反レイシズム情報センター(ARIC)資料 【資料】チマチョゴリ事件(80 年代後半~、2002 年~) ○「被害事例 2 度も切られたチマ・チョゴリ」(1994 年) ・被害者:東京朝鮮中高級学校高 1(16 歳)・女子 「6 月 17 日、学校から帰宅途中の午後 5 時 45 分頃のことだった。JR から地下鉄に乗り換えるた め階段を上がっていたとき、男が私の着ていたチマをつかんだ。気がついたら、後ろのほうを 20 センチぐらい切られていた。私は怖くて、振り向くことができなかったので、そのとき男の顔は わからなかった。地下鉄に乗ってから、私は怖いのとチマを切られた悲しさで涙が止まらなかっ た。そのとき 50 歳ぐらいのおばさんが心配して、私は駅まで送ってくれた。 その事件があってから、しばらくの間は怖くてたいそう服で通学していたが、よく考えてみる と悔しくて、こんなことで負けちゃいけないと思うようになり、また、チマ・チョゴリで通学する ようになった。ところが何日かたった日、あのときと同じ所で、たぶん同じ男に後ろから「また 切るぞ!」と言われた。 それから 2 週間ほどたった日のことだった。学校に行くため地下鉄の電車に乗り、ドアの近く に立っていた。電車が止まって大勢の人がドッと下りたとき、ドアの反対側に立っていた中年の 男が、私のチョゴリの右袖を切りつけた。切られるとき、スゥーッという音がした。茶色のジャ ンパーに茶色のズボンを履いていたが、この前のとき顔を見なかったので、あのときと同じ男か どうかはわからない。見ると、チョゴリの袖は 15 センチほど切られていた。男は切るとそのまま 電車を下りて階段を駆け上がって逃げていった。 この前チョゴリを切られてから、友達と一緒に帰るようにしていたが、この日は遅れてしまい 一人だった。電車の中も怖いけれど、乗り換えるときに大勢人がいると、この中にまたそういう ことをする人がいるんじゃないかと思い怖くなる。 チマ・チョゴリを着ているから狙われるのかもしれないけれど、こんなことで脱ぎたくない。 」 (朝鮮人学生に対する人権侵害調査委員会編『切られたチマ・チョゴリ――再発防止 事件の根絶をめ ざして』より) ○80 年代末以降の「チマチョゴリ事件」等朝鮮学校へのヘイトクライム件数 時期 事件 件数 期間 48 件 20 日間 1989 年 10 月 「パチンコ疑惑」 1994 年 4 月 「核開発疑惑」 約 160 件 約 3 ヶ月間 1998 年 8 月 「テポドン発射実験」 約 70 件 約半年間 2002 年 9 月 「拉致事件」 2006 年 7 月 「ミサイル発射実験」 122 件 約一ヶ月間 2006 年 10 月 「核実験」 55 件 約一ヶ月間 1000 件以上 (関東 321 件) 翌年 3 月までの半年間 ※金栄「在日朝鮮人弾圧から見る日本の植民地主義と軍事化」(『歴史と責任』(青弓社)) ※師岡康子『ヘイトスピーチ』(岩波新書)
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