单义词,顾名思义就是词义相对单纯的词,查阅辞书,往往只 有一个义项。但是,这并不意味着单义词在翻译时就可以简单 地借用辞典释义和对译词。它同样需要根据语境的不同,做出 相应的调整。 例1:しかし、やはり社長は五厘切手一枚のことにも目の色をか える男であった。昇給どころか、豹一が原稿用紙を乱暴に無駄使 いするので、口実さえつけば減俸してやりたいぐらいに思ってい たのである。 译文:社长是5厘钱一张邮票都会变脸的人,他哪会让豹一涨工资, 他心里肯定是早就盘算着这家伙大肆糟蹋稿纸,正想找个理由给他 减薪呢。 例2:私は、もともと貧しい商人ではありますが、それでも精 神家というものを理解していると思っています。だから、あ の人が、私の辛苦して貯めて置いた粒々の小金を、どんなに 馬鹿らしくむだ遣いしても、私は、なんとも思いません。 译文:我本是个贫穷的商人,不过自认为还能理解精神追求者。 所以,即便她撒雪片似地挥霍我辛辛苦苦积攒下来的这笔小钱, 我也不觉得有什么。 例3:私は、まだ、こんなむだな旅行など出来る身分では無い のだ。家の経済を思えば、一銭のむだ遣いも出来ぬ筈であるの に、つい、ふとした心のはずみから、こんな、つまらぬ旅行を 企てる。少しも気がすすまないのに、ふいと言い出したら、必 ずそれを意地になって実行する。 译文:我是没有资格搞这种白花钱的旅游的。想到家里的经济,是 一分钱也不敢乱花。可是,一时心血来潮,竟然筹划起这种无聊的 旅游。虽然提不起精神,但是一不留神说出的话无论如何还是要兑 现的。 “むだづかい”是一个较为典型的单义词,但是上面3例的翻译各 不相同。如果一定要向辞典靠拢,一律译作“浪费”,虽无不可, 却不是最好的选择。下面再看一组“確かめる”的例子。 例4:しかしこの仮説にとって重大な試金石となるものは、馬の この種の放電に対する反応いかんである。すなわち人間にはなん らの害を及ぼさない程度の放電によって馬が斃死しうるかどうか という事である。これについてはおそらくすでに文献もある事と 思われるが、自分はまだよく承知していない。ただ馬が特に感電 に対して弱いものであるという事だけは馬に関する専門家に聞い て確かめる事ができた。 译文:不过,对这个假说而言,关键的试金石就是马对此种电击的 反应如何。即检测对人类不造成危害的电流是否会导致马的毙命。 大概文献里已有相关记载,我尚不知悉。不过,我曾就马特别不耐 电击之事请教过马的专家。 例5:安二郎の隣に万年筆屋が住んでいた。……安二郎にその資 本三百円の借用を申し込んだ。安二郎はその家が借家ではなく、 そこの不動産だと確かめると、それを抵当に貸し付けた。 译文:安二郎的隔壁是一家笔店,他们向安二郎提出要借3百元资 金。安二郎搞清楚笔店为不动产而非租赁房之后,就拿它当抵押 借出钱款。 例6:起き上がると、私はまず急いで鏡を取り出して調べてみた。 痛むのを我慢して、眼球を左右にぐりぐりと動かせてみたり、 瞼をひっくり返してみたりして真っ赤になっているのを確かめ ると、今押し込んだばかりの布団をまた押入れから引き出して 横になった。左はそれほどでもなかったが、右眼は兎のように なっていたのだ。 译文:爬起身,我急急忙忙拿出镜子查看。我忍着痛,来回 转动眼球,翻开眼睑,看清楚一片血红之后,又从壁橱中拽 出刚刚塞进去的被褥躺下。左眼倒不是十分严重,右眼已与 兔眼没有区别了。 例7:大学入試センターは、試験結果を比べ、難易差を 確かめる。追試験の受験者は例年300~400人に過ぎな い。それでも万一、大地震などで本試験が中止された 場合、追試験の問題が本試験になる。 