第一席 一服の抹茶から学ぶこと 段上 美香

第一席
も奥深い世界である。茶室でしか分からないこともあるし、わたし
のような一介の学生が、日頃お稽古をしているだけでは到底到達で
きない境地は歴然と存在する。
ただ、何をするにも便利で手間の要らない世の中で生きているわ
たしたちは、ともすると自分の都合と利益のみを優先しがちである。
は茶道の真髄であるおもてなしの心を深く学んでいる・いないは問
思うに、亭主の込めた思いまでを客が汲み取ったとき、はじめて
「美味しい」のみでない、満足感が抱けるのではないだろうか。それ
どれを取っても相手を鑑みた行為につながる。
の目の前でお茶を点てる。点前における細かな所作の一つひとつは
亭主が客をもてなすとき、そこに存在するのは客を気遣う心のみ
だ。その時々にもっともふさわしい道具を選び、それらを清め、客
か。
は、単純にそのお茶が美味しいという、それだけの理由なのだろう
外の方でさえも感じるだろう、得も言われぬような安らぎの気持ち
一服の抹茶をいただくとき、ホッと一息つくのはなぜだろう。お
そらく茶道の心得の有無は関係なく日本人なら誰しも、ひいては海
たし自身の経験からしても、こんな人にはなりたくないな、と思っ
先生を心から尊敬していることは最早当たり前のことではない。わ
このことを、茶道とは違う視点で考えてみたらどうだろう。わた
しは教師を目指しているのだが、例えば教育機関において、生徒が
るからだろうと思う。
がっている。彼らの教えを学んでいる、という意識がはっきりとあ
としても、先人たちの教えは現在に生きるわたしたちへと必ずつな
また、茶道を学ぶ人は千利休をはじめ、茶道に関わって来られた
先人たちを決して軽んじない。それは単に歴史上の偉人だからとい
ではきっと当然のように一人ひとりが持っているものだったはずだ。
その意味を正確に捉える英語がないそうだ。利他の心は、古き日本
一服の抹茶から学ぶこと
就実大学二年(岡山県)
「自分さえよければそれでよい」というのはとても楽な生き方で、社
会を要領よく渡っていくには他人のことを考えない方が上手くいく
題ではなく、一服の抹茶の中に溶け込んで、無意識にわたしたちの
てしまうような教師に出会ったこともある。最初から敬意の無さを
段上 美
香
心の奥底を揺さぶるようなものではないか。
り、改善しようとしない。生きていくにあたって必要なことを教わ
こともあるかもしれない。そんな現代でも、茶道はどこまでも利他
茶道に出会った人間として未熟ながらも感じることは、この相手
を思いやる気持ち、そしてその気遣いへの感謝は、茶室の中にのみ
るはずの学校がこれで良いのかと甚だ疑問である。しかし茶道には、
隠さず、敬語を使わない生徒もいる。教師もそれを半ば容認してお
うだけではない。姿を直接見たことがない、声を聞いたことがない
的である。そういえば「おかげさま」「お互いさま」という言葉は、
留めておいて良いものではないということだ。もちろん茶道はとて
師匠と弟子という明白な関係性・秩序がある。そこには目指すべき
教育の姿がある。
一服の抹茶から、人と人は心を通わせることができる。目には見
えなくとも込められている気持ちを汲み取れる人間になりたいと思
う。そして茶道を入り口として、日常生活でも他者を思いやる心を
培いたい。わたしたちは茶道から様々なことを学んでいるが、それ
は全く新しい知識や価値観なのではなく、わたしたちが受け継いで
いかなければならない、これまで連綿と伝わってきた日本の文化・
精神性だ。
「魅力的な人」とは、勉学に優れたひとでも要領の
最後になるが、
いい人でもなく、すぐ側にいる人をホッとさせることのできる人の
ことだとわたしは思うのだ。人生において茶道から学べることは、
きっと一生尽きないだろう。