反レイシズム情報センター(ARIC)資料 【資料】朝鮮学校中高生への襲撃事件(60 年代~70 年代) ○事例 62 年 11 月 3 日神奈川朝鮮高校 1 年生が、法政大第二高等学校の「二高祭」で射撃部展示を見 ていたところ、同校 2 年生に銃床・銃身で頭部を乱打され頭蓋底骨折脳挫傷で死亡。(『在日朝鮮 人の基本的人権』p359) ○当時のヘイトクライムの概数 年次 事件数 政治的、社会的背景 (確認分) 1962 1 「韓日会談」妥結運動、帰国協定無修正延長運動 1963 37 「韓日会談」妥結運動、祖国への往来自由実現運動 1964 3 「韓日会談」妥結運動 1965 3 「韓日会談」妥結運動 1966 6 『外国人学校制度」創設のための「学校教育法一部改正」国会提出 1967 - 在日朝鮮人の帰国協定の一方的打ち切り(12 月) 1968 14 1969 19 帰国事業の再開を求める運動 1970 40 「外国人学校法案」「出入国法案」国会上程 1971 39 「外国人学校法案」「出入国法案」国会上程 1972 33 「外国人学校法案」マンスデ芸術団日本公演 1973 36 合計 231 『外国人学校法案」および「出入国管理法案」国会上程、帰国事業の再開を求 める運動 ※柳炳夏「朝鮮高校生への集団暴行事件の狙い」『統一評論』1973 年 8 月号 ※73 年 7 月 4 日衆議院法務委員会赤松勇議員発言:66 年から「国士舘及び帝京商工など二校の朝 鮮人高校生に対する暴力事件は、市民を含めて計五百六十回事件を起こしている。昨年一年だけ で三十六回朝鮮人高校生を襲っている。ことしだけでもすでに二十六回」
© Copyright 2024 ExpyDoc