译文:大学入学考试中心对比考试结果,审核难易度。参加 补考者历年不过三四百人。不过,万一遇到大地震,正式考 试中止的时候,补考试卷便会成为正式试卷。 例8:昨年5月29日夜、休暇でくつろいでいた自宅の電話が 突然鳴った。「会社がつぶれちまったぞ。機械を今すぐ止め ろとよ」。同僚からだった。 自宅からほど近い高萩工場へと自転車を走らせた。「うそ だろ」と頭の中で繰り返した。業績が悪いと聞いていた。一 昨年はボーナスが支給されなかった。「でも、自分の目で確 かめるまで信じたくなかった」 译文:去年5月29日晚上,我正在家休假,忽然电话铃声大作,是 同事打来的。“公司倒闭啦。让立刻停机停产”。 我骑车前往离家不远的高萩工厂,脑袋里不停地转动着一句话 “不是真的吧”。不过,以前也一直听说工厂效益不佳。前年奖金 也没有发。“但是,不亲眼目睹,实在难以相信啊”。 下面请对比两组单义词的翻译。 例9:南アメリカの地形は、北アメリカと似ており、西部の太平 洋岸には、高くてけわしいアンデス山脈が火山をともなってほぼ 南北にはしり、…… 译文1:南美洲的地形同北美洲相似,在西部的太平洋沿岸,陡峭 高耸的安第斯山脉连同火山一起几乎横贯南北,…… 译文2:南美洲的地形同北美洲相似,在西部的太平洋沿岸,陡峭 高耸、火山错列的安第斯山脉大致上呈南北走向,…… 例10:史記・漢書その他古代中国の諸文献に見える異民族につ いての記録に、居住形態について城郭の有無の記述を伴うこと は、古代中国人の基本的な居住形態としての都市観の反映であ ろう。 译文1:在《史记》、《汉书》及其他中国古代各种文献有关异民 族的记载里,对于居住形式是按照有无城郭而记述的。这就反映了 作为古代中国人基本居住形式的城市观。 译文2:在《史记》、《汉书》等中国古代各种文献中有关其他民 族的记载里,在记述其居住形式时,总是注明有无城郭这一条。这 反映了古代中国人对基本居住形式的认识——即他们的城市观。 例11:十九世紀の、巴里の文人たちの間に、愚鈍の作家を「天候 居士」と呼んで唾棄する習慣が在ったという。その気の毒な、愚 かな作家は、私同様に、サロンに於て気のきいた会話が何一つ出 来ず、ただ、ひたすらに、昨今の天候に就いてのみ語っている、 という意味なのであろうが、いかさま、頭のわるい愚物の話題は、 精一ぱいのところで、そんなものらしい。何も言えない。私の、 たったいま投函したばかりの作品も、まず、そんなところだ。 译文:19世纪,在巴黎的文人中间有一种习惯,把那些愚钝的 作家称作“天气居士”而不屑一顾。这大概是指这些可怜的、 愚昧的作家,和我一样在沙龙里连一句幽默俏皮的话也说不出 来,只知道最近的天气如何如何。的确,这些蠢货“聊天”已 经使出吃奶的劲,也就这个水平,谈不出什么。我刚才投入信 筒的作品大概也不过如此。 例12:彼は自分以外に世界のあることを少しずつ悟ってゆく ようでした。彼はある日私に向かって、女はそう軽蔑すべき ものでないというようなことをいいました。Kははじめ女か らも、私同様の知識と学問を要求していたらしいのです。そ うしてそれが見つからないと、すぐ軽蔑の念を生じたものと 思われます。 译文:他好像渐渐地悟出除他自己以外还有另一个世界。有一天, 他对我说,女人也不能那么小瞧。K最初是要求女人有和他自己同 样的学识的。可是,当他失望时,便立刻萌生出对女人不屑一顾的 念头。 “私”(“わたくし”则是多义词)是个较为典型的单义词,前一 例还是“我”的意思。后一例摘自夏目漱石的小说《心》,谈的是 K对女友的要求。