1/3 Asia Trends マクロ経済分析レポート インド準備銀、高額紙幣廃止と金融市場の動揺に狼狽 ~ルピー安による影響が懸念されるなか、利下げ休止を決断~ 発表日:2016年12月8日(木) 第一生命経済研究所 経済調査部 担当 主席エコノミスト 西濵 徹(03-5221-4522) (要旨) 国際金融市場では米大統領選の結果を受けてリスク・オンとリスク・オフが混在するなか、新興国では資 金流出懸念が強まっている。インドでも通貨ルピーが一時最安値を更新する事態に見舞われる一方、金利 が低下する奇妙な展開が続いている。これは先月政府が実施した高額紙幣廃止措置が影響しており、紙幣 交換のため銀行に預金が集中、銀行の余資運用先が国債に集中したことに拠る。他方、高額紙幣廃止措置 は個人消費に悪影響を与えるなど景気下振れが懸念されるなか、金融市場では利下げ観測が強まった。 今年9月に発足した準備銀のパテル新体制は景気重視との見方が強まっていたが、7日の定例会合で同行 は政策金利を据え置いた。高額紙幣廃止による景気への影響が懸念される一方、米次期政権の政策運営な どに伴う不透明感も高いなか、ルピー安の喰い止めを重視した。ただし、市場は足下の実体経済の下振れ から次回会合での利下げは不可避との見方に傾いている。パテル新体制は船出から米国の金融政策の行方 と高額紙幣廃止に伴う同国経済への影響、国際金融市場の反応に目配りする難しい対応を迫られている。 国際金融市場においては、先月の米国大統領選で共和党候補のドナルド・トランプ氏が勝利し、同日行われた 上下両院選挙においてともに共和党が多数派を形成したことで、トランプ次期政権の下では大統領と議会の 「ねじれ状態」の解消が政策遂行をしやすくするとの見方が強まっている。米国金融市場では、トランプ氏が 選挙戦を通じて公約に掲げた大規模減税やインフラ投資 図 1 ルピー相場(対ドル)の推移 の拡充などに伴い米国経済は加速感を強めるとの見方を 受けて株式相場は上昇基調を強める一方、これらの施策 に伴う財政状況の悪化を警戒して長期金利は上昇するな ど、安全資産からリスク性資産に資金が移動する「リス ク・オン」の状態が続いている。他方、こうした事情を 背景にFed(連邦準備制度理事会)は利上げを余儀な くされるとの見方から米ドル高圧力が高まるなか、新興 国においては資金流出への懸念から「リスク・オフ」の 様相を呈し、通貨、株式、債券のすべてが売られる「狼 (出所)Thomson Reuters より第一生命経済研究所作成 図 2 長期金利(10 年債利回り)の推移 狽売り」にも似た事態に直面する国も出ている。こうし た状況について、2013 年の当時のFedバーナンキ前議 長による量的金融緩和政策の終了を示唆する発言をきっ か け に 国 際 金 融 市 場 が 動 揺 し た い わ ゆ る “ Taper Tantrum”に準えて、“Trump Tantrum”と呼ぶ動きもみ られた。なお、前者においてインドはその影響を色濃く 受けた経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)の脆弱 な国(いわゆる「フラジャイル・ファイブ」)の一角と (出所)Thomson Reuters より第一生命経済研究所作成 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 2/3 して、大量の資金流出に直面するなど厳しい状況に追い込まれた。しかしながら、足下のインドは原油安の長 期化などの影響で経常赤字は縮小、インフレ率も低下するなどファンダメンタルズは大きく改善している。こ うした状況にも拘らず通貨ルピーの対ドル為替レートは一時的に最安値を更新し、その後は準備銀(中銀)が ルピー買い(ドル売り)の為替介入を実施する事態となるなど厳しい状況に直面する事態となった。その一方、 他の新興国においては海外資金の流出に伴い金利上昇圧力が高まる動きがみられたものの、インドでは逆に長 期金利が大きく低下する事態となっている。インド準備銀が昨年来漸進的に利下げを実施してきたことは長期 金利の低下に繋がってきたものの、先月以降の金利低下は政府が先月9日に汚職と偽造の防止を名目に2種類 の高額紙幣(1000 ルピーと 500 ルピー)の廃止及び回収を行う決定を行ったことが大きく影響している。こ の措置に伴い旧紙幣は今月末まで銀行に預入可能な一方、銀行を通じて新紙幣に交換する必要がある上、その 引出額に上限が課されるなど実質的に銀行に旧紙幣を預けざるを得ない仕組みが採られており、同措置により 図 3 製造業・サービス業 PMI の推移 手元資金が大量に増加した銀行が資金運用先に国債を選 択したことが急激な金利低下を招いた。