開啟檔案

L14奶奶的衣櫥
組員
江心怡 賴彥芸
蘇心瑜 蕭奕辰
戦後の日本は、奇跡的な経済復興を遂げ、国中、物があふれ
るほど潤沢になった。大量消費社会では、消費者側は「質より
量」を求め、昔ながらの手作りの良さには目を向けようとしなか
った。生産者側もそれに応えるため、安価で見栄えの良い物を
大量に生産してきた。利潤を追求し、商品を少しでも早く回転さ
せるために、量産制度の開発に力を注いだ。一つ一つの工程
に手間をかけ、丹念に物を作り上げていく伝統的な「職人の技」
は、コストがかかり過ぎ、生産性の向上につながらないため、量
産体制からは取り残されていった。
戰後的日本,奇蹟似的完成了經濟復甦,整個國家,物
資充裕而變得很富裕。在大量消費的社會,消費者方面
追求量重於質,已經不再重視從前的手工製的好了。生
產者方面也為了因應這樣的需求,而大量生產價廉物美
的東西。為了追求利潤,讓商品趕快賣出,致力於量產
體制的開發。一個一個的程序要花費許多時間與勞力,
仔細的在製作東西的傳統師傅的技術,因為成本過高,
跟不上產量的提升,所以從量產體制中被排除了。
大量生産で生み出された商品は、量産体制に乗せるためにか
画一化され製造された物であり、長年にわたって磨き抜かれた
職人の技を駆使して作り出された物とは比べるべくもない。本
物とは程遠い、見かけ倒しの代物ばかりである。「おばあちゃん
のたんす」と愛着を込めて呼び、大切に扱う家具など、今の時
代、特別に注文でもしない限り、到底手に入らない。商品の画
一化が進むにつれて、作る方、使う方、双方の愛情も薄れ、物
が語りかけることもなければ、物を前に何かを語り継ぐというこ
ともない。
大量生產出來的商品,是為了配合量產體制而被製造的
整齊劃一的商品,跟用長年累月磨練出來的專家的技術
做出來的東西根本沒得比。它和真品相差甚遠就只是虛
有其表的貨色。包含著眷戀叫做「奶奶的衣櫃」,被珍
藏的家具等,在現今,不特別訂做是怎麼也無法到手的。
隨著商品規格化的進行,製造的人和使用的人,雙方的
感情都很淡,東西無法說故事,東西擺在面前人們也無
法說些甚麼來流傳下去。
大量に生産された「まがい物」は、不要になったり使えなくなっ
たが最後、粗大ゴミとしていとも簡単に捨てられてしまう。大量
消費.画一化社会は、大量廃棄に痛みを感じることのない使い
捨て社会へのプロセスでもあった。我々は、食生活においても、
この「まがい物」大量消費社会のしわ寄せをまともに受けている。
養殖やハウス栽培の技術、あるいは、冷凍技術の著しい進歩
のおかげで、スーパーに行けばいつでも、どんな物でも安い値
段で手に入る。
被大量生產的『假貨』,一旦不要了、或者是變得無法使用了
之後,就會被當成大型廢棄物輕易地捨棄。大量消費•統一規格
化的社會,也朝著對於大量丟棄毫無痛楚的用過即丟社會的路
程在前進。
我們即使在生活飲食層面上,也直接的受到此『假貨』大量消
費社會的不良影響。拜養殖及溫室栽培技術,或者是冷凍技術
的顯著進步所賜,只要前去超級市場,無論任何時間、無論何
種物品,都能以便宜的價格買到。
ファミリーレストランでは、日本どころか、世界中の料理を楽しむ
ことができる。そして、食べ物から季節感や地方色が消えた。出
始めたスイカを前に「もう、夏だな」と季節を思い、届いた山菜を
口に、雪深い生産地を語ることもない。
在家庭式餐廳,豈止是日本,甚至是全世界的料理都能享受
到。而且,從食物來感受到季節及地方特色的這項功能就此
消失了。看著剛上市的西瓜知覺到季節的到來,說著:「已
經夏天了吶!」或是將遠到而來的山蔬送入口中,來訴說積
雪深厚的原產地的情境,這些都辦不到了。
養殖物の魚が大量に市場に出回り、手ごろな値段で食卓に上
る。『腐ってもタイ』などという言い方など、もう今の世代には通
じない。天然物はますます遠のき、庶民が味わえるような物で
はなくなってしまった。姿、形、色も申し分ないが、トマトやきゅう
りはトマトやきゅうりの味がしない。生産者が手塩にかけて栽培
した「本物」は目の玉が飛び出るほどの値段がする。
養殖的魚在市場上大量充斥,以合適的價錢上到了餐桌。
「餓死的駱駝比馬大」等等諸此之類的說法,在現今的時代
已無法適用。天然產品離我們越來越遙遠,已經變成並非平
民能夠享用之物了。雖然色、香、味都無可挑剔,但蕃茄和
黃瓜嘗不到其本身該有的味道。生產者親手栽培的『真貨』
上寫著令人目瞪口呆(瞠目結舌)的價錢。
日本各地の名物料理も、世界の味も、まがい物の素材では本
場の味には程遠い。一般消費者の選択肢から「本物」が姿を消
してしまったのである。そればかりか、毎日食べ残され、賞味期
限を理由に当たり前のように廃棄される食品の量は、それこそ
計り知れない。
日本各地的名產料理也好,世界各地的味道也好,以
『假貨』為素材製成的料理,其味道和真正原產地的
味道相比,實在是相距甚遠!『真貨』已經從一般消
費者的選項之中徹底消失了身影。不只是如此,每天
被人們所吃剩並以過了賞味期限為理由,像是理所當
然般的被丟棄的食品數量,才真正是無法估計。
「おばあちゃんのたんす」は、いまだにびくともしない現役で、私
の手元にある。「もったいないから。ばちがあたるから」の口ま
ねが、すっかり自分の口癖になってしまった私が受け継いだの
である。たくさんのまがい物を作るだけ作って、品物や食料の
大量廃棄を続ける私たちにどんな「ばち」が当たるのだろうか。
「おばあちゃんのたんす」は見つめている。
『奶奶的衣櫥』至今仍好好地被我使用著。模仿奶奶的口吻說
的『太浪費了,會被老天爺懲罰喔!』這句話,已經被完全
變成自己的口頭禪的我給傳承了下來。致力於生產大量假貨,
持續大量丟棄產品與食品的我們,究竟會受到何種懲罰呢?
『奶奶的衣櫥』正凝視著這一切。
おわり~