在这里,“私”已经不是第一人称的“我”了, 而是指代K自己。因此,译文也需要做相应的调整。 多义词的翻译要点有二。一为区别不同语境下词语的具体意义,二 为选择适合语境的最佳译词。 例13:知りあいになってから一年ほど経て、神坂がある日僕のう ちを訪ねてきまして、日本文化社の社長がわからず屋でけちで、 仕事が面白くない、腕を振る余地がなくて退屈だから、やめてど こかへ変りたいという相談をもちかけてきました。 译文:我同神坂认识大约一年后,有一天他到我家来,同我商量, 说日本文化社的社长不近情理,又十分吝啬,他感到工作无趣,没 有施展才能的余地,很是厌倦,所以想辞职,换个地方。 例14:「お前は実にけちなやつだ。けちな奴だというこ とが俺にもだんだんわかってきた。お前は強そうな人間 の前へ出たら散々ぺこぺこして、弱いやつの前では威張 り散らすようなやつだ。……」 译文:“其实,你是个卑鄙的家伙,这一点我是慢慢明白 的。你对强者阿谀奉承,可对弱者却耀武扬威。……”。 例15:そのことがあってからのち、神坂さんは私に対 して、とても邪慳になりました。私のすることを一一 けちをつけて、私がいない時には大森さんに向ってわ たくしの悪口を言って、二人を遠ざけようとなさるん です。 译文:自那以后,神坂待我非常刻薄,对我做的每件事都 要吹毛求疵,趁我不在就在大森面前说我的坏话,企图离 间我们。 例16九段坂の最寄りけちなめし屋がある。春の末の夕暮 に一人の男が大儀そうに敷居をまたげた。すでに三人の 客がある。またランプをつけないので薄暗い土間に居並 ぶ人影もおぼろである。 译文:九段坂附近有一家简陋的小饭店。春末的一个傍晚, 有一个男人拖着疲乏的步子跨进这家饭馆的门槛。里面已经 有三个顾客了。油灯还没有点上,暗淡的店堂里,人影朦胧。 “けち”一词根据日本小学馆的《国語大辞典》,共有6 个意义。上面4例的选词较为准确转述了“けち”在各语境 里的意义。 例17:縫という娘は、何か云うと、よくってよ、知らないわ よと答える。そうして日に何遍となくリボンを掛けかえる。 近頃はバイオリンの稽古に行く。帰ってくると、鋸の目立て の様な声を出してお浚いをする。ただし人が見ていると決し てやらない。室を締め切って、きいきい云わせるのだから、 親は可なり上手だと思っている。代助だけが時々そっと戸を 明けるので、よくってよ、知らないわと叱られる。 译文:至于小女孩小缝呢,一讲她什么,就回说“我愿意嘛,不 要你管。”于是一天不知要把头上的丝带换扎多少次。最近嘛, 去向人学拉小提琴了,回家后练起琴来,发出的声响同锉锯齿没 什么两样,不过她绝不在别人眼前练习,而总是闭紧了房门,吱 嘎吱嘎地拉着,所以大人们认为她拉得很好。只有代助时常偷偷 地去推门觑上一眼,于是她就没好声气地嚷起来,“我愿意嘛, 不要你管。” 例18:酒井は肉の少しこけた頬に微笑を浮かべながら何度もその 手紙を読みかえした。着物に着替え、家政婦が作った夕食を食べ ながら、いっぱいの水割りの氷の音をコロコロといわせて味わい ながら、この手紙をまた読みかえした。 译文:酒井略微消瘦的面颊带着笑容,把来信来回读了几遍。换上 和服,吃起女佣做的晚餐。他拿起酒杯,在冰块的清响中品尝着美 酒,同时又读起了这封信。 例19:食事が終ると彼はやっと落着いて周囲を眺めた。小屋の主 人は又水屋で何かコトコト言はせてゐた。部屋の中は綺麗に片附 いて、といっても隅に置いた一つの櫃以外には何もなかったが、 清潔で涼しかった。 译文:吃完了饭,无名氏得以从从容容打量四周。