第12回講義メモ

15 年度「比較経済史」第 12 回講義
ヨーロッパ諸国による新大陸への植民地建設
2015/05/16
(はじめに)
1492 年コロンブスによる新大陸の「発見」と、1498 年ガマによる喜望峰廻りのインド航路の「発見」
により、世界史は中世から近世へと向かい始める。特に新大陸からは銀が大量にヨーロッパにもたらされ
る一方、ヨーロッパの製品に新たな市場機会を与え、貨幣経済=市場経済を一層発展させ、資本主義とい
う経済システムをヨーロッパに形成して行くことになる。
本日の講義の狙いは3つある。
(1)合州国は 50 州の連合体(共和国)で、日本などと違い州&地方が大きな権限を有している。その歴史は
古く植民地時代に遡る。
(2)同じくヨーロッパ諸国の植民地として再出発したアメリカ大陸において、何故最初に植民が進んだラ
テンアメリカ諸国が低開発に陥り、北米、アメリカ合衆国が何故発展したのか、ということである。
(3)関連するが、アメリカ合衆国においても、植民地時代発展した南部がその後発展が遅れ、北部、ニュ
ーイングランドを中心に発展したのは、何故かということである。結論先取り的にいえば、植民地での土
地所有形態と、入植者層の違いである。アメリカ合衆国に限っていえば、イギリスがどのようにして植民
地を築いたか。入植者層、土地制度、文化、自然環境、生産構造等に注目する。それらがその後の経済発
展の原型となり、「地域(Section)」の枠組みを作ることになる。
Ⅰ.アメリカ大陸におけるヨーロッパ諸国による植民地建設
1492 年コロンブス:サントドミンゴ島到着、 1497 年キャボット(英):ニューイングランド到着、1500 年
カブラル:ブラジル到着 1513 年ポンセデレオン:フロリダ半島探検、 1535 年カルティエ:ケベック到着、
1604-5 年オテナ:西部(今日のオレゴン、アイダホ、ワイオミング等)探検、
目的:資本の本源的蓄積政策ー金・銀鉱山開発、特産物生産
植民地建設:①スペイン(1479 年イスパニア王国成立) 、②ポルトガル(1399-1460 ヘンリー航海王子・
1481-95 ジョン2世)、③オランダ(1581 独立宣言)、④フランス(1483 年シャルル8世)、⑤イギリス(1485
年チューダー王朝成立)⇒何れも絶対王政成立後国家的事業として行われていることに注目!
* D.デュフォーの『ロビンソン・クルーソー』はイギリスによるベネズエラ支配を目論んだものという
説もある。一説によると、R.クルーソーの実在モデルはチリ沖の小さな島に生活していたとか。デュフォ
はこの人物が書き残した日記をもとにこの小説を書いたとも言われている。。
1、スペイン植民地の特徴
略
2、ポルトガル植民地の特徴
略
3、オランダ植民地の特徴
略
4、フランス植民地の特徴
略
5、イギリス植民地の特徴
1606 年国王より特許を得た2つの特許会社(ジェームスⅠ世より) により植民地建設開。これが恒久的な
植民地建設の出発となった。
* ロンドン会社: 北緯 31 ~ 41 度、奥行き 100 マイル以内
* プリマス会社: 北緯 38 ~ 45 度、奥行き 100 マイル以内
1621 年「基本法」によって植民地の自治が一応確立
( ロンドン会社:1624 年破産)
1607 年 Va 州ジェームス川流域にジェームス・タウン建設: アメリカ最初の恒久的植民地」「年季奉公人
Indentured Servant 」中心とする「集産制」
植民地企業家、大商人、金融業者等により植民地建設
1619 年: エドウイン・サンズによる「人頭権制 Head Right System 」(後述)
個人への土地付与政策推進→南部植民地の基礎
(プリマス会社:1629 年マサチューセッツ湾会社に吸収合併)1607 年 Maine 州ケベック川河口に植民地建
設ー失敗・放棄
1620 年メーフラワー号に乗った 102 人によってプリマス植民地(Mass 州 Provincetown)建設されるが、こ
れはヴァージニア会社から特許を得て行われたものである。プリマス植民地も 1691 年国王によってマサ
チューセッツ湾植民地に併合される。→初代知事ジョン・ウィンスロップ
(マサチューセッツ湾会社[元来は植民地との貿易を独占する会社]による植民地建設の特徴)
1,自ら株主である、都市の職人、農村の独立自営農民等 典型的「中産的生産者層」
2,宗教的には当時イギリス国教会の弾圧を逃れてきたピューリタン
3,土地付与は集団への土地付与を前提とし小区画で平等な土地分配がおこなわた( 「タウン・シシテム
Town System 」(後述)) →ニュウーイングランド植民地基礎
2, その他の植民地建設
①,マサチュセッツ植民地からの宗教的理由による分離・集団移住による植民地建設: コネチカット
(1635), ロード・アイランド(1663), ニュー・ハンプシャー(1679)
・・・以上自治植民
②,私領主による植民地建設建設
メリーランド(1629), カロライナ(1629-1650 南北に分離),ニュー・ヨーク(1664 年蘭より征服), ニュー・
ジャージ(1664 蘭より征服),ペンシルヴァニア(1681)ジョージア(1732)
・・・以上私領植民地
*1624 バージニア植民地の特許が取り消されて以来植民地の王領化が進み、本国派遣の官僚の支配する「王
領植民地」が増大
