「アメリカ型資本主義」の形成 ・アメリカにおける産業革命(工業化)は

「アメリカ型資本主義」の形成
・アメリカにおける産業革命(工業化)はニューイングランドを中心とした(大西洋岸中
部を含む)「北部」から起こった。
植民地時代繁栄した「南部」は 19 世紀末まで工業化の動きはなくそれも失敗。本格的に
始まったのは、第2次世界大戦後、1970 年代からである。
・ニューイングランドにはイギリスで弾圧されていた非国教会系のプロテスタントが入植
して来た。
・入植したのは本国で独立自営農民だったり、独立手工業者だったり、いわゆる「中産的
生産者層」が中心だった。
・彼等は資産もそこそこ持ち、教育程度も比較的高かった。
・ニューイングランドでは固有の土地分配方法、「タウン・システム」が採用され、その
結果殆どの入植者が 60 ~ 100 エーカーの所有することが出来た。
・こうして成立した独立自営農民は、勤勉に働いた結果生産力の上昇と共に、農工の分離
(社会的分業)が始まり、「局地的市場圏」が成立する。
・「タウン・システム」の平等原理から市場の競争原理が始まると、競争に負けた者は賃
金労働者となり、やがてマニュファクチャ経営(資本主義的経営)が出現する。
・但しアメリカの場合、「西部」に自由地があったため直ちに賃金労働者と没落して行っ
た訳ではなく、「西部」で再び独立自営農民として再生して行った(⇒底抜けの原蓄)。・
アメリカの場合、労働者不足を補ったのは海外からの移民であった。賃金は常に高めで、
こうした事情が労働節約的機械の発明を呼び、後に「アメリカ的生産方式」を生み出す。
以上がアメリカにおける資本主義成立の大まかな素描であるが、「産業資本成立の純粋
型」といわれるのは、イギリスのようにそれを阻止する勢力(例えばギルド)や絶対王政
などによる阻止的政策も行われなかった。「ハミルトン体制」に見られるように逆に政府
はそれを側面からサポートした。ここに産業資本を純粋に培養した「アメリカ型資本主義」
が成立するのである。
但しこれはあくまで“モデル”(理念型)にすぎない。
実際の資本蓄積はニューイングランドの商人達によって奴隷貿易や西インド諸島を挟んだ
「三角貿易」によって蓄積された資金が産業革命の資本に転用された場合もあるし、D.C.
ノースがいうように南部の奴隷制プランテーションで生産された綿花輸出代金が、回り回
って北部の産業革命に転用された例も多かったと思う。
あくまでも基本線の問題である。