主人还在灶屋里 忙活。小屋收拾得十分整洁,除了角落有个柜子外,环堵萧然,显 得既清净又凉爽。 这两例中的“知る”和“言う”也需要根据语境选择合适的意 义和译词。下面讨论同形汉字词的翻译。 同形汉字词历来是翻译中的盲点和难点。之所以说它是盲点, 是因为它和汉语同形,中国人似乎有“同文同种”之便,可以 照搬照用,无需多加考虑。说它是难点,则正因为我们的“轻 敌”,反而“平白无故”地给自己找来许多剪不断理还乱的麻 烦。其实,同形汉字词虽然有时像既方便又省时省事的“快 餐”,但更多的时候却无异于“陷阱”、“地雷”、“定时炸 弹”和“披着狼皮的羊”,会给译文留下隐患或重创。所以, 遇到同形汉字词,一定不可以掉以轻心,要把它们看作来历不 明者或“混进我方的奸细”,进行彻底的“内查外调”,然后 再决定处置办法。当然,即便身份没有问题,可以“入境”者, 有时也需“入乡随俗”,换一套行头,更好地完成它们的使命。 例20:明治時代、日本人は、政治・経済・科学など各方面にわ たって、西洋の言葉を、日本語に訳すことを試みた。そして、漢 字と漢字を結びつけたり、従来からあった漢語を活用したりして、 訳語を作った。 译文1:明治时代,日本人尝试在政治,经济,科学等方面把西方 语言译成日语。于是,把汉字和汉字组合在一起或灵活运用原有的 汉语词汇作为译词。 例21:日本の大学では、講義が一般的な教授法になっている。施 設や教授陣の割に学生数が多いこともあって、何百人もの学生が 一つの講義を聴くことも珍しくない。自分の希望する教授に直接 個人的な指導を受けたい学生は、ゼミナールを受講する。ゼミ ナールでは課題が出されたり、グループで調査したり、実験した りする。 译文1:日本的大学,上课采用一般讲学的教授方式。依学校设施 与教授阵容比率而言,学生人数稍多,几百位学生在一起上课也不 希奇。如果希望,可参加指导教授的研究小组(Seminar)。在各研 究小组,订有研究课题,并以小组方式举行调查实验等活动。 上面2例的一个通病是,对同形汉字词不做真正的辨析工作,便直 接挪用。结果却是语焉不详,似是而非。第一例没有说清楚日本人 是如何创造西学新词语的;第2例中的“接受教授直接做个人指导” 的说法在汉语里大多数场合是「一对一」的意思,有时甚至包含 「家庭教師」意思。而原文中的「個人的な指導」这里显然不能简 单地看作这种性质的“个人指导”。 例20译文2:明治时代,日本人尝试着把政治、经济、科学等领域 的西方词语译成日语。他们或者用汉字重新组词,或者赋予原有汉 字词以新意来创造译词。 例21译文2:在日本的大学,上课是最主要的教学形式,相对于教 室和师资力量而言,学生人数过多,几百名学生一起听课的情况司 空见惯。学生希望接受某个教授的具体指导,可以选修专题讨论课。 课上设有研究课题,学生分小组进行调查和实验。 上一页 例22:荒木は、その五十日後の十二月十三日、若槻内閣に代 わった犬養内閣に、陸軍大臣に任ぜられたのである。部内、 というよりも中堅幕僚の絶大な期待、部外者の異常の驚異の うちに、かれは、悠然と陸相の椅子に腰を下した。かれの得 意の容姿、想像するだに愉快である。 译文:荒木终于在五十天后的12月13日,即若槻内阁倒台的第 二天,被任命为犬养内阁的陆军大臣。在军部、特别是在骨干 军官的厚望和军外人士的异常惊诧里,荒木悠然地坐上了陆军 大臣的宝座。但是,他的得意忘形却使人觉得荒唐可笑,难以 想象。 “愉快”一词既是个让人高兴的词,又是个使人意外、吃惊的 词。在这例里它是让人感到意外,不可想象和败兴的意思。如 果照搬汉字,原意正好被颠倒。 