[ニューヨークはオランダ、デラウエアーはスエーデンが一時期植民地として支配した]
-1-
Ⅱ.イギリスによるアメリカ植民地の建設(「比較経済史」的観点から)
1,ニューイングラド植民地
1,入植の動機:本国国教会(アングリカン)による宗教弾圧、囲い込み運動・農民層分解による生活の困窮、
政治的弾圧、ヨーロッパでの戦争営利目的、少数だが営利目的等々
2,入植者層:イギリス国民経済の中核を担っていた独立自営農民・独立手工業者=「中産的生産者層」、
教員などの知識階級が中心、中には年季契約奉公人もいた。宗教的にはプロテスタント多かった。
3,土地制度:個人へ土地が直接付与されるのではなく、①集団(約 30 家族)への土地付与(6 ~ 8 平方
マイル)が中心だった。これを、「タウン・システム Town System」と呼び、これこそアメリカ社会の近代
化=資本主義成立の基盤となった。その他にも、②個人への土地付与、③インディアン購入、④無断居住
など
3,入植者の構成:①所有権者あるいは入会権者、②非所有権者、③奉公人、④小屋住まい住民
4,タウンの土地利用:①公用地(タウンプロット)、②耕作地、③牧草地、④森林、⑤残りは公有地として
保留
5,村落共同体としてのタウン:①耕作強制、②混在耕地制、③開放耕地制、④土地の売買・交換の禁止な
ど
6,生産構造:小麦、大麦、ライ麦、とうもろこし、大豆などの穀物生産、野菜・果物、さらに牛・馬・羊
などの家畜飼育[混合農業→一般的農業]
7,村落共同体としてのタウンの崩壊:18 世紀に入ると①農業生産力の上昇、②土地不足、③タウン内部で
の土地分配をめぐる利害対立が原因で村落共同体登しての「タウン」は崩壊。その結果、ニューイングラ
ンド一体では、小土地所有(最終的には 60 ~ 100 エーカー)に基づいた「独立自営農民」(近代への必要
な通過点)が広範に成立した。
私的所有に基づく自由な農業経営は、生産力の上昇とともに「社会的分業」(農・工の分離)を招き、
さらには「農民層の分解」(賃労働者の発生)をもたらし、局地内に手工業が生まれるとともに、賃労働
者を雇用して生産するマニュファクチャーが出現することになる。
*トクビルは『アメリカの民主主義』の冒頭で、ニューイングランドの定住形態・社会制度等を詳細に紹
介している。→これこそアメリカ民主主義の基盤だという。
2,中部植民地
1,入植の動機:宗教的理由、営利目的、ジェントリー固有の社会的正義観
2,入植者層:英国の貴族、大商人、金融業者、小作農民(年季奉公人)。宗教的にはクエーカー教徒が多
かった。
3,土地制度:①オランダ植民地時代は「パトルーン制」と呼ばれる封建的土地所有、イギリス領になって
からは「マナー制」に名前がかわる。一般的には、大土地所有が支配的、1840 年代ニューヨークの「地
代闘争」が示す
4,土地利用:領主のもとで農民は小作として土地を借りるか、年季奉公人として領主の土地で働く(多く
の場合“小作”)
5,生産構造:「パン植民地」として知られるように小麦生産が中心、しかしペンシルバニア西部では、小
土地所有がに基づく独立自営農民が成立し彼らの間から鉄工業が起ってくる
3,南部植民地
1,入植の動機:①営利目的、②本国の犯罪を免除してもらうため、③生活の困窮、④奴隷として強制入植
2,入植者層:①植民地企業家、②大商人、③大金融業者、④年季奉公人、⑤黒人奴隷
宗教的には、国教会会員(アングリカン)、カトリック(特にメリーランド)が多かった。
3,土地制度:①人頭権制度に基づく個人への土地付与、② 18 世紀に入ると「売却制」による個人への土
地売却、その他にも土地の贈与、長子相続制等によって南部植民地では大土地所有制が成立
4,経済構造
生産: 植民地政策の下で煙草、米、藍などの特産物が「列挙品目」に指定され、生産が奨励されるととも
に、本国の統制= 独占下に置かれた
流通: 輸出はイギリス商人への「委託販売制度」factorage system によって行うれた。
イギリス本国による二重収奪、独立革命当時南部のプランターは推定 400 万ポンドの負債→このことが南
部植民地を独立革命に参加させる要因の一つとなった。
5,黒人奴隷制の成立:① 1619 年オランダ船によりヴァージニア植民地に約 20 名の黒人奴隷輸入、以後南
部植民地の各地で年季奉公人に代って黒人奴隷がプランテーシヨンの労働力として使用される。18 世紀
に入り独立革命の直前には基幹労働力は年季奉公人から黒人奴隷に移行=奴隷制プランテーションの成
立。② 1661 年バージニアで奴隷を合法化。1700 年 27,000 人 1760 年 352,800 人/「三角貿易」→アメリ
カの資本の原始的蓄積?
6,独立直前のアメリカ植民地
① 独立前の植民地の形態
自治植民地ー CONN,R.I
私領植民地ー PA,MD,DEL.,
王領植民地ー 0THERS
② 植民地における「セクション Section 」の形成
ニューイングランド植民地ー N.H,CONN,MASS,R.I →「北部」の原型」
中部植民地ー N.Y,PA,N.J →独立後「北部」に吸収されていく
南部植民地ー MD,DEL.,VA,N.C,S.C,GA →「南部」の原型」
*「セクション」としての「西部」は 1820 年代以降台頭して来る
[参考文献]
鈴木圭介編『アメリカ経済史 1』(東大出版会)
岡田泰男・永田啓恭編『概説アメリカ経済史』(有斐閣選書)
-2-