讀本訂正: 3.「おばあちゃのたんす」は、いまだに(びくともしない)現役で

讀本訂正:
3.「おばあちゃのたんす」は、いまだに(びくともしない)現役で、私の手元にある。
5.今の時代、特別に注文でもしない限り、(到底)手に入らない。
7.
「みんな同じなんだ」という思い(なくして)、国際化も国際理解も始まらない。夜光虫の海で
指輪が(取り持った)人間関係が私にはっきりそう教えてくれた。
9.
「好事魔多し」を(絵に描いた)ような事件が起こった。人一倍大声を張り上げていたミエが、
突然声を出さなくなった(かと思うと)、「指輪がなくなった」と(ぽつり)一言。
10.指輪探しは(不首尾)に終わったということだが、腰をかがめながらテトラポッドの間を(隅々
まで)探してくれた仲間の姿が、(どうやら)ミエの心を晴らしてくれたようだ。
15.妹は絵のコンテストに向けて、(一心不乱に)作品作りに取り組んでいる。
17.父は交通事故にあって大怪我をしたが、(辛うじて)命だけは助かった。
1.在自己的領域裡,不管是要化妝或是讀漫畫,沒理由被別人多說什麼。
自分の領域で化粧をしようが、漫画を読もうが、他人にとやかく言われることはない。
2.無論什麼外型或顏色都沒什麼可挑剔的。形も色も申し分ない。
3.正面受到波汲。しわ寄せをまともに受けている。
4.天空才剛一白,就把學生們叫起來往堤防去了。
空が白み始めるや否や、学生みんなを起こして突堤に向かったのだという。
プライバシーの確立、擁護がうたわれ続けた結果、それに関する意識もかつてないほど高まってき
ている。しかしながら、プライバシーの確立が目指したものが、公共生活から自らを切り離し、他
人と関わることなく必死でプライバシーを守ろうとする「一人ぼっちの無関心」であっていいはず
がない。
持續提倡要確立、擁護個人隱私的結果,有關於隱私的認知也比以前高漲,到了過去不曾有的程度。
但是,確立個人隱私的目標不該是將自己從公眾生活中剝離出去,和他人毫無關係,拼命想保護個
人隱私的「一個人的漠不關心」。
雇用にしても、長い間、終身雇用制度を維持するために、採用に当たって個人の素性が重要視され、
出身、家族構成、宗教、学歴に始まり、本人はおろか身内の病歴に至るまで、ありとあらゆる情報
が求められた。こうした歴史的環境の下では、プライバシーがなかったというよりも、日本にはそ
もそもプライバシーの育つ土壌がなかったというのが実情だったのである。
即使是僱傭,長久以來為了維持終身僱傭制度,在錄用時候個人的來歷被重視,從出身、家庭成員、
宗教、學歷開始,別說是本人甚至連親人的病歷等,被要求知道所有的資料。在這種歷史環境之下,
實際的情況是與其說沒有隱私,不如說是日本最初就沒有一塊培育隱私的環境。
指輪の話を何度も聞かされていた学生たちは、もう夜光虫どころではなくなった。とはいえ、これ
といって手立てを思いつくわけでもなく、しばらくは手持ちぶさたにミエを遠巻きにしてたたずん
でいるばかり。それでも、両ひざに顔をうずめて肩を震わすミエの姿に促されるように、手探りで
指輪探しを始めた。もとより、夜の海に沈んだ指輪が見つかるはずもなく、ミエに対する、そして、
ミエに何もしてやれない自分自身に対する学生たちの気休めに過ぎなかった。
聽了好幾次戒指的事的學生們,已經沒有空管夜光蟲了。雖說這樣,但也想不出好辦法,只能暫時
無計可施的圍在美惠的身邊。即使如此,好像被將臉埋在雙膝裡顫抖著肩膀的美惠催促的樣子,開
始摸著尋找著戒指。 想當然,沉到夜晚的海裡的戒指不可能找得到,對美惠來說,還有,對於自己
沒辦法幫上美惠的學生來說,這只不過是一種安慰罷了。
国際うんぬんという催しが頻繁に開かれている。日本を国際かするために、日本人が国際人になれ
るようにと、ばく大な時間とお金が費やされてきた。様々なイベントやセミナー、シンポジウムな
どで「国際」が語られてきた。国境に阻まれることなく、地球上に存在する人種、文化、肌の色、
宗教等、多くの「違い」に妨げられることなく、「国境」を乗り越え、「違い」を認め合おう。
國際等等的活動頻繁地舉行。為了要讓日本國際化,日本人為了要成為有國際觀的人,耗費了許多
時間與金錢。在各式各樣的活動和座談會、研討會等等上談論著「國際」。不被國境而阻礙,不被地
球上所存在的人種、文化、膚色、宗教等等這許多的不同而阻礙,跨越「國境」
,認同並接受「差異」。
生産者が手塩にかけて栽培した「本物」は目の玉が飛び出るほどの値段がする。日本各地の名物料
理も、世界の味も、まがい物の素材では本場の味には程遠い。一般消費者の選択肢から「本物」が
姿を消してしまったのである。そればかりか、毎日食べ残され、賞味期限を理由に当たり前のよう
に廃棄される食品の量は、それこそ計り知れない。
生產者親手栽培的「真貨」上寫著令人目瞪口呆的價錢。日本各地的名產料理也好,世界各地的味
道也好,以「假貨」為素材製成的料理,其味道和真正原產地的味道相比,實在是相距甚遠!「真
貨已經從一般消費者的選項之中徹底消失了身影。不只是如此,每天被人們所吃剩並以過了賞味期
限為理由,像是理所當然般的被丟棄的食品數量,才真正是無法估計。
一つ一つの工程に手間をかけ、丹念に物を作り上げていく伝統的な「職人の技」は、コストがかか
り過ぎ、生産性の向上につながらないため、量産体制からは取り残されていった。
一個一個的程序要花費許多時間與勞力,仔細的在製作東西的傳統師傅的技術,因為成本過高,跟
不上產量的提升,所以從量產體制中被淘汰了。