 受 診 した 施 設 の 所 在 地 をFig.
1に 示 し た.症 例2と5,6と7が
設 か ら の患 者 で あ る.症 例6と7が
そ れ ぞ れ 同一 施
時 期 的 に接 し
て は い る が,そ の 他 の症 例 で は発 症 の 時 期,地
域
か ら考 え て相 互 間 の伝 染 は 考 え難 い.
8例 の患 者 は す べ て に つ い て,患 者 お よ び 家族
の 渡 航 歴 を 調 査 した.5例
が 無 く,残
りの3例
で は ま った く渡 航 経 験
に お い て も,受 診 前6ヵ
月間
に は海 外 渡 航 の 経 験 が 無 い こ とが わ か った.
8例 と も毒 素 原 性 大 腸 菌 以 外 の 調 査 し た既 知 下
Table
coli.
2
Isolation
of enterotoxigenic
Escherichia
痢 原 因菌 は 見 つ か らな か った と こ ろか ら,こ れ ら
の症 例 は 国 内 で 感 染 した 毒 素 原 性 大 腸 菌 に よ る下
痢 患 者 で あ る と結 論 した.
考
察
毒 素 原 性 大 腸 菌 は 主 と して東 南 ア ジ ア,中 南 米
お よび ア フ リカ に お い て 猛 威 を ふ る っ て い るが,
1162
感 染 症 学雑 誌
旅 行 者 下 痢 症 原 因 菌 と して も極 め て重 要 で あ る こ
る.今
とが 明 らか に な って い る2).ま た 開 発 途 上 国 ぼ か
患 者 由 来 菌 と の 関 係,さ
りで な く,先 進 諸 国 に お い て もそ の 分 離 が 相 次 い
統 的 に 実 施 し,毒
で 報 告 さ れ て お り,今 や 世 界 中 に広 く分 布 し て い
を 立 て る こ と が 必 要 で あ ろ う.
第56巻
第12号
後 の 問 題 と して感 染 源 の調 査 と旅 行 者 下 痢
ら に は環 境 汚 染 調 査 を 系
素原 性大腸菌感染 症の防疫 対策
る と考 え られ る13).わが 国 に お い て も,主 とし て東
今 研 究 に 際 して 材料 の採 取 に ご協 力 い た だ い た 朝 田誠
南 ア ジ ア の 汚 染 地 域 へ 旅 行 す る人 々 が,本 菌 に よ
博士(朝 田 内科),雨 森 健 博 士(雨 森 内 科),上 保 俊 夫博 士
る旅 行 者 下 痢 症 に悩 ま され て い る 実 態 が す で に報
(上保 医 院),大 野 久 治博 士(大 野 医院),松 永 清 輝 氏(大 阪
告 され て い る3)4).また従 来 病 原 大 腸 菌 に よ る下 痢
また は原 因 不 明 の下 痢 と報 告 さ れ て い た 集 団食 中
鉄道 病 院),木 村 健 太 郎博 士(木 村 医院),島 喜 一 郎 博 士(島
診療 所),寺 井 武 男 博士(千 里 山病 院),高
木三 郎 博 士(高
木 医院),田 淵 幸 博 博 士(田 淵 医 院),中 村喜 良博 士(中 村
毒 の 中 に,毒 素 原 性 大 腸 菌 に よ る 集 団 食 中 毒 が 多
数 含 ま れ て いた こ とが 東 京 都 立 衛 生 研 究 所 の調 査
医 院),中 山二 郎 博 士(中 山内 科),橋
田進 博士(橋 田内 科),
研 究5)∼8)で明 ら か に な って い る.し か しな が ら,従
細 川一 真 博 士(細 川 医 院),村 田進 博 士(村 田 内科),森 嘉
一 郎博 士(森 内科)
,吉 野恒 夫 博士(吉 野 医 院),お よび下
来 散 発 の 下 痢 事 例 に お い て,毒 素 原 性 大 腸 菌 が ど
痢 原 因菌 の 分離 に ご協 力 いた だ い た大 日本製 薬 株 式 会 社総
の程 度 の 重 要 性 を 占め る か に つ い て は,全
合研 究 所,清 水 当 尚博 士 と中村 信一 博 士 に感 謝 致 し ます.