こうした事態を 受けて準備銀は先月末、国債市場に流入した余剰資金を 回収すべく、同措置の前後に増加した負債総額に適用す る現金準備率(預金準備率)を一時的に 100%とする異 例の発表を行う事態に追い込まれた。また、高額紙幣の 廃止措置を巡っては紙幣交換が進まず現金決済が滞るこ とで経済成長のけん引役である個人消費の下押し圧力に 繋がることが懸念されており、すでに 11 月時点におけ (出所)Markit より第一生命経済研究所作成 る二輪車や四輪車、不動産販売が急減速しているほか、直近のサービス業の景況感は好不況の分かれ目となる 50 を大きく下回るなど実体経済にも悪影響の兆候が出つつある。こうしたことから、金融市場においては市 場の動揺などに伴う資金流出によるルピー安の進展を懸念する向きがある一方、景気減速を警戒して準備銀が 一段の金融緩和に踏み切る可能性もあるとの見方も出ていた。 こうしたなか、準備銀は8日に開催した金融政策委員会において政策金利であるレポ金利を 6.25%、現金準 備率を 4.00%にそれぞれ据え置く決定を行った。なお、金融市場において事前に同行が利下げを行うとの観 測が強まった背景には、今年9月に誕生したパテル新総裁下の新執行部が直後の定例会合において利下げを実 施するなど景気を重視する姿勢に傾いたことで、ラジャン前体制下に比べて「ハト派」にシフトしたとの見方 が強まっていることも影響したとみられる(詳細は 10 月5日付レポート「インド準備銀・パテル体制は「ハ ト派」にシフトの模様」をご参照下さい)。また、今回 図 4 インフレ率の推移 の決定に併せる形で先月末に発表した一時的な預金準備 率の大幅引き上げ措置については撤回することも発表さ れている。会合後に発表された声明文では、足下の世界 経済について地政学リスクや金融市場のボラティリティ に伴う影響は懸念されるものの、全体としては底入れし つつあるなか、金融市場についても米大統領選の結果に 伴いボラティリティはあるものの、OPEC(石油輸出 国機構)による減産合意が原油相場の下支えに繋がるな (出所)CEIC より第一生命経済研究所作成 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 3/3 ど落ち着きを取り戻す兆候もあるとの見方を示している。他方、同国経済については、7-9月期の経済成長 率が製造業での生産落ち込みや設備投資意欲の低迷が景気の下振れを招いたなか、10-12 月期については「第 7次中央給与委員会」に伴う公務員給与の大幅引き上げの効果が見込まれるほか、足下の金利低下が企業の収 益環境の改善に繋がる一方、上述した高額紙幣の廃止措置が幅広くサービス業の経済活動の足かせとなる影響 が懸念されるとした。また、低水準での推移が続くインフレ率については、高額紙幣廃止措置に伴う経済活動 の下振れが短期的にインフレ圧力の後退に繋がる可能性はあるが、足下においては幅広く食料品価格が上昇基 調に転じている上、OPECによる減産合意を背景に原油相場が底入れしていること、さらに、公務員給与の 大幅引き上げなども考慮すると、先行きについては上昇圧力が高まりやすい環境にあるとした。その上で、先 行きの景気見通しについては、経済全体に対する影響については、今後発表される様々な情報を分析すること が重要であるとの認識を示す一方、高額紙幣の廃止措置に伴いサービス業など紙幣を必要とする業種を中心に 短期的な生産の下振れが避けられないとして、同行が重視するGVA(総付加価値:供給サイド)を元にした 今年度通年の実質GVA成長率の見通しを▲0.5pt 引き下げて前年比+7.1%と下方修正している。同行は金 融政策の方向性については引き続き「緩和的」とすることを維持しており、金融市場は早くも来年2月の次回 会合の行方に注目が集まっており、足下において高額紙幣廃止措置が実体経済に悪影響を及ぼしていることを 受けて利下げを行うとの見方が強い。他方、米国のトランプ次期政権による政策運営や、それに対応したFe dの政策対応の状況如何では米ドル高に伴うルピー安圧力が強まることも予想され、この動きが輸入インフレ など新たなリスク要因を誘発する可能性もある。パテル新体制は高額紙幣廃止措置に伴う同国経済への影響が 懸念される一方、米国の政策動向やこれらの動きに反応する金融市場の変化など様々な動きに目配りする必要 性が高まっており、発足早々から厳しい船出を迎えることとなったと言えよう。 以 上 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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