例23:「行列」についての意味や定義は、格別面白いものではな い。——多人数が列をつくって行くこと。——各数字や文字をその行 列の要素といい。横ひと並びの要素を行列の行、縦ひと並びの要 素を列という。辞典を引けば、およそこんな具合である。 しかし、私は北京にいた間(1976年から83年のうち約六年間)街の 中でしばしば出くわす市民がかたちづくる実際の行列には魅せら れっぱなしだった。いわゆる“排队”である。 译文1:有关“排队”的意思和定义并不使人特别感兴趣。查一下 辞典,意思大体是指:许多人排列行走。每个数字或文字为“行列” 的因素,横向一列因素为行,纵向一列因素为列。 但是,我在北京期间(系自1976年至83年之间,先后共六年),常 常被街上经常碰到的市民所形成的实际“行列”所吸引,即所谓排 队。 这一例的关键是同形汉字词“行列”一词。原文选自一位日本人回忆当年中国人 排队购物的情景。在这个背景下,译者把句首的“行列”译成“排队”,是个很 好的选词。但是,“行列”这个同形汉字词既不能完全等同于汉语的“排队”, 又不能与汉语的“行列”同日而语。译者没有理清其中的关系,便按照日文的理 解行文翻译。但是,译文第3句“每个数字或文字为‘行列’的因素,横向一列 因素为行,纵向一列因素为列”让中国读者一头雾水,不得要领。它们与“排队” 有何关系,着实令人费解。其实,在日文里,“行列”有2个义项,一个是“排 队”,另一个是数学上的“矩阵”,而且两者意义相关联。搞清这一点,译者就 必须想方设法让这种隐藏的内在联系显现出来,使译文不犯逻辑毛病。具体地说, 就是要使“排队”和“行列”发生横向联系,便于行文翻译。 译文2:“排队”的意思和定义并不使人特别感兴趣。简言之,即由人们组成 的“行”或“列”。数学上,行列就是矩阵,由各种数字和文字构成,横向 为行,纵向为列。查阅辞书,解释大致如此。 不过,我在北京的6年间(1976~1983),对“排队”十分着迷,时常被街头 这种由市民们排成的“行列”所吸引。 上一页 下面我们看2组同形汉字词的翻译。 例24:病人のそばをはなれてゐたいといふのではない。しかし、 縫ひものとか編みものとかは気が滅入った。同じ夫を思ふにして も、畑仕事をしながらの方が心明るい希望が持てた。京子は無心 で夫にたいする愛情にひたるために菜園へ出た。 译文:并不是想要离开病人,但是在病人身旁缝衣服啦织毛线啦, 总不免使人精神越来越消沉。同样是惦记着丈夫,种菜的时候却又 不同,它使人感到光明和希望,京子不知不觉地为了咀嚼对丈夫的 爱情而走进菜园。 例25:たしかになかには、日本土産が料理屋で無心したハシ一 本という極端な「けち」もいる。しかし、それが「けち」であ るか「合理主義」であるかは議論の分かれるところであろう。 译文:当然,也不乏出格的“小气鬼”。他们在小饭馆索取一双木 筷,便当作礼物从日本带回国。然而,这是“小气”还是“合理主 义”,仁者见仁,智者见智。 例26:彼はふと斜め前のシチュー屋の店先で、皿に口を つけている男の姿に眼をとめた。……彼はその男の無心 に動かす口の辺りを見ていた。それは厚い唇をもった口 であった。そしてその口が皿の上で濡れて赤く輝いてい る。 译文:蓦地他看见斜对面菜馆门口有个男人在舔盘子。…… 他望着那人专心致志在舔盘子的嘴巴。嘴唇很厚,舔得湿漉 漉的,油光晶亮。 例27:家を出る時、嫂から無心を断られるだろうとは気づかった。 けれどもそれがために、おおいに働いて、自ら金を取らねばなら ぬという決心は決して起こし得なかった。 