が 行 な わ れ て い な い.今
の結 果,市
く報 告
回 の わ れ わ れ の調 査 研 究
中 の 一 般 開 業 医 を 受 診 す る 水様 性 下 痢
患 者 の 約1割
が毒素原 性大腸菌感染患老 で ある こ
とが わ か った.毒 素 原 性 大 腸 菌 感 染 の 場 合 の下 痢
便 が ほ とん どの 場 合 水様 便 で あ る の で,今
回 の調
査 は急 性 の 水 様 性 下 痢 患 者 に限 定 した.腸 炎 ビ ブ
リオや サ ル モ ネ ラ属 菌 の 分 離 率 が低 い1つ
は この た め で あ る と考 え られ る.も
の原 因
し他 の便 性 の
下 痢 も調 査 対 象 に 加 え る と,毒 素 原 性 大 腸 菌 感 染
患 者 の 率 は か な り低 下 す る と予 想 で きる.
8例(8.3%)と
い う数 字 は,も
ちろん開発途上
国 に お け る 率13)14)より もは る か に低 い も の で あ
る.欧 米 の先 進 諸 国 に お け る数 字 は ま だ 発 表 さ れ
て い な い た め に 比 較 す る こ と はで きな い.し
かし
お そ ら く,赤 痢 や サ ル モ ネ ラ症 の罹 患 率 の 高 い わ
が 国 に お け る腸 管 感 染 症 の 疫 学 上 の 特 徴 を考 え る
と,毒 素 原 性 大 腸 菌 に よ る下 痢 症 の 罹 患 率 も他 の
先 進 国 に 比 して 高 い と予 想 で き る.
毒素原 性大
腸 菌 感 染 患 者 で あ る4)15).旅
行者 下痢症患者 の総 数
は正 確 に は把 握 で き な い が,大 阪 空 港 と成 田 空 港
の検 疫 所 で 旅 行 者 が 自発 的 に 申告 す る総 数 が 年 間
約1万
献
J. G., Feeley, J.C., Sack, R.B., Greech, W. B.,
Kapikian, A.Z. & Ganagarosa, E.J.: Traveller's diarrhea in Mexico. A prospective study of
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1305, 1976.
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1979.
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智, 小 川
良治, 宮 田義 人, 新保 真 澄, 原 田七 寛, 塚 本 亮 三,
木 下 喜 雄, 有 田美知 子, 竹 田美 文, 三 輸谷 俊 夫:
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1981.
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お け る下 痢症 の調 査 成績 を 中 心 に して. 日本 細 菌
大 阪 空 港 検 疫 所 に お け る調 査 に よ る と,海 外 か
ら帰 国 す る旅 行 者 下 痢 患 者 の約20%は
文
1) Sack, R. B., Gorbach, S.L., Banwell, J. C.,
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2) Merson, M. H., Morris, G.K., Sack, D.A. Wells,
人 で あ る.未 申告 と他 の 空 港 の 分 を 合 算 す
る と相 当 数 に の ぼ る.こ れ ら の旅 行 者 下 痢 患 者 に
よ って 国 内 に 持 ち込 ま れ た 毒 素 原 性 大 腸 菌 が,国
内 で の 二 次 感 染 源 とな って い る もの と予 想 で き
学 雑 誌, 35, 38, 1980.
6) 大橋
誠, 善 養 寺 浩: 大 腸 菌 エ ン テ ロ トキ シ ン.
日本 細 菌 学雑 誌, 32: 455-468,
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7) Kudoh, Y., Zen-Yoji, H., Matsushita, S., Sakai,
S. & Murayama, T.: Outbreaks of acute
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8) 三 輸谷 俊 夫, 竹 田美 文, 本 田武 司. 竹 田多 恵, 山
本 耕一 郎, 工藤 泰 雄: 毒素 原 性 大腸 菌 が 産 生す る
エ ンテ ロ トキ シ ン の検 査法 . 日本細 菌 学 会 教 育委
1163
昭 和57年12月20月
員 会 編,
コ レ ラ菌 と 毒 素 原 性 大 腸 菌 の 検 査 法.
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14)
竹 田 美 文,
ブ リオ,
東 京,
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三 輸 谷 俊 夫:
コ レ ラ菌,
ビ ブ リ オ 感 染 症-腸
毒 素 原 性 大 腸 菌.
炎 ビ
医 歯 薬 出 版,
1982.
coli Infection
Tae TAKEDA, Yoshifumi TAKEDA & Toshio MIWATANI
Department of Bacteriology and Serology, Reserch Institute for Microbial
Diseases, Osaka University
Ninety five stool specimens from diarrheal patients were collected from 17 clinicsin the vicinity of
Osaka and Kobe cities during the period from February 1979 to April 1980. An examination
for these
specimens showed that 8 cases were suffered from enterotoxigenic
Escherichia coli infection.
These
patients have not been abroad during the last 6 months.
In addiation, there is no close relation between
the location of their residents and the date of onsets of the disease.
Thus it is concluded that they were
sporadic cases of enterotoxigenic
Escherichia coli diarrhea infected in this country.