译文:走出门时,代助就担心借钱的事会遭到嫂子的拒绝。但是代 助现在也并不因此而下决心努力凭自己的双手挣钱生活。 例28:こないだ或る本で読んで、ルイ王朝の頃の貴婦人たちは、 宮殿のお庭や、それから廊下の隅などで、平気でおしっこをして いたという事を知り、その無心さが、本当に可愛らしく、私のお 母さまなども、そのようなほんものの貴婦人の最後のひとりなの ではなかろうかと考えた。 译文:最近读了一本书,知道路易王朝时代的贵妇人们若无其事地 在宫殿的庭园和走廊的角落里小便。这种憨态真是可爱无比。我想 我母亲是最后一位这样的老牌贵妇人。 例29:日は無心に木犀の匂を融かしてゐる。芭蕉や梧桐も、ひ つそりとして葉を動かさない。鳶の声さへ以前の通り朗である。 この自然とあの人間と――十分の後、下女の杉が昼飯の支度の 出来た事を知らせに来た時まで、彼はまるで夢でも見てゐるや うに、ぼんやり縁側の柱に倚りつづけてゐた。 译文:太阳一个劲儿地晒着桂花,那香气越发馥郁了。芭蕉和梧桐 也悄无声息,叶儿一动也不动。鹞鹰的鸣叫声和刚才一样嘹亮。大 自然是如此,而人呢……他像做梦般地呆呆地倚着廊柱,直到十分 钟后,女佣人阿衫来通知他午饭已经准备好了。 例30:少年の歓喜が詩であるならば、少年の悲哀もまた詩である。 自然の心に宿る歓喜にしてもし歌うべくんば、自然の心にささや く悲哀もまた歌うべきであろう。 译文:如果说少年的欢乐是诗,那末,少年的悲哀也是诗;如果说 隐藏在幼小心灵中的欢乐是应该歌唱的,那末,在幼小心灵里低语 的悲哀也是应该歌唱的了。 例31:そこではまた起床後より夕食時限までは寝台上に横たわる ことを許されないが、これは人間の自然を奪い去ることである。 译文:因此,上司规定起床后至晚饭前,不准躺在床上。但是,这 个规定是剥夺人的天性。 例32:車体の動揺のためかと思ったのですが、それにしては指の 動きが不自然だ。スリかな、と思ったけれど、僕は黙っていまし た。 译文:这也许是因为电车颠簸的缘故,可是,我总感到青年的手指 的动作有点反常。我心里想,此人可能是扒手,但我不作声。 例33:その次、日本語は、自然に書いていった場合に意味がはっ きりわかりにくい、ということがあります。たとえば、こういう 文章があったとします。 …… 译文:其次,随手写下的日语,有时候也令人费解。比如有这么一 段文字。 …… 例34:急速に気温が低下していくにつれて、野中観測所が自然に 対して如何に無防備であったかを示し始めていた。ストーブだけ では暖は取れなくなった。いくら着ても寒かった。そういうとき、 懐炉を抱くことは非常に効果があった。 译文:随着气温的急剧下降,野中观测所对老天爷的毫无防范日益 暴露出来。仅用火炉已无法取暖,穿得再多也无济于事,唯有用怀 炉才可御寒。 上面2组11个例句译文之所以还算得上“自然”,是因为译者为 “有心”之人,没有机械地照搬“自然”。如果不管语境,一律照 搬同形汉字词,恐怕只能视作“无心”之举,虽貌似“自然”,其 实已经不然了。 最后,还要指出的是,我们现在经常可以发现少数译者有见到汉 字就搬的毛病,不仅同形汉字词,甚至连汉语里不存在的日语汉 字词也被“引进”。现在,甚至在中文报纸上也时常能见到不伦 不类的日式汉字词,如“素颜、切腹、移动风吕、味噌汤、年功 序列、养成班、漫才、单身赴任、放送会社、日本最高裁判所” 等。这严重地破坏了汉语的纯洁,需要引起我们充分重视,并加 以坚决抵制,防止它们